哲学の限界。 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

おはようございます。
アウグストゥヌスは言います。
「子供は無垢ではあるが、決して無邪気ではないと。」

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こんなイメージ?

「子供は必ず子供であることを利用して、その心には邪気があって当然。」
と言ったところでしょうか?

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こんなイメージ?

また、キルケゴールは
「どんなに過去の賢者が挑戦しようとも、泣き叫ぶ赤ん坊を哲学することは不可能だ。」
と述べてます。

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こんなイメージ?

理由は
1 子供は泣き叫ぶ理由を、哲学的に説明出来ない。

2 哲学者達は己の過去を振り返って「子供」を哲学したとしても、時間の経過ともに美化された過去である。

3 子供は自分達の哲学を理解出来ない。
以上が理由である。
1の子供からの哲学的発信が出来ず

2の大人の哲学発信は間違いか主観的すぎ。

3の子供は受信不可能。

唯一4が認められるなら、大人側の受信は可能です。

ですがそれは泣き叫ぶ赤ん坊に対して反射的で、主観的です。経験で学んできた事を赤ん坊相手に哲学することなく独断です(笑)

哲学者よりも一人の 母親の方が遥かに
「赤ん坊とは」を経験から語れるでしょう。
しかし赤ん坊からの主張と突き合わせて導き出した箴言ではないんですよね(笑)。

「赤ん坊は哲学を持たずに生まれてくる。
大人は赤ん坊を哲学出来ずに一生を終える」
by SPA-k

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こんなイメージで手探りの中選択して行く事が大切かと。