父親像と戦士 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「お前は信ずる物の為に戦え」
は私の永遠のアイドル
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キャプテンハーロック(写真)の言葉です。

同じ松本作品の999でも、映画タイトルは、
「君は母の様に愛せるか?」
と、
「君は戦士の様に生きれるか?」
の二作がタイトルとなってます。

「父母」が対になってないことに疑問はありませんでした。
しかしたった今読んだ「あれか、これか?」の一節には、

「父親とは我が子を『授かり物』、『預かり物』としての意識を持って育てないと、父親と言う『権力と威厳の濫用』になる」
と述べてます。

出産と言うことでは到底、父親は母親に敵いません。
だからこそ父親独自の愛し方、育て方が要求されるのでは?
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こんなイメージ?

思うに父親に接する=社会に接することでは?
自らの子を「預かり物」の意識を持つことにより、厳しい躾や作法が身につき、子は「社会を知る」と私は解釈しました。
ホンマでっかの番組でも父親の役目は「利他主義にあり、子供に社会貢献を教えること」
と言ってました。

クールに「一人で生きて来た」と
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コンドルのジョーや

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シャアの様な人生を送るのもけっこうですが、そういう人は是非とも

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こんなイメージを初志貫徹して下さいませ。
私は声援するけど応援しませんが(笑)。