おはようございます。
昨夜もキルケゴール著「あれか、これか」
を読んでました。
その中で驚いた記述があり、忘れない内に更新をと。
「ラテン語のvates は詩人と予言者は同義である」
この言葉に凄く衝撃を受けたのです。
確かに
「賢い、教養を持つ者」
ってイメージあるけど
「芸術の追求と未来予想は違う」
と感じましたが…。
あるサイトにてやっと記述を発見しました!
「ラテン語のvates は『先見者』として予言者、詩人と同義である」
なるほど。少し前進。予言者は間違いなく「未来を読む人」ですよね。
では詩人を「芸術家」と拡大してみれば?
画家や彫刻家は絶対に「美しき完成形」を描きながら創作するはず。
スポーツ選手をアーチストと表現しますがそれは
「コンマ一秒先を予想し、理想の自分を思い描く者」
ではないでしょうか?正にプラトンのイデアを描いた人達です。
しかし、ここで美学に対する「デモーニッシュ(悪魔の囁き)」の考えが邪魔します。
何故なら「理性を乱す芸術は悪魔である」のアウグスティヌスの論理があるからです。
結論
1. はるか 2500年前は知識者として予言者も詩人も崇められた。
2. レスラーでもあるプラトンは
「この世は仮の姿で理想の形をしたイデア界への到達が必要」
って彼のレスリングでの秘訣なだけじゃ…?
3 教父アウグスティヌスは
「理性と信仰を妨げる芸術は悪魔的誘惑である」
と述べてます。
4 アニメ「黒執事」で「人間は愛と忠誠で行動するが悪魔の行動原理は『美学』である。
5 芸術に対して「浸るだけ」が悪魔の誘惑で、同じ物を見聞きして一秒先の未来に繋げたら、誰しも「予言者」になれる。
過去の産物の「食い潰し」が悪魔、評論、美学である。
そこに敬虔たる信仰はなく、キルケゴールが唱える
不可能性。
不完全性を
死の不可避を無視した行為であるbySPA-k