絶望と断絶はあっても断望はない | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

誰かが言った。

「まだ絶望するだけの余力があると」

絶望は崇高すぎる選択故に最後にカードを切らないと。

それが断望。望みを(自ら)断る。断つ。
絶えるとなると敗北臭い。
だから自らの望みを自発的に断つこどが重要。
「見切り」だね。

わかってしまった

組織は軍隊と同じで上官にアピールして同じことを忠実に「右向け右」をするところとおもってた
だから左向く楽しみがあった。

だがこの組織はサバトだ。儀式的に同じことを習慣的に繰り返し、上も下も脱線しない。
誰もが何も考えない。行為に疑問を持たない。
必然的に仕事は増える。仕事の為の仕事。「自分はやるだけやった」というアリバイ。

死ぬほど追い込みかけたら、私以上の信念を語るか?
それとも何も考えてないことを露呈するか?

ゲストさま。申し訳ございません。私を病気にさせた人物がこの度出世しまして…。
「組織」について考えて見ました。