優しさの定義二回目は「一見、優しさに似ているが実は違うもの」
を述べたいです。
今回も列挙を中心として、最終的な定義は次回に一回目と含めて総括したいです。
優しさとは違うもの
1.打算が含まれてるもの
2.真意に悪意が含まれてるもの
3.献身的な自己犠牲
4.純粋な精神のみの行為
に分類してみました。
1と2は簡単な「偽善」です。その動機は「自分の為」であり、決して相手を思った行動ではありません。
その先に行為を受け取る側の幸せを考慮してないのが要点です。
3は自己犠牲は優しさではありません。その行為を行う自分の為にやってるからです。
「利害の一致」により、献身的に「尽くし合う関係」は確かに存在します。
しかし、利己主義同士の繋がりに優しさはありません。
4が一番難しく感じますが、純粋な思いに実は「善意」はありません。
幼児がためらい無く虫を殺す様なものです。それは疑いなく、何処までも純粋だからです。
善意は「経験」により磨かれるみたいです。
SF漫画でご主人に尽くすアンドロイドが、その家族、友人の「お遊び」に対しても「ご主人様を守るミッション」を純粋に貫く為に、ご主人様の大切な人を傷つける…ってのも良く見ます。
結果として赤ちゃんは可愛いくても、純粋でも、親に優しくないのでは?それは「善意の積み重ね」が1~4を経験した上で本物の優しさを身につけてないからと考えます。
次回は結論として本物の優しさを定義したいです。