予告通り、優しさの哲学の一回目は
「誰もが直接的に感じる優しさ」
です。
単純に「優しい」と感じることを列挙したいです。
その際、言葉や行動の裏は考慮しません。
それは次回以降に検証します。
また、曖昧さの回避の為に「愛」、「神」の単語は使いません。
では直接的な優しさとは?
1.助けてくれた優しさ
2.許してくれた優しさ
3.認めてくれた優しさ
4.与えてくれた優しさ
に分類してみました。
1はマイナスの補填。
2はマイナスの回避
です。
「困ってる時ほど」って奴ですね。
助けるも許すも、「保護」する「強さ」「広さ」を伴うみたいです。
問題は3と4の違いです。
「成功報酬」として与えられる「アメ」の価値は重要でしょう。
しかし、お互いが「当然の行為」と思えば、アメに対しても行為に対しても、「優しさ」は伴いません。
「無償」が大切なのです。
しかし、自らが何もしていないのに、ただ与えられるのはどうだろうか?
私は何かを与えられるより、自らの成功をただ認めてくれる方が遥かに優しさを伴うと考えます。
そしてそれ以上に何もしなくとも、あるがままの、現状の裸の自分を認めてくれた方が遥かに幸せではないだろうか?
私達はあまりにも「行為の代償」と「その為の盟約」に振り回され過ぎてないだろうか?
守ってくれなくても、例え許していなくとも、マイナス要因を抱えた自分を丸ごと認めてくれることが最大限の優しさと私は考えます。
次回は「優しさに似ているもの」を考察したいです