考えたけど考えそこねた? | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

一区切り着いたところで、
改めて自分のblogを振り返るとアラが目立ち、
「これじゃ伝わる物も伝わらないかあ~」と反省の1日。

結局、皆様の「難しい」の壁をどう破るかなんですよね。
考えた結果、暫くは今までの皆様のコメントを反証、確証して行くことにしました。

で一回目は空のしっぽさんからの
「『考える人は地獄について考えている』のはホントですか?」
についてです。

はい、ホントです。昔トリビアの泉でやってました。

ここからはWikipediaまんまの引用になります。失礼。
最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦-ML_ファイル0080.jpg
これが全体像「地獄の門」です。
「考える人」は門の上段中央にいます。
地獄の門自体は未完らしいです。
そして、考える人だけ「ソロデビュー」したみたいです。
元々は「詩人」って名前だったそうです。
「ダンテの神曲」をモチーフに作成され、地獄の門は
「この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ」
の詩節で有名です。
「詩人」もしくは「考える人」は、地獄にこれから案内されるダンテ自身か、作者のロダン自身かの二通りの説があります。
どちらも「死に直面してない者」が地獄について考える比喩的にも、直視的にも上から目線です(笑)。

但し、「地獄の門」の方が有名にならなかったのはこの作品が未完だからではないはずです。

考える人自身が、地獄の門を(心の中で)作り上げてるのでは?
と考えるのは私だけでしょうか?