「無の証明の不可能性」の論理展開も今回が最後です。
最後の相関関係は、もう消去法で解りますよね?
「不可能性の不在行動」
です。
これは「不可能だったからこそ、違う現在に存在する事はできない」 つまり
「歴史にif(もしも)は無い」
です。
過ぎ去ったことは変えれない。だから現在の自分と、その周辺の世界が広がる。
と言う考えで「現存哲学の核」を締めとさせて頂きたいです。
「もしも」は誰しもが体現してることですから、特に説明は必要ないでしょう。
「今と違った現在、展開するはずの無い方向の未来」
はあなたの心の中にだけあるのです。
歴史は変わらない。
変わらないから歴史。
でも受け止め方は日々刻々と変化する。
それはあなたの心は常に時間とともに未来に向かってるからです。
「過去を振り返っているその時間も未来へ流れて行く」by SPA-k
アルバムを見ても昔の時代に戻れません。
昼間に見出したとして、気がつくと夕方になってるだけです。
「未来を思い描いても、思っている『現在』の時間が過ぎて行くだけ」by SPA-k
これが現存哲学の何よりも「今」を大切にする核です。
また、全六回の全てを読んでくれた方は、もうお分かりでしょうが、
不可視とは過去です。(見えなかったと言う過ぎた事実)
不在とは現在です。(今存在しないと言う現実)
不可能とは未来です。(決定事項ではないので)
そう、不可視、不在、不可能とは過去、現在、未来が互いに絡み合って「無」を構成しているのです。
これが私の提唱する現存哲学です。
それは直線軸上に時間は存在せず、「現在の概念のみの中で時間は存在する。」です。
「昨日は死んだ時間、明日は生まれてない時間」(引用 シッタカブッタ)
また「現在は矢の様に過ぎ去り、未来はためらいながら近づき、過去は永遠に立ってる」(引用パタリロ)
も好きな言葉です。
皆様、今現在を大切にして下さい。
お付き合いありがとうございました~。
あ~明日からは皆様からの今までのコメント整理したいです。