そんな連中も、クラスの秀才や担任でさえ答えに窮する質問を私がすれば黙り込んだ。
世の中全てが虚しいと思った。
柔道を始めるまでは。
そこは実力主義。強ければどんな主張も通る。
また強き先輩ほど尊敬した。
必死だった。奪われ無いために、舐められない為に。
皆の見る目が変わったが世界は変わらない。
「幸せな毎日」と「いじめられない日々」は不等号では無かった。
逆に恐れられた。虚しさは小学生以上だった。
「天が作った物は土に還り、人間が作った物は土に還らない」
って箴言を考えついたのもこの頃だった。
しかし、それは突然であった。
「美術の授業中」 「余った木材」 「糸ノコでカッティング」
これが愛の告白に繋がる等と、どんな聖人が予測できようか?
「その女の子」は私に「これが私の気持ち」と丁寧にハート型にカッティングされた木材の破片を渡した。
只の仲間内の冗談だったのだろうか。
男女共にこの時は散々笑い者にされた。
無理矢理意識させられてしまった。
真意はどうあれ、自分を怖がらないのは不可解だった。
予測不可能な毎日が続いた。
それが中二の秋。
三年で違うクラスになった。
「渇き」を感じた。避けていた自分の方が求めていることに気付いた時は…地獄だった。
まさしく「恋に恋してた。」です。
結局卒業式まで何も出来ずに遠くから違う男の子に話しかけてる風景を見つめるしか無かった。
「生の次に死が来るのでは無く、生の中に死は存在し、死の中に生を見つけることにこそ生きる価値がある」
この当時の私が考えた箴言です。
高校では勉強ばかりしてました。大好きですな毎日だった。
英語が苦手だったし、倫理の選択も無かったので哲学科は諦めてました。
地学も選択に無かったので得意科目を消去法で選ぶと某私立理系になったけど…中退しました。
親子とも未来ばかりを見て現在を見つめ無かった結果です。

本当の強さって…ラオウさん教えて下さい。