諸説ありますが、
「武士」と書いて「ものふみ」と読む。
私はこれを「物事の道理を踏まえた者」と読みたいです。
物事とは森羅万象に通じる全て。
そして道理とは世の常。
この二つを足すと、そう、
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」
です。
「この世の中に『絶対』はない」と、静かな心で構えていたことが『士魂(しこん)』の中核ではなかったのでしょうか?
そして侍は「さぶらう」=「傍に居る」、「そこに居る」から「サムライ」になったそうです。
皇族、公家を相手に命を賭けて守る者なら只のボディーガードですが、
侍は「居る」と言う事そのものが重要なのです。
文字通り「存在が影響を及ぼす者」
なのです。
また、「武」の字は戈(ほこ)を止める(おさめる)と書きます。
武道の最終目的は、戦わないことなのです。
まとめると武士とは諸行無常を心得て、
戦う為に闇雲に刀を振り回さず、
ただ、傍居るだけで主君及び敵に影響を与える者
となります。
彼ら一人一人が哲学者で無くて何でしょうか?
現代の日本にも士魂は日本人の美徳として生き続けていると信じています。

画像はご存知、武家社会の創始者、源頼朝です。
明日は以前に予告しておきながら、遅延しまくりの「脳科学と哲学」を書きたいです。