戒律と生活環境の厳しさに於ける比例関係についての考察 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
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堅い表題ですが、平たく言えば
「生きてくのに厳しい地域で流行る宗教ほどルールがキツイ」
です。

日本の人口に対してイスラム教徒の比率は、世界的に低いそうです。
それは日本人が熱心な仏教徒とかが理由でなく、
戒律が厳しいイスラム教は日本人に合わないそうです。

イスラム教の教典コーランには何と、
「女性を売っても良い」
との戒律まであるそうです!

平和な日本で暮らしてる私達には信じられないルールですよね!

しかし、イスラム諸国は常に砂漠と侵略が隣り合わせでした。
売られた女性が
「それで命が保証されるなら」
誰がその戒律を責められるでしょう。
砂漠の厳しさ、国境の概念、水の有り難さ…
「死ぬことが救い」
と考える宗教は、それだけ
「死と隣り合わせの中で発展した教義」
「生きることの苦痛を感じないほど、現世の幸せを訴えた教義になる」
と考えます。

水が豊富で、島国で四季がある日本。
その日本固有の宗教は神社神道です。

そして神道は「死後の世界を語らない」世界に例のない宗教なのです。

ユダヤはペルシャ、エジプトに迫害され、
キリスト教はユダヤやローマ帝国から迫害されました。
イスラム教は正義を名乗る十字軍に苦しめられました。

きっと生活環境の厳しさが「死」と「死後の世界」を美しくし、迫害される者同士が団結するには厳しい戒律が必要だったと考えます。

「死」=「天寿」。
生まれ変わりも無く、
死後の世界も持たない神道。
それは世界に誇れる日本人と日本の歴史と伝統が生み出した宝と思います。

「生まれた時から私達は生きることを許されている」
この言葉を認識しなくとも認識している日本人は世界に誇れる「思いやり」と言う財産を持った民族と思います。

明日は「富に対する哲学」を論じたいです。