反対勢力+信仰心=「義」 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

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写真は近年になって人気急上昇の戦国武将、石田三成(いしだみつなり」です。
昔、三成と言えば、豊臣秀吉に気に入られたのをいいことに、その息子の秀頼を利用した西軍の大将ってイメージでしたね。
とにかく「こずるい」印象ばかりが目立ってました。

しかし、歴史と言うのは、勝利した徳川家康側が作ってしまうんですよね。

三成は主君秀吉への恩返しと、秀頼を蔑ろ(ないがしろ)にして実権を握りたがる家康に対抗しただけなんですよね。(実際に総大将は毛利輝元です)
この三成の
その心がけは「忠誠」です。

その行動は「義」です。

では「義」とは?
正しい「義」で「正義」

「義」ではないから「不義」

う~んかなり核心に近づきました(笑)。
実は「義」とは(この場合正義と同じ)
『マイナスを取り戻す為の正統な行動』
なんですよね。

中国の孔子は「仁は人の安宅、義はその正路」

と述べてます。

つまり「仁とは人がお家に居て安心する(させる)ような気持ち、義とはその安心するお家にたどり着くまでの道のり」
と言うことです。
またキリストは
「義とはそれを見失った人が取り戻すための道そのもの」
と、あのイエスキリストが述べてるのです。
孔子もキリストも義は「取り戻すため」が重要なんですね。
手に入れたら、たどり着いてしまったら、そこに「義」は無くなってしまうのです。

確かに戦隊ヒーローも悪の組織を倒すまでが「正義の味方」です。最終回でラスボスを倒すと必ず戦隊は解散します。
決して市民から英雄として「死ぬまで正義の味方」ではないのです。

乱暴な言い方をすれば
「正義の味方とは許される復讐をするもの」
なのです。
その中で宗教に対する信仰心は団結の源となります。
圧政や弾圧、迫害はされるほど強い信仰心を生み、今は辛くても
1. 「自分達の神様は正しい」
2. 「自分達の信仰は正しい」
3. 「自分達だけが救われる」
4. 「自分達だけが何をやっても自分達の神様が救ってくれる」
と過激になっていきます。
そう、義とは「野党」であり「与党」になると「正義」は成立しないのです。

またキリストは
「わたしは道であり、真理であり、生命である」
と述べてます。

この言葉により、若き日のアウグストゥヌス公は哲学とキリスト教の隔たりに悩むのですが…
それはまた明日に…。