
夏目漱石(写真)の作品「こころ」の登場人物「K」の口癖です。
いやあ深い言葉です。
誰しもそうありたいと思うでしょう。
「変えたい、変わりたい」
と向上心を持ちたいと誰だって願うでしょう。
でも物事の価値観や優先順位ってそれぞれですよね。
自分は勝手に他人の表面だけを見て「向上心の無いやつ」なんて決めつけてても、
本人はその人の見えてない所でもっと必死に打ち込んでるかも。
じゃあ向上の果てにある物って何?
「地位、名誉、財産」の為?
「許しの心、煩悩からの解放、道徳心を身につけること」なのかな?
聖書に於けるアダムとイヴに対して、神様は三つの罰を与えました。
1 無知(神や真理に到達できない)
2 無力(到達できても従えない)
3 死(必ず回避出来ない)
これを人間の有限性って言うそうですが、人間が向上心を持つ程、上記1~3をクリアしたいって思うんじゃないの?
それともその志しのみが美しいのかな?
現段階の私の解釈は
「やるだけやって初めて限界を知る
やる前から諦めるやつが『精神的向上心のない馬鹿な人間』となる。
しかし教義内容はどれも人間の『超越』を強要しながらも、それを越えられない(超えられない)からこそ人間は素晴らしい」
ってあたりで妥協してます。
誰か私に反証の意見を下さい。
徹底的に論破してくれるコメント大歓迎です。
きっと学校では優秀な人が社会の壁にぶつかるのは、
学校の勉強はどこまでも人間の「無限大の可能性」を前提に「詰め込み教育」するけど、
社会は政治、経済、個人的付き合いに於いても「万能ではない」条件の下で働かされるよね。
「完全、完璧、万能」に対して不完全な人間がどう付き合っていくか…。
哲学者はその手助けとなりたい。