こんにちは

東日本大震災から5年が経ちました。
皆さんそれぞれの311があるかなと思います。
お亡くなりになった方、愛する家族や友人を亡くした方、ご自宅がなくなってしまった方…被害に遭われた皆さまに哀悼の誠を捧げたいと思います。
あの日、私は小松便のフライトのために羽田に出社していました。
制服に着替えるためにロッカールームにいました。
羽田は埋め立て地ですので、ものすごく揺れました。
同時に何千とあるロッカーがゆさゆさと揺れ、ロッカーが倒れ始めて身の危険を感じました。
すると
「ここは密室よーッ!直ぐにここから出てーッ!」
知り合いのお姉さまCAの叫びでした。
ロッカーにいた私を含めた20人くらいのCAはすぐさま着の身着のままロッカールームを出ました。
女性室長が
「大丈夫、落ち着いて!身を低くして!」
と我々のいる場所まで来てくれました。
大地震だと直感しましたが、まさか、その後に大津波が東北を襲うとは想像だにしていませんでした。
結局、陸の孤島となった羽田空港。
フライトは、離発着全てキャンセル。
空港にいらしたお客さまも、孤立状態でした。
午前2時くらいまで、空港で足止めされたお客さまに、防寒用の段ボールや飛行機のブランケット、非常用食材を配り歩いていました。
それからマネージャーから帰宅難民CA全員に集合がかかり、被災地へ物資を届けるフライトをボランティアで募りました。
私は翌日、青森に飛びました。
仙台空港は壊滅的でしたから、近隣空港の青森までしか行けませんでした。
たっくさんの食料や物資を詰め込んだ飛行機でした。
機内には自衛隊、政府関係者、水道局の方、消防隊の方しかいらっしゃらない。
離陸してすぐに見えたのは、千葉上空から見えるボウボウと燃え盛る燃料タンク。
進行方向右側に見える福島第一原発を機内全員が横目にしていました。
「これからどうなるんだろう?」
全員不安でしたが、私は上空から海岸線を見下ろした時に心臓が止まりそうになりました。
「海岸線と陸地の境がまるでない。。。」
今まで何十年間フライトで見てきた三陸の地形が一変してしまっている。。
私たちに出来ること。
よく考えました。
直接手を出して出来ることと、間接的に出来ること。
今、何か出来るアクション。
あれから常にそれを考えるようになりました。
先日は募金をしました。
ささやかではありますが。。
上空から三陸を見た時の記憶が忘れられません。
被害に遭われた皆さまに沢山の希望が訪れますように。
L&Rアカデミー
太田真美子