こんばんは
今日は特別な一日でした。
皆さんそれぞれの想いで今日を迎えたと思います。
私はこういう仕事をしているため、関連したことをブログに書きたいと思います。
二年前、私は小松に行くフライトがあり会社のロッカーで制服に着替えていました。
そんな中、地震に遭いました。
航空会社の社員というのは、社会的責務が大変重く、また入社時からそれは社員にすり込まれています。
訓練所の教官からは
「あなた達は、親の死に目には会えません。フライト先で日本に地震や災難が起きても自宅には帰れません。あなた達が航空機事故で死ぬ時には骨はありません」
と。
自分も帰宅難民でありながら、陸の孤島と化した羽田空港で同じく帰宅難民となった方々に夜中の2時まで段ボールと機内のブランケットと食糧を配付して回りました。
その後、翌朝6時に寝ずにボランティアで韓国のソウルに飛ぶ。。。
私も自分の家族が無事かどうかもわからない状態でしたが、兎に角、自分ができる事は日本政府の要請などに応える事。
逆に言うと、いつもそれは心の片隅にあるもので、いつ何時自分が災難に巻き込まれてしまうのかを常に覚悟している自分がいます。
いろいろと書きたい事はありますが、今日はこのくらいにしておきます。
因みに、昨年のJALの既卒面接で地震についての事と、それにより自身がどう感じてどう行動したかを聞かれたようです。
普通の仕事とは全く違います。
覚悟がないとなかなか続かない仕事です。
そんな事もあるんだと、御承知おき下さいね。
L&Rアカデミー
太田真美子

今日は特別な一日でした。
皆さんそれぞれの想いで今日を迎えたと思います。
私はこういう仕事をしているため、関連したことをブログに書きたいと思います。
二年前、私は小松に行くフライトがあり会社のロッカーで制服に着替えていました。
そんな中、地震に遭いました。
航空会社の社員というのは、社会的責務が大変重く、また入社時からそれは社員にすり込まれています。
訓練所の教官からは
「あなた達は、親の死に目には会えません。フライト先で日本に地震や災難が起きても自宅には帰れません。あなた達が航空機事故で死ぬ時には骨はありません」
と。
自分も帰宅難民でありながら、陸の孤島と化した羽田空港で同じく帰宅難民となった方々に夜中の2時まで段ボールと機内のブランケットと食糧を配付して回りました。
その後、翌朝6時に寝ずにボランティアで韓国のソウルに飛ぶ。。。
私も自分の家族が無事かどうかもわからない状態でしたが、兎に角、自分ができる事は日本政府の要請などに応える事。
逆に言うと、いつもそれは心の片隅にあるもので、いつ何時自分が災難に巻き込まれてしまうのかを常に覚悟している自分がいます。
いろいろと書きたい事はありますが、今日はこのくらいにしておきます。
因みに、昨年のJALの既卒面接で地震についての事と、それにより自身がどう感じてどう行動したかを聞かれたようです。
普通の仕事とは全く違います。
覚悟がないとなかなか続かない仕事です。
そんな事もあるんだと、御承知おき下さいね。
L&Rアカデミー
太田真美子