2周年
今日で私が飛び降り自殺未遂をして2年になる、未だに歩行は困難で、歩行器や杖、車椅子、最悪タクシーを使って移動している。
私の鬱は、自分で思っている以上に酷いらしくて、電気痙攣療法という、頭に電気を流す療法を勧められている。その療法は、致死率が少し高くて怖いのだが、病院で知り合った女性は、その療法を受けて、飲む薬の量が減っていた。
けれど、その程度なのだ。しかも、その療法を以前受けたであろう老婆が、再度入院してきて「早く電気流してくださいいいい」と懇願していたことから、クセになってしまって、何度もその療法を受けないといけなくなるのではないかと言う不安もある。
もっとも、入院するお金なんてもうないから受ける気はサラサラないのだが。
飛び降りた友人は無事退院して、日々の生活を送っている。足に酷い後遺症が残ったが、命があって良かったなと思う。
友人に対しては、生きてて良かったと思えるが、自分が生きてて良かった、とは全く思えない。早く死んでしまった方が社会のためになるのでは、とすら思ってしまう。ただの一般人だ、それがたった1人死んだところで社会には何も影響は及ばない。ただ、私が死ぬことで、悲しむ人が多少なりいてくれることは確かで、それはとても幸せなことだと思う。
先日、名古屋まで好きな人に会いに行ったのだが、一緒にいる時間は幸せで、この時間がずっと続くのであれば生きていてもいいのかもしれないと思ったが、そう言うわけにもいかなかった。帰る日は、目覚めてからフライトまでに少し時間があったのでカラオケに行った。そこで私は帰ることが嫌で嫌で、幸せなこの時間が終わるくらいなら死んでしまいたくなって、部屋から飛び出した。結局、私が死にに行こうとしたことを察した好きな人が私を捕まえにきて、死なないよう、ホールドしてくれていた。
フライトの時間が近くなって、彼と別れてから独り、電車に乗って空港へ向かったのだが、少し迷子になって、帰れないのでは? と泣きそうになった。スマホで電車を調べながらなんとか空港へたどり着いたのだが、フライトを逃していたら自殺していたと思う。
それくらい、幸せな時間を過ごしていた。
私は飛び降りてから、生活がガラリと変わって、名古屋に行く数日前から、知り合いと同棲を始めた。やっと、やっと実家から出ることができた。母親の呪縛から解放される一歩を踏み出したのだ、LINEはよく送られてくるが、もう愚痴を聞かなくていいし、顔色を伺う必要もない。母の元に取り残された兄が心配ではあるが、申し訳ないが、実家から出れて本当に良かった。
これを機に私の精神面が少しでも良くなることを願っているが、吉と出るか凶と出るかは分からない。
来年度から復学予定の高校も、もう正直退学してしまいたいし、お先真っ暗になってしまうのが目に見えている。
私はどう生きていくのが正しいのだろうか、自分で1番納得できる生き方が何か分からない。暗中模索している現状、苦しみしかない。
それでも、支えてくれる人たちがいる限りはできれば死にたくないと、昔とは考えが変わって、強い希死念慮を抱えながらも、なんとか日々の生活を淡々と? 自堕落ではあるがこなしている。
今日で飛び降りてから2周年。2年もたくさんの人に支えられて生きてきた。人に支えられると言うことは、自殺してしまえば、その人たちへの恩を仇で返すことになる。今すぐ死んでしまいたいけれど、本当に悩ましい。
苦しみの中で、今日からまた1年、生き延びることができたらいいなと思う。
