昨日の記事が予想していたより衝撃を受けた方が多いようで、私も驚いています。

それで他にも何かあったはず、と過去に下書きにしておいたものなどを探してみました。

色々あるのですが、あまり強烈なものはどうかと思い、こちらにしました。

 

 

◆伝説の小内ブログ(この記事が原因でサイトが潰された)

2020年(令和2年)1月9日公開
<皇族が結婚するのは難しい>
上皇陛下と美〇子さまがご結婚された時,私はまだ宮内庁に務めていなかった.
ゆえに以下の記述は伝聞に基づくものであることをご了承願いたい

男性皇族が結婚することは難しい.
宮家ならまだしも,皇太子など高位の皇位継承者ともなれば,結婚どころか,恋愛することすら困難だ


先の大戦で無条件降伏し,戦後体制下になるや,戦中・戦前の頃のような「天皇の権威,皇室への絶対的畏怖」というようなものは薄らいだ.
そのためか昭和20年代初頭ごろ(1945年~)現・上皇陛下の,お相手を探そうと,宮内庁が相手の家に打診をしてもほぼ100%断られるようになったという.
戦中・戦前とは異なり,敗戦の将に嫁ぐことは必ずしも名誉ではなくなってしまったのだ
ゆえに,上皇陛下が美〇子さまと「恋愛結婚」できたことは,まことにめでたき慶事と言わざるを得ない


良く知られていることであるが,美〇子さまが皇室に入られることに反対する女性皇族は非常に多かった.
それまで皇太子妃・皇后となる女性は,華族や皇室関係者の方であることが「常識」だったからだ
宮内庁もまた,違う角度から,美〇子さまにいくつかの懸念をしていたようだ.


特に次の二つが問題になったという
このうち❶について,すなわち美〇子さまの宗教の問題についてはご存じの方も多いだろう.
皇室は神道の中枢でありその存在そのものが宗教的なものだ.
ゆえに他宗教との親和性が度々問題となる
じつは昭和も平成の時にも,皇太子妃の候補者を探す際に,お相手の宗教については「神道・仏教が望ましい」という条件があった.
ここにキリスト教が含まれていない理由は,「天皇とキリストのどちらが偉いのか?」といった教学的な問題が背景に横たわっているからだ.
現代人でそのような教学的問題に関心を持つ人は少ないだろうが,皇室は日本の伝統を継承している存在でもあるため,気になる人にはとても気になるのだ
だが美〇子さまはクリスチャンだった.


昭和天皇もこれに「違和感」をお持ちになり,宮内庁を通じて懸念を伝えた.
しかし皇太子殿下は,美〇子さまにゾッコンであり,極めて結婚の意思は固かった.
結局,押し切られる形でお二人の結婚は認められたが,その宗教については「自分の意思で未だ洗礼を受けていないから問題ない」という妥協点を見出した


つづいて❷の問題,つまり美〇子さまの性の乱れについて述べよう.
結論から言えば,結婚する前から他の男性と経験があり,生娘ではなかったことが問題となった.
馬鹿らしいと思う人も多いだろうが,皇太子妃の条件には「処女が望ましい」というものがあった.
結婚後に元カレがでてきてリベンジポルノでもされたら大変だというわけだ

なぜ,美〇子さまの「非生娘」が問題になったのであろうか?
それは美〇子さまが候補者になった時,宮内庁が作家・三島由紀夫に連絡を取ったことに端を発する.
というのも美〇子さまは三島由紀夫と「お見合い」し,ご縁がなかったという結果になっていたからだ.
聞くところによれば三島由紀夫側からから「お断り」をしていたらしい.
その理由を宮内庁は知りたがっていた

三島由紀夫からの返答は凄まじかった.
なんと「お見合いのあと,正田家の娘さまから,“試し乗り”のお誘いを受けまして….
さすがに難しいということでお断りしました」というのだ.

美〇子さまにとって“お見合い”は,今でいう“出会い系”と同じようなものだったのかもしれない
思えば美〇子さまはいつも上皇陛下を「子供扱い」していた.
美〇子さまが上,上皇陛下が下という皇室には似つかわしくないいびつな関係であった.
これは皇太子妃時代から変わらなかったという
このような上下関係が生じた原因は,結婚後初夜の上下関係にあったのかもしれない
 

小内ブログからはここまで。

 

あとは、掲示板などからの情報です。

 

 

○ 正田家の見合いセッティング:歌舞伎座観劇で、偶然お互いのグループの席が近くて、一緒の人同士が知り合いで出会った風を装って、後は若い人同士で食事でもの流れで、二人だけで近くの小料理屋(銀座・井上)の二階で食事


「1955年(昭和30年)- 1956年(昭和31年)頃、東京・銀座の小料理店「井上」2階にて、独身時代の三島由紀夫と“見合い”風の対面をしている(同店女将・井上つる江談)。」「週刊新潮」2009年(平成21年)4月2日号

〇 女将の「井上つる江」さんが随筆で、小冊子「銀座百景」(銀座の老舗の店先に毎号置いてあった無料冊子で結構有名な人が寄稿してる)に三島由紀夫と🥗さんが井上でお見合いしたことを書いていて、このことは三島側が断ったことを含めて、🥗婚約当時から広く知られていた。

〇「小料理屋の小部屋でのお見合い」は、猪瀬直樹が「井上」を取材して現場も確認している

〇 🥗さんに都合の悪い話を消そうとしてる人がたくさんいます。
三島で卒論書いたりしてる人は、基本情報として皆知っている。
徳岡氏だけじゃなく、そのほかの関係者も証言している。
三島は、自分ごときが見合いして、あっさり断った相手が、皇太子妃になると知って ショックで茫然としたそう。

 

 

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ご存じの方も多いと思いますが、今またこうして改めて読むとすごいインパクトがありますね。

確かに、小内文書のこの部分

「戦中・戦前とは異なり,敗戦の将に嫁ぐことは必ずしも名誉ではなくなってしまったのだ」

というところは、大きかったと思います。

昭和30年代初めころですよね、まだまだ終戦のダメージによって皇室のイメージは良くなかったというか、そこに嫁ごうとする人はいなかったのかもしれません。

私はてっきり、🍵さんの評判が旧皇族とか華族とかに知れ渡っていたからだと思っていましたが。

どちらもだったかもしれませんね。

 

ただ、戦争の影響もあって、🥗さんが皇室入りできたと思うと、それは納得できますね。

異常事態だったわけです。

 

しかし、平成21年まではこんな記事が出ていたんですね。

この後なのでしょうか、何も言えなくなり言いなりになってしまったのは。

今の状況は異常です。

 

でも、恐らく今は闇が浮き上がってきているから奇妙さあくどさが目立っているのであって、決して悪いようにはなっていないんですよね。

カコハラもずっと続いていますが、これも食い扶持法案を通したいアピールでしょう。

却って逆効果なのにしつこくアピールを続けています。

これも🦌さんの闇を浮き上がらせているんですね。

これまであまり表に出てこなかったから分からなかったことが、一気にばれまくっていますよね。

 

ゆっくりと崩壊する時ってこうやって変化していくんでしょうね。

 

 

追記です。

 

家格が低く軽井沢の上流エリアに別荘を持てずテニスクラブにも入れなかった。

軽井沢の外れにある正田家の別荘からミテコさんは、会員でもないテニスクラブに自転車で日参してシナリオにあるチャンスを待った。

 

カップ&ソーサーどちらかが割れたらどうしてますか?