第一幕 第四章 Brotherhood

 

 十月十日 午後八時 都内某所

 

「はぁはぁ……なんで……今日は、こんなに暑いんだ?」

 

 男は言った。左手に大きなバッグを抱え、右脇には三脚のような物を抱えてる。その大きな身体は黒の衣装を身にまとい、一見すれば特殊部隊の工作員のようにも見える。外に設置されたビルの非常階段を、一歩ずつ上へと登っていく。汗が首筋を通って背中を滑り落ちる。ただでさえ、暑いと言うのにエアコンの室外機から聞こえるブォンブォンという音が、体感温度を2℃上昇させた。

 

「はぁはぁ……エレベーターが無いなんて、今時あり得ないだろ……はぁはぁ……ったく!」

 

 男は額に大粒の汗を浮かべながらも、なんとか屋上へと辿り着いた。

 

「九階までは……はぁはぁ……流石にキツい……」

 

 ヘナヘナと倒れ込むようにして、男はフェンスにもたれ掛かった。

 

「ピピ……こちら三月ウサギ。みんな状況を教えてくれ」

 

 イヤホンマイクから聞こえたのは、雑音混じりの聞き慣れた声。

 三月ウサギは不貞腐れたような声で言った。

 

「こちら、チシャ猫……はぁはぁ……待機ポイントに……はぁはぁ……到着しました……どう……ぞ!」

 

 チシャ猫は息も絶え絶えに応答した。

 

「ピピ……もしもし? こちら、眠りネズミ。住民の避難完了。今から6階に上がるところだよ」

 

 ひそひそ声で眠りネズミと名乗る女が言った。

 

「ピピ……こちらマッドハッター。ポイントに到着した。ところで、三月うさぎ。チシャ猫は運動不足を解消する為の努力を怠ってないみたいだぞ? お前はしなくていいのか?」

 

 さらにもう一人。三月ウサギを茶化したのはマッドハッターと名乗る男だ。

 

「ピピ……あーこちら、三月ウサギ。そうだぞ、チシャ猫! ラーメンばっか食べてたら、太るぞ!」

 

 チシャ猫は、ふう。と乱れた呼吸を整え、にやけながら言った。

 

「ウチは運動しなくても良いように、食事制限してるんですよ。だから月に一度のラーメンが楽しみなんすよ! コレなら、今月はもう一回ラーメン行かなきゃ割に合わないっすよ!」

 

「ピピ……あはは! 三月ウサギもチシャ猫を見習って運動したほうがいいよ?」

 

 眠りネズミは、ここぞとばかりに三月ウサギを茶化す。

 

「ピピ……黙れ! お前に付き合って毎週毎週ラーメンを食べさせられている俺の身にもなれ!」

 

 はぁ。とため息をつきながら、二人の痴話喧嘩に割り込んだのは、マッドハッターだ。

 

「ピピ……夫婦喧嘩なら、今回の作戦が無事に成功したあとにしてくれ! しかし、ラーメンというやつは確かに美味い。それに比べて『どこぞの魔女特製山の幸串焼き』ときたら………いや、これ以上はやめておこう……」

「てか、マサルさん! じゃないや……三月ウサギ。そろそろ時間です」

「ピピ……そうだな! みんな。こっからは気を引き締めていくぞ! SCS起動!」

 

《了解。SCS起動》

 

 掛け声と共に、頭の中で無機質な音声が鳴り響いた。

 

「——SCS起動。ETHER(エーテル)通信を最適化。ライブラルスキャンを起動。位置情報をアップデート、量子モニターとの同期を開始します……」

 

 その音声は聞こえると言うよりは、脳が感じている。というような感覚だった。

 

「——ETHER通信の最適化を完了しました。同回線に接続する、ユーザーを四名確認しました。『マサル・スズカゼ』『チヅル・スズカゼ』『サンクレッド・ウォータース』『モゲ・ヒゲ』を対象に自動PTマッチングを行います」

 

「リーダーはマサルさんによろしくっと……」

 

「——ホストユーザーの情報を確認。PTマッチングに成功しました。『マサル・スズカゼ』をPTリーダーに設定。量子モニター同期を完了しました。量子モニターを展開します」

 

 目の前に突如として展開される仮想映像。視界の右上には周辺地域のGPSマップが表示されている。左にはPTマッチングされた仲間達の詳細が表示されている。

 

「——ライブラルスキャンを量子モニターとリンクしました……ナビゲーションシステムを起動しますか?……」

 

「ん? なんだそりゃ? よく分からないから起動しなくていいか……」

 

 モゲがそう言うと……突然、目の前で光が弾け『白くてふわふわな何か』が現れた。

 

「ちょっと待つクポー。そこは起動するクポよ。まったくつれないクポね。僕はナビゲーターの『Moogle』クポ! あの有名な検索エンジンと一文字違いクポよ!」

 

 もふもふした身体と頭には黄色いポンポン。フワフワと宙に浮かぶ物体は『モグ』と名乗った。

 

「こ、これは……」

「クポ? モグのあまりの愛くるしさに、言葉を失ったクポ?」

 

 可愛らしい姿の裏に、何故か図々しさを感じる。とモゲは思った。

 

「あのすいません……皆さん聞こえますか? モゲです。こちらもSCSを起動しました。その……なんていうか……あれが出てきたんですけど……」

「ピピ……ああ、モゲ……こっちにもいる……」

「コラコラ! モグを突然出てきた白い化け物みたく言うなクポ!」

「ああ、やっぱそっちにもいるんですね……これって消せませんよね? 後々うっとおしくなりそうだなぁ……はぁ……」

 

 モゲはそう言って、深いため息を漏らした。

 

「ピピ……ねえねえ、マサル! 今SCS起動したらね、目の前にモーグリが出てきたんだけど、なにこれ! 触ってもいい?」

 

 千鶴はそう言って、楽しそうに笑った。

 

「ピピ……こちらサンクレッド。お前達はモーグリに会うのは初めてだったな、たいした役には立たんが、一応サポートプログラムの一種だ。俺は、そもそもこっちの人間じゃないから、サポートプログラムは組み込まれていない。お前達は実戦は初めてだろうからな。操作方法や調整方法を、今のうちに聞いておくといいだろう」

「ちょっと待つクポ! モグは、これでも優秀なナビゲータークポ? それなのに……ブツブツ……クポクポ……」

「あー……ごめんごめん。教えて教えて!」

 

 モゲはふて腐れるモグを、面倒くさそうになだめた。

 

「投げやりクポね……でもまあ、そこまで言うなら教えてやってもいいクポよ!」

 

 モグは空中でクルっと小躍りし、背中の小さい翼をパタパタさせた。

 

「この世界には『粒子』と呼ばれる、目に見えない小さい粒がそこら中にあるクポ。それは『原子』と呼ばれる単体だったり『分子』と呼ばれる集合体だったり、様々なものがあるクポ。元素記号って聞いたことあるクポ? 色々な原子の組み合わせで、この世界の物質は存在してるクポ。ビルも車も食べ物も飲み物も全部、粒子が集まって作られているクポね! そして、粒子をこれ以上分けられない。という位に小さくしたものを『素粒子』というクポ」

 

「一応、大学は出てるんでね。そこら辺くらいまでの知識ならあるよ!」

 

「おー! モゲくん優秀クポね〜。見込みあるクポよ! やる気のある子にはなんでも教えるクポよ。この世界の全ての物質は原子から成り立っているクポ『素粒子』っていうのは、原子やそれを形作る『電子、陽子、中性子』それよりもっと小さいニュートリノやクォーク等の電気や光。モゲくんの暮らす世界とは、異なる法則が働いている粒子のことクポ」

 

「ああ、それも知ってるよ」

 

「モゲくんは……ほんとに優秀クポね……コホンッ! SCSは基本的にMPと呼ばれるナノマシンを、身体に寄生させることで、宿主に無限のパワーを与える画期的な技術クポ。そのMPの持つ機能の一つが、ETHER(エーテル)通信と呼ばれるものクポ。コレは同じ素粒子を内包したMP同士のテレパシーのようなもので、素粒子の持つ特殊な法則を転用してるクポ! 簡単に言えば、生まれも育ちも一緒な双子のMP兄弟がいるとするクポ。その二人は結びつきがとても強く、どちらか一方に危険が迫ったり楽しい気持ちになったりすると、もう一方も同じ気持ちになったりドキドキしたりするクポ。双子ちゃんが打ち合わせなしで同時に話し始めたり、同時に同じことするとか、よくあるクポよね? その原理を通信に転用したのがエーテル通信クポ。どんなに離れていても、天気が悪くても、近くで電子レンジを使ってても、妨害されることはないクポよ! とっても安心クポねー!」

 

「それって、例えばだよ? エッチなこととか、悪口も伝わっちゃうってことか?」

 

「それは……各自のモラルに依存するクポね……でも、考えたことや感じたことを、全部伝達するわけじゃないクポ。そうクポね……こう考えるクポ! どんなに遠くに離れていても、すぐ隣にいるように話しかけることができる! 基本的にオープン通信は音声に反応するようになってるクポよ。だから普通に話しかければ通じるクポ。個人通信は暗号化されて相手に届くから、本人に直接呼び掛けない限り届かないクポ。例えばこんな感じクポ!」

 

「クポクポー! モゲくん聞こえるクポ? これはオープン通信クポ」

 

「——クポクポー! モゲくん聞こえるクポ? モゲくんにだけ話しかけてるクポよ」

 

「うわ! なんか頭に響いてきた!」

 

「——耳につけたイヤホンにスイッチみたいなのがあるクポよね? それを押しながら、話をしたい人を思い浮かべて話すクポ」

「——モゲ。聞こえるか? マサルだ! テストテスト」

 

「お? マサルさんの声が頭に響いてきた!」

 

「——こちらモゲ。聞こえてますよ」

「——これが、エーテル通信か……すごいな! 喋ってないのに、考えた事が相手に伝わるんだな!」

「——ほんとっすね! 科学がここまで進歩してるなんて……」

 

「ちゃんと使えたみたいクポね。これは、送りたい情報に『鍵』をつけて送って、相手が鍵を使わないと解読できないというシンプルなメカニズムクポ。だからこそ傍受されないクポね。ただ、最初は戸惑うかもしれないクポ。その内慣れるクポ! さて、ここからはエーテル通信で話すクポね」

 

「——この世界には対照的な二つの力が存在するクポ。それは『光・闇』または『霊極性・星極性』とも呼ばれてるクポ。『霊極性の力』これは相剋のちからクポ。鎮静と停滞をつかさどるもの。何にも染められる前の白、凪と平穏の象徴、それは「光」と呼ばれるているクポ。逆に『星極性の力』これは相生の力クポ。活発と発展をつかさどるもの。多くの色が重なると黒になるように、それを「闇」と呼んでいるクポ。分かりやすく言えば『色の三原則や光の三原則』と同じで、それを6つに分けたものを『6属性』と呼んでるクポ『火、土、氷、水、風、雷』のことクポね。『赤・緑・青=火・風・氷』コレらを混ぜることで、白になるクポ。これは霊極性クポね。『シアン・マゼンダ・イエロー=水・雷・土』を混ぜると黒になるクポ。こっちは星極性クポね」

 

「それってゲームの中の弱点とかのアレ?」

 

 千鶴は頭をポリポリと掻きながら言った。

 

「——ピンポーンクポ! ゲームの中だけではなく、本当に存在してるクポよ。例を挙げれば『火』は『氷』を溶かし『風』を起す。同じ霊極性でも、このように力の流れは存在するクポ。でも、この流れは絶妙なバランスで成り立ってるクポ! 『火』は『氷』を抑制し『氷』は『風』を抑制する。そして『風』は『火』を抑制するクポ。お互いが持ちつ持たれずの関係性クポね。どれかひとつでも力が強いと、バランスが壊れて、異常気象や自然災害を引き起こす可能性があるクポ。まあ、世の中バランスが大事クポ! そんな、属性の偏りを肉眼で見る事ができるのが『ライブラルスキャン』ってわけクポ」

 

「なるほどな……ちなみにだぞ、このSCSは一度起動したらずっと起動し続けるのか?」

 

「あっ! 確かにそこは気になりますよね? 起動していると疲れるとか、故障すると自分達にも影響があるとか……そう言うことってある?」

 

「まあ、二人が疑問に思うのも当然クポね。率直に言えば、SCSはその点はクリアされてるクポ」

 

 モグの含んだような物言いに、マサルは眉をピクリとさせた。

 

「なんだ? 随分と言葉を濁すじゃないか。何か問題でもあるのか? SCSは……ってのも気になるな」

 

「うう……マサルくんは意外と鋭いクポね……ちゃんと説明したほうが良さそうクポね」

 

 モグはSCS、MPがどう言う経緯で生まれたのかを語った。

 

「MPは基本的には、二種類あるクポ。一つは『エーテル』と呼ばれ、有機物に寄生して生命エネルギーを生み出す個体の事を指すクポ。つまり有機生命体とペアリング済みのMPと言うことクポ。もう一つは『マテリア』と呼ばれ、あらゆる物質に擬態化する能力を有している個体を指すクポ。無機物に付着して性質や情報を自身にコピーし、ペアリングせずに物質に擬態しているMPのことクポ」

 

 これら、エーテルとマテリアには大きな差は無い。最初に寄生もしくは付着したものが『有機物』なのか『無機物』なのかによって特性が変わるのだ。

 

「SCSはその二つを兼ね備えたハイブリッドMPクポよ! 例えば、ライブラルスキャンは君達の身体の機能を助長する機能クポ。これはエーテルの成せる技クポね。次にジョブチェンジ。これは服装や装備品等、目に見える部分に影響するものクポ。要するにマテリアの物質擬態化能力が成せる技クポよ」

 

「おおお。それってすごいな! マテリア化したMPさえあれば、色んなものを持ち運べるってことだよな?」

「平たく言えば、そういうことクポね」

「え! モグ! 私ジョブチェンジしてみたい!」

「そうクポね……実際にやってみるクポー! そういえば、君達はソウルクリスタルを持ってるクポよね?」

「ソウルクリスタル? 吉田さんからなんか貰ったような気はするけど……このペンダントのこと?」

「それクポ! それは『ソウルクリスタル』又の名を『ゾディアックストーン』というクポ。ぱっと見は、ただのパワーストーンだけど、実際はエーテルとマテリアの制御システムが搭載された超高性能なデバイスクポ! その石に意識を集中して、なりたいジョブをイメージするクポ。そして『ジョブチェーーンジ』と空高く轟き叫ぶクポ!」

「え? マジかよ……ダサくね?」

「ジョブチェーーーーーーーンジ」

 

 千鶴は空高く叫んだ。 

 

「…………マジか……」

 

 千鶴の身体は強い光に包まれた。

 それは、テレビアニメでよく見るなんの変哲もない少女が、ミラクルなセリフと共に魔法少女へと変身する『あのシーン』そのものだった。

 

「わあ! 何これすごいんだけど」

「バカ! 千鶴、大声出すな! バレたらどうすんだよ。作戦中なんだぞ?」

「ごめん! つい……てか、やってみてよ。こんなの声出ちゃうから」

「自分もやってみよっと! ジョブチェーーンジ」

「ま、まじか……よし、俺も! ジョブチェーーンジ!」

 

 都内郊外の閑静な住宅街。

 そこに軒並み佇む分譲型マンション。その中に、明らかに他とは違うマンションが一棟建っていた。敷地内には居住者専用の広々とした公園と立体駐車場。さらに施設内にはプレイルームやジム、さらにはレクレーションルームまで設けられている。高級デザイナーズマンションとはまさにこのことだろう。駐車場の来客者専用と書かれたスペースに、一台の白いワゴン車が止まっていた。周囲に怪しまれぬ様にと施した『涼風工務店』のペイントが、なんとも言えない違和感を醸し出している。

 

 マサルはワゴン車の中で、仲間達のバックアップを担当していた。

 

「なにこれ……普通さ、変身ってね……ピンチになった時とか、最後の切り札とかさ……そう言う時にするよね? それに比べて、俺はなに? ワゴンで一人でモニタリングしながらピカッと光って、地味に変身って……」

「こちらモゲ……ジョブチェンジ完了……マサルさんに激しく同意します」

「今回の作戦だってさ! マサルさんじゃ、家ごと爆発させちゃうからバックアップに回ってくれって……それじゃまるで俺が加減の利かない奴みたいじゃん! モゲはさぁ、機工士だろ? いいよなぁ……狙撃とかカッコいいしさ……」

「いや、ほらマサルさんは最終兵器だから!」

 マサルはハンドルに手を掛け、助手席に視線を落とした。

「てかモグ! このエーテルなんとかってのは、本当に役に立つのか?」

 

 そこには真鍮の精巧な装飾が施された、二〇センチ程の水晶の結晶が無造作に置かれていた。

 

「それの説明が未だ、だったクポね。それはエーテルエクストラクター(白聖石)と言って、任意のMPを無効化できるクポ。要するに相手のエーテルを封じ込めるってことクポね」

「切り札ってわけか……」

 

 マサルは、どこを見るでもなく視線を車窓に向けた。この街のどこかで、我が子が自分の助けを待っている。そう思うと、いてもたってもいられなかった。

 

「あー! 俺も現場に行きたいよぉ。チャチャっと乗り込もうぜ!」

「ダ、ダメくぽよ! 慎重に行動するクポ!」

「まあまあ、焦る気持ちはわかりますが落ち着いてください」

 

 モゲはカバンから双眼鏡を取り出しマンションの一室を覗き込んだ。

 開けっ放しになったベランダのカーテンのおかげで、リビングが丸見え状態になっている。

 そこには、仁王立ちする青年と黒いフードに赤い仮面をつけた人物がいた。そして、その肩には年端のいかない子どもが脚をばたつかせて、暴れているのが見える。

 

「千鶴さん、そっちはどうですか? 何か聞こえますか?」

「ちょっと待ってね……キャッ!」

「おい! 千鶴どうした!?」

 

 マサルはワゴン車のドアノブに手を掛け、今にも車を飛び出さんばかりの体勢で言った。

 

「ごめんなんでもない……ただの虫……」

「ふざけんなよ……びっくりするだろ!」

 

 千鶴は表札の横に601号室と書かれた家の前でしゃがみ込み、数名の男と共に何かの機械を操作していた。中で何が行われているのか、想像もつかない。千鶴はドア越しに目を瞑り仲間の無事を祈った。

 

「音声の送信まで少し時間が掛かるかも! エーテルを中和しないと直ぐにバレちゃうらしいから……って、なんか虫がしつこいんだけど! 追い払っても追い払っても、逃げない!」

「そんなもんは、叩き潰してやればいいだろうよ! 虫くらいでピーピー言うなよ」

「……やった! 叩き落とした!」

「千鶴さん……学者っすか? それって……妖精じゃ?」

「あっ……」

 

 千鶴は地面でピクピクしている小さな妖精に、そっと合掌した。

 

「こちらサンクレッド。中の状況次第だが、こっちはいつでも行ける。千鶴、君は万が一に備えてサポートを頼む」

 

 サンクレッド・ウォータース。暁の血盟が誇る『独立型特殊AI』を搭載された機械生命体であり、超高性能AIハイデリンとは、完全に思考プログラムが切り離されており、『個』として活動している。

 

 その見た目は、完璧な人の形をしており、金髪でイケメンイケボと、まさにパーフェクトである。彼の思考傾向はゲームの中の設定が色濃く反映しており、ジョブは『ガンブレイカー』である。諜報や潜入任務を好みガンブレイドと呼ばれる、銃身に剣が取り付けられた特殊な武器を愛用している。エーテルを弾倉に込めて撃ち出すことで、一時的に魔法のような効果を発動させることも可能で、その特異な性質と突破力は急襲作戦においては、右に出るものはいない。

 

「サンクレッド、サポートは任せて! それとエーテルの中和に成功したよ。今から『室内の音声データ』をみんなに転送するね」

 

 千鶴は怒り狂う妖精に掌を合わせて、謝りながら言った。そして、暁の構成員であろう男から横差し出された白聖石を握り、静かに目を閉じた。すると、石の内側に小さな文字が浮かび上がる。そこには、シャーレアンと書いているのだと暁の男は言う。

 

「シャーレアンってあの?」

 

 千鶴が首を傾げて男に質問すると、男は小さな声で語った。

 

『シャーレアンの賢人』——白聖石を開発した世界最高峰の化学者集団。

 暁の血盟に協力する組織は、世界中に多くて存在する。しかし、その中でも特に異質な存在が、彼らだという。彼らは誰よりも早く、シド博士が提唱するMPに注目し、自分達との共同研究を博士に持ちかけたのだ。

 その本拠地は、直線距離にして日本から約9500キロ。永世中立国『スイス連邦』にあった。

 通称スイスは中央ヨーロッパに位置する連邦共和制国家。欧州自由貿易連合に加盟しているほかバチカン市国の衛兵はスイス傭兵が務めている。歴史によって、西欧に分類されることもある。

ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインに囲まれた内陸に位置し、国内には多くの国際機関の本部が置かれている。首都はベルンで、主要都市にチューリッヒ、ジュネーヴ、バーゼル、ローザンヌなどがある。さらに、スイス国内に最先端の研究所を置く世界的な大企業も少なくない。その代表的な例が米IBMのチューリヒ研究所。スイスで60年の歴史を持つ同研究所が世界のナノテク・ブームの基礎を作った。ナノ・テクノロジーは1ナノメートル(10億分の1メートル)級の構造を扱う技術で、かつてIBMが主導したコンピュータの小型化に大きく貢献した経緯を持つ。そんなチューリヒ研究所の研究員を主体とした、科学者集団を『シャーレアンの賢人』と呼んだ。何を隠そう、シド博士は若干10歳にしてスイス連邦工科大学チューリヒ校を首席で卒業しているのだ。そんな、シド博士とシャーレアンの賢人による、共同プロジェクトで開発されたのが、エーテルエクストラクター。又の名を『白聖石』という。

 その性能の一つがジャミング機能だ。それは、電気信号を発する、ありとあらゆる物の機能を停止させることができる。通称「EMP爆弾」と、言われる物と同じ効果を、任意の場所に発生させることができるのだ。

 

白聖石が淡い光を放つと、千鶴のエーテル通信を介して、室内の音声がそれぞれの脳に転送された。

 

「——ガキ! 暴れるんじゃねえっつの! お前には何もしねえよ……俺達はお前のママが隠した、お宝が目当てなんだよ。早く教えろよ! じゃねえと兄貴がどうなってもいいのか?」

「——やめろ! 兄ちゃんに触るな!」

 

「みんな聞こえてる? このままじゃまずいよ」

 

「事態は一刻を争うようだな。モゲ、俺が突入する突破口を作ってくれ」

「了解」

 

 モゲはふう。と一呼吸おいて言った。

 

「サンクレッド。私もサポートに回るから、アイツのことよろしくね!」

「ああ、任せておけ」

 

 サンクレッドは、一つ上の階にいた。

 

 701号室。

 

 この部屋の住人は、ITエンジニアなのだろう。この世界の家具や衣類がどの位の価値があるのかは、わからない。だが、どれも良い物ばかりで、値打ち物なのだろう。サンクレッドは額縁に飾られた若い男の写真を見て思った。

 

「マサル。お前は最後の砦だ! もしアシエンのやつが逃げた時は頼んだぞ」

「任しときな! サンクレッド、アイツのこと助けてやってくれ」

「ああ。みんな、行くぞ!」

《了解!》

 

 こうして、大切な仲間を救うため。彼らは『闇』との壮絶な戦いへと身を投じて行くことになる。だが、この時の彼らには知る由もなかった。闇は既に世界を蝕んでいるということを……

 

 一方、その頃

 

「——ツ! ユウキ!」

 深い森の中を細い獣道が続いている。

 鬱蒼(うっそう)と生い茂る淡い緑の絨毯と、樹々の隙間から差し込む光のカーテンが、幻想的な空間を作り出している。木の葉は風に揺れ、銀木犀の白い花は地面へと舞い落ちた。

「ユウキ! ユウキ、どこだ!」

——確かにさっきまで自宅のリビングにいたはずだ。何故、森に?……

「そうだ! 赤い仮面の女は?」

 あたりをキョロキョロ見回すが、人の気配は感じられない。

 するとそこに。

——あれは? 兎?

 一羽の白い兎が茂みから顔を出した。

 その何色にも染まらない純白は、あたり一面の緑の中で一際目を引いた。まさに、万緑一紅ならぬ、万緑一白と言える。

 白兎はピョンと空中で小躍りを見せ、森の奥へと駆け出した。

「着いてこいってことなのか?」

 彼は白兎に導かれるようにして、森の奥深くへと足を踏み入れた。

 しばらく進むと、開けた場所に一本の切り株があった。

 その大きさからして数十年、いや数百年もの間、森を見守ってきた巨大な樹だったのだろう。所々から新たな枝を出している。命の器としての使命を終えて、なお、新たな命を育み続ける姿は神々しく、まるで呼吸をしているかのようだった。

 彼はその切り株にそっと腰掛けた。

——まるで呼吸をしているみたいだ。

「樹や草花だけじゃなく、そよぐ風ですらも、生き生きしている。ここにいると自分もそんな自然の一部になったように感じる……てか、そんなことをしてる場合じゃない! 早くユウキを探さないと……でもここは……」

「く、くるしい……」

「……ん?……今何か聞こえたような……」

「……う、動けない……」

「この声はどこから……」

 彼は辺りを見回し声の主を探した。

「なんか、この切り株……やけに柔らかいな」

「う……う……この人気づいてないクポ?」

「まだだ。この声はどこから聞こえるんだ?」

「も、もう限界クポ……」

 その時だった。

 切り株に腰掛けた彼の身体を、何かが押し退け飛び出した。

「——ッ! うわ、何だ!」

「クポーーーーーーーーーー」

 白い塊が、まるでシャンパンのコルクのように勢いよく宙を舞い、ドスンと地面へ落ちた。

「痛てて……もう……何だじゃないクポよ! モグがいる事、本当に気づいてなかったクポ?」

 つり上がった細い目と真紅に染まる真っ赤な鼻。コウモリを思わせる異形の翼。真っ白な毛皮に覆われた丸い身体は、フワフワと宙に浮かび彼を睨みつけた。

「もしかして……モグ?」

「ああ…昔はよかったクポ『純粋・素直・優しい』の三拍子揃った可愛い男の子で、モグを大事にしてくれてたクポよね〜。それが、何をどこで間違えたのか、今はモグをクッションと間違えてお尻に敷くし、疑り深いし、おまけに鈍感クポ……何より、命の恩人に随分な仕打ちをするクポ……」

「お、お前は……本当にモグなのか? まさか、そんなはずない。モグは……俺が小さい頃に、大事にしていたぬいぐるみだ……」

「はぁ……本当に変わってしまったクポね……悲しいクポ」

「くっ……何が何だかわからなくなってきた。気付けば森の中にいるし、かと思ったら、ぬいぐるみが喋るし……きっとこれは夢だ! そうに決まってる」

「はぁ……まだわからないクポ? ここは夢じゃないクポ! 君は今、生と死の狭間を彷徨ってるクポよ。本当に危なかったクポ……あと少しモグの反応が遅かったら、君はカチンコチンの石になってたクポよ!」

 モグは、やれやれ。と両手を広げ呆れ顔で彼に言った。

「どう言うことだ? これは夢じゃないって言うのか……」

——まてまて、生と死って……俺は死んだのか? 状況が全く飲み込めない……

 彼は自身の記憶を探るように、ゆっくりと目を閉じた。

「……そうだ! 俺は自宅のリビングにいたはずだ。それに、あの仮面の女は……あの女が突然家に現れて……ユウキを……アイツがユウキを無理矢理連れて行こうとして……俺はそれをやめさせようと、止めに入った。その後は……この森にいた」

「やっと思い出してきたクポ? 全く寝坊助くんクポね。あの女の名前は、アシエン・イゲオルムというクポ」

「アシエン・イゲオルム? その名前なら知ってる。それってゲームのキャラクターの名前じゃないか?」

 モグは顎に手を当て少し考えた後、何かを思いついたのか、空中でクルッと身を翻して言った。

「そうだ! これを見るクポよ。君に万が一のことがあった場合、これを見せるようにママさんから言われていたクポよ」

 そう言って、モグは手を空にかざした。

「クポクポーー」

 モグがそう言うと、辺り一面に鬱蒼と生い茂る緑が、キラキラと輝きを放ち、空へと舞い上がった。

 草花、樹々、葉の一枚一枚に至るまでが、幾何学的な形に切り取られ、天へと吸い込まれていく。

 それはまるで——森が浄化されていくみたいだ。

 彼はそう思った。

 しばらくすると、森は完全にプラネタリウムのような空間へと変貌を遂げた。

——こ、これは?

「びっくりしたクポ? 今までの森はただのホログラムクポ。モグの登場を彩る演出クポね。これが本当の姿クポ!」

「ハイデリン! Archive No.426を再生して欲しいクポ」

「ハイデリン? モグ、お前は一体何を?」

「いいから黙ってみるクポよ!」

「——Archive No.426 Dr.Uezi 2010.09.15 《Happy birthday》を再生します」

「2010.09.15……俺の誕生日だ。それにドクター植地って、母さんのことじゃないか」

 目の前に突如として現れる、六〇インチほどのモニター。

 彼はその画面に映る一人の女性に視線が釘付けになった。

「こ、これは……母さん?」

「——今日は、九月十五日……十歳の誕生日おめでとう。母さんの宝物。今まであまり傍にいてあげられなくて、ごめんね。母さんは『良いお母さん』じゃなかったよね? でもね……貴方のことを心の底から愛してる。この世界に生まれてきてくれて、ありがとう。貴方が五歳の時、ミトコンドリア病と診断されて、お母さんは自分を本当に呪ったわ……皮肉にも自分が研究している病気を、自分の息子が発症するなんて……でも、貴方のことを産んで後悔なんて一度もしたことはないわ! 母さんもお父さんも、貴方に出会えてとても幸せよ。それはコレからもずっと変わらない……これだけは言っておきたかったの。この五年間、大変なこともあったけど、それも今日でおしまい。母さんやっと、貴方の病気を治す方法を見つけたの。もう、サプリメントや苦い薬も飲まなくて良いのよ! 運動だってできるし、身体だって大きくなれるわ! それもこれも、志堂おじさんのおかげよ。もちろん、父さんの協力があってのことだけどね! 二人には感謝しても仕切れないわ……」

——母さん……

「——それとね、弟が欲しいって言ってたでしょ? 実はね……貴方にも弟ができるのよ!」

 そう言って母は、椅子にもたれかかり、突き出た腹部をさすってみせた。

「——ほら、今動いた! 貴方もお兄ちゃんに会えるのが楽しみなのね!」

「——植地、お前まだ帰る支度してないのか?!」

「——あ! 志堂先輩! 今PC落とすところです」

「——お前なぁ……ほら、行くぞ! 久々に『チーム・エンタープライズ』が集まるんだ。旦那と子供が“首を長くして“待ってるぞ」

「はーい! じゃあ、今日の記録はここまでっと……Archive No.426 Dr.Uezi 2010.09.15 《Happy birthday》よし! これでオーケー」

 映像はそこで途切れた。

「——アーカイブの再生を終了します」

「ママの姿を見るのも久しぶりクポね……クポ? どうしたクポ? 久しぶりのママの姿に感動したクポ?」

「モグ……どうしてこれを?」

「ママさんに頼まれてたクポよ! 君がピンチになったら見せて欲しいって言ってたクポね」

「ピンチ? じゃあ、俺は本当に死んだのか?」

「何言ってるクポか? そんなはずないクポよ! 確かにギリギリだったクポ……でも優秀なモグがギリギリで助けたクポ」

「ハイデリン。プロトコルを再生クポ」

「——エマージェンシープロトコルを再生します」

 

「——本当はこの力を使わずに済んでくれたなら、どれだけ良かったことか……この映像を貴方が見ているということは、事態は最悪の方向に向かったということね……いい? よく聞きなさい。この映像は貴方の身体に寄生させた、MPシステムという、デバイスに記録された映像なの……」

「ちょ、ちょっと待って母さん。くそっ! 力ってなんのことだ? デバイスって?」

 唐突に母から明かされる自身の身体の秘密。身体の内側から聞こえてくるその声に、まるでそこに母がいるかのような、そんな感覚を覚えた。彼は目を瞑り、懐かしい母の声に耳をすませた。

「——突然そんなこと言われても、訳わからないわよね? 一体何から話せばいいかしら……母さんの一族はね。昔から『ある難病』と戦ってきたの。人が生きる為のエネルギーを生成する『小器官・ミトコンドリア』そのミトコンドリアがうまく機能せずに、エネルギーの生成がスムーズに行かなくなる病気。それが『ミトコンドリ病』母さんの一族は、その難病を高確率で発症する特異体質だったの……いつ発症するか、わからない病気。もし、自分が発症しなくても、子供や孫の世代に発症するかもしれない。おばあちゃんも、ひいおばあちゃんも、ずっと苦しんでた……だから母さんは、その難病を治す為に人生を捧げるって決めたの。でも、そんなある日……父さんと運命的な出会いをして、貴方を身籠った。本当のこと言うと、貴方を産むこと、悩んだわ……。もし、生まれてくる子がミトコンドリア病をだったら? もし、私が途中で発症したら? そう考えるとすごく怖かった。でも、そんな母さんに父さんが勇気をくれた。それで、貴方を産む決意をしたの……でもね、現実は甘くなかった……貴方が六歳の時ミトコンドリア病を発症してしまったの。自分の血を心底呪ったわ……でも、ある人の力を借りて『ミトコンドリア病」の治療法を作ることに成功したの! それが『MPシステム』ミトコンドリアの機能を管理・補助する、医療用ナノマシン。そのMPシステムの起動装置をソウルクリスタルと呼んでるわ。母さんがあげたネックレス持ってる?」

——ネックレス?

 彼は自身の首にかけられた、ローズクォーツのネックレスを手に取った。

「これは……十歳の誕生日に母さんがくれた……お守りだ」

「——そのネックレスの名前はゾディアックストーン。あなたの持ってるストーンは黄道十二宮の乙女座に位置する『ヴァルゴの聖石』よ」

「ちょ、ちょっと待って! 母さんは一体なんの話をしてるんだ? それに、そのゾディアックストーンって……」

「——母さん達は病気の治療法を探す中で、この世界の『ある仕組み』に気がついてしまったの。それは"どんな物にも記憶がある"ということ。そして、母さん達は、その記憶を操作することに成功したの。貴方の病気が治ったのも、発症する前の細胞の記憶を、発症後の細胞に読み込ませてるからなの。自分の身体の最も優れた状態を、自由に引き出すことができる。それがソウルクリスタルシステムなの。貴方の十歳の誕生日に渡したネックレス。それが貴方の力の源になるわ! 絶対に手放しちゃダメよ!」

「おい、こっちだ! ドクターウェッジはこの中だ! 確保しろ。もし抵抗するようなら撃ち殺しても構わん!」

 荒々しい男達の声が聞こえる。

 おそらくは、母はどこかの部屋に立てこもっていたのだろう。そして、何者かによって、その扉が破られようとしているのだ。

「くっ! 時間切れね……よく聞いて! 本当はもっと色んなことを教えてあげたかった……母さんや父さんが居なくても大丈夫よね? 貴方は一人じゃない。ユウキがいるわ。世界にたった一人の弟。どんな時も二人で乗り越えるのよ!」

「おい! いたぞ! 確保しろ!」

「暁の吉田さんを頼りなさい『ウェッジの息子』と言えばわかるから! それと、困ったことがあったらモグを呼びなさい! いいわね? 愛してるわ。私の可愛いウサギちゃん……貴方にクリスタルの加護を……」

 映像はそこで終了した。

「……母さんと父さんは……事故で死んだんじゃなかったのか?」

「ママは……きっと生きてるクポ……」

「え?」

「アシエンなら偽装工作くらいお手の物クポ」

「ちょっと待ってくれ! さっきから訳がわからない……てか、そもそもどうしてお前は動いているんだ?」

「この後に及んで、まだそんなこと言ってるクポ? よく聞くクポ。FF14は表向きはゲームでも、本当は秘密組織アシエンと超高性能AIゾディアークを封印するための、セキュリティプログラムクポ。この世界にはアシエンも存在するし、暁もいるし、魔法だって存在してるクポ。ママとパパはソウルクリスタルシステムの更なる可能性をシド博士と一緒に研究してたクポ。そして、完成したのが『LBC(リッミットブレイクコード)』これは、まだ研究段階の技術で、宿主への負担も大きいクポよ。そのせいでアシエンに狙われたクポよ! 」

「…………」

「信じられないって顔クポね……なら、ママの言う通りにしてみるクポよ! SCSを起動するくぽ。君にはその資格があるクポ! それに外ではユウキが大ピンチクポ! 早く助けに行かないと!」

「——母から託された想い。そして、その力で闇を払うのです。私はハイデリン。この世界に平和と秩序をもたらす者。貴方はここにいるべきではありません。光の戦士よ! さあ、目覚めるのです!」

 光が彼の身体包んだ。

「くっ! よくわからないけど……やるしかないってことか。ユウキ、待ってろよ! 兄ちゃんが今助けてやる!」

 

            ◇

 

 

「ガキ! 暴れるんじゃねえっつの! お前には何もしねえよ……俺達はお前のママが隠した、お宝が目当てなんだよ。早く教えろよ! じゃねえと兄貴がどうなってもいいのか?」

「やめろ! 兄ちゃんに触るな!」

「ヒャハハハ。お前なかなか根性あるなぁ。ウェッジもこんなクソガキを『ウサギ』なんてよく呼べたもんだぜ……母親ってのはつくづくわからないもんだねぇ……おい、ウサギ! いい加減にママから預かった石を出せ!」

「僕の名前は、ウサギじゃない! ユウキだ!」

「あーめんどくせえ……こんなガキ、ぶっ殺してやりてえけど、システムを起動するには生体認証が必要だから、そうもいかねえんだよなぁ……」

「離せ! このクソババア!」

——この声は……ユウキ? 

 ぼやけた視界の先に、窓から差し込むわずかな星灯りに照らされて、見覚えのあるウサギのTシャツを着た、小さな人影がうっすらと見えた。

 次第にはっきりしていく視界と記憶で、彼は弟の名前を呼んだ。

「ユ、ユウキ?」

 彼がそう言うと、聴き慣れた声がすぐに返ってきた。

「兄ちゃん!」

 その声に、彼はハッとして我にかえる。

——ッ! 俺は戻ってきたのか? ここは? リビングか……

「——ッ! はへっ? って、おいおい……マジかよ……」

 素っ頓狂な声をあげ、黒づくめの女は彼に歩み寄った。

「あんた意外とやるんだねえ。生身で私のブレイク(石化魔法)を破るなんてな!」

 そう言って女は、暗闇に立ち尽くす彼の顔を、赤い仮面越しに下から覗き込んだ。

「——聞こえるクポ? モグがついてるクポ! モグは君の頭の中にいるクポよ」

——モグ?

「——意識ははっきりしてるみたいクポね」

「しっかし、なんでだろ? 俺ってば知らず知らずの内に手加減したとか? はぁ……これだから生理は嫌なんだよなぁ……どれだけ、科学が進んでもこればっかりはどうしようもないんだよなぁ……こう見えても俺は女だからなぁ……って何を言わすんだよ! あぁ、調子が狂う……さっさとこのバカぶっ殺して、石持って帰ろっと! でも、どうやって殺そうかなぁ?」

 そう言って、女はユウキを肩に抱えたまま、ヒョイっとリビングのテーブルに飛び乗った。

「焼死? 溺死? 圧殺? 絞殺? 撲殺? それとも、飛び降り自殺に見せかけるために窓から突き落とす? ギャハハハ! どうしよっかなぁ?」

——モグ、俺はどうしたらいいんだ?

「あれ? あれあれ? お前まさかビビってんの? なんだ大したことないなぁ……弟ウサギくんは、必死にお前を助けようともがいているって言うのに、兄貴がこんなじゃ弟も大変だよなぁ」

「——いいクポ? ママからの言葉覚えてるクポか? ソウルクリスタルシステムを起動するクポ!」

——どうやって! 

「おい! なんとか言えよ! このクソが! てめえ如きが俺の術を軽々しく解いてんじゃねえよ! オラ!」

 その時、彼のみぞおちに、女のつま先がめり込んだ。

「——ッツ! グハッ!」

 痛烈な痛みに、彼は腹部を押さえその場にしゃがみ込んだ。

「聞いてんのかよ? あん? もう一発くらいてえか? カスが!」

——息ができない……クソッ!

「はぁ、はぁ……ユ、ユウキを離せ……」

「——大丈夫クポ!? このままじゃ、何をされるかわからないクポ! 早くシステムを起動するクポ!」

——だけど……

「はぁ……なんか興醒めだよ! ユウキを離せだってよ……は? 離さなかったらどうなるわけ? お前に何ができるわけ? お前はさ、役立たずのただのクズなわけ! 分かるだろ? お前は母親にも見放されてるわけよ。ウェッジが愛してたのは、お前じゃなくて弟のユウキなわけ! お前はママの可愛いウサギちゃんにはなれなかったんだよ! ギャハハハ!」

 女はテーブルから飛び降り、暗闇の中で身をよじらせながら醜悪に笑った。

「にいちゃんに乱暴するな!」

「はいはい、可愛いウサギちゃんはちょっと黙っててね! お姉さんは少しだけ、クソお兄ちゃんとお話しするから!」

 そう言って女は、ユウキの顔に軽く手を当てた。

 すると、さっきまで暴れていたユウキが、スヤスヤと女の肩で寝息を立て始めたのだ。

「ユ、ユウキに何をした!」

「——大丈夫クポ。さっきのは睡眠魔法クポ! ユウキくんはただ眠ってるだけクポ」

「おいおい! そんな目で見るなよ……仕方ないだろ? このガキと話してても埒があかねえからな! お前たちは兄弟だ。お前も知ってるんだろ? ウェッジがこのガキに小さい石を渡してるはずなんだよ。まさか、知らねえなんてことはねえだろ? 兄弟なんだしよ! 言わないと、お前の弟は二度と太陽を見ることができなくなっちまうぞ?」

「ひ、卑怯だぞ」

——モグ。それで? 俺はどうしたらいいんだ?

「——ソウルクリスタルを握って……願うだけクポ!」

「卑怯? ふふふ……あははは……ギャハハハ……お前……バカか? 卑怯も何もねえんだよ! そんなの当たり前のことなんだよ! 目的のために手段なんて選んでられるかよ。俺達は世界を救うっていう大義名分があるんだからな!」

——願う……

 彼は静かに目を閉じた。

「ん? どうしたどうした? 瞑想か? ギャハハハ! まったく、だらしねえ……でもお前には同情するぜ……」

「…………」

「——ユーザーの認証を完了しました。ユーザー名『黒ウサギ』ソウルクリスタルシステム起動します」

「残念だけど、時間ぎれだ……さあ、言え! 石のありかを教えろ。じゃなけりゃ、お前の弟を殺す!」

 彼の願いに呼応するように、胸元のソウルクリスタルが眩く光を放ったのだ。

「——っ! なんだなんだよ!」

「…………母さん?」

 光はあっという間に三人を飲み込んだ。

 

 

一方

 

 

 例えこの身体がボロボロになろうとも、家族だけは守り抜いてみせる。

 マンションを見上げながら、彼は心でそう呟いた。

 身体中のあちこちが悲鳴を上げている。それに意識が遠ざかる感覚が徐々に短くなっていっている。

 

「今助けに行くからな……」

 そう言って、左手を強く握った。

「パパッ! 痛いよ!」

 その声にハッとして、左手の力を緩める。

「ごめんごめん!」

 彼は申し訳なさそうに、左手に握られた小さな手をさすった。

「パパ、ここどこ?」

 サクヤは無垢な瞳で彼を見上げて言った。

「ここにはパパの大切なお友達がいるんだよ」

「パパのお友達? サクヤもお友達になる!」

「パパ! おもち?」

「おうちゃん! 喋れるようになったんだね! おもちじゃないよ。お友達だよ」

「おもちーおもちー。パパのおもちー!」

 右手に抱えた小さな我が子。

 子供とはこんなにも早く成長するものなのだろうか。半年前までの記憶がすっぽり抜けている。

 彼は満面の笑みを浮かべ、我が子に頬擦りをした。

「パパーお髭痛いよ!」

「おひげ! おひげ!」

「そうそう。おひげだよ! おうちゃん!」

——ライト……千鶴……必ず迎えに行くからな……

「二人とも、ちょっとここでお留守番できるかな?」

 そこは、マンション入り口前に設置された掃除用具を入れる小さな小屋だった。

「サクヤ、夜怖い! サクヤも行く!」

 大人がやっと一人入れるくらいの小さなスペースだ。

こんな場所に四歳と二歳の小さな子供を残すなんて。彼は断腸の思いで、幼い我が子を抱きしめた。

「……そうだ! 帰りにコーラ買ってきてあげるから、お留守番してて!」

——ライトはどうしているだろうか。

 一人、残してきた息子のことを思い、胸がギュッと締め付けられる。

——ライト……必ずお前もお母さんも無事に助け出して見せるからな!

「じゃあ、サクヤ! おうちゃんのこと頼んだよ」

「うん……サクヤ……お留守番する!」

「よし! 良い子だ! 直ぐ戻るからね」

 そう言って、彼は笑顔のままゆっくりと用具室の扉を閉めた。

「うさ吉……ユウキ……今助けに行くからな!」

 そして、異形の者はマンションを見上げた。