第一幕 第三章 God knows
           
        《1/マサル》

 唐突に網膜に映り込んできたのは、自宅のバルコニーだった。辺りは夜の帳にシーンと静まり返り、動物の鳴き声一つ聞こえない。

 耳の奥がキーンとする。それに目もチカチカする。おまけに身体のあちこちが軋むように痛い。
 
 まだ十月だというのに、凍えるほど寒い。
 
 買った覚えのない麻のジャケットに身を包み、猫のように背中を丸くし、バルコニーの扉に手を掛けた。
 
 金属の軋む音が、あたり夜の闇にこだまする。
 寝室と子供部屋をつなぐ廊下は、インテリアショップで買ったデザインランプの灯らされ、凍えた身体を優しく包む。チェストに置かれた安物の芳香剤は、相変わらず香りがしない。
 
 足下に視線を落とすと、ジーンズの脛のあたりが、破れて黒く濡れているのがわかった。

——コレは、血? 
 
 バタンッと背後から聞こえる扉の音に、ビクンと身体が反応する。この足も、この手も、身体の全てが、他人のモノのような気がしてならない。
 
 だが、この凍えるような寒さと、腹の底から湧き上がる飢えだけは、とてもリアルに感じる。
 
 寝室には妻と子ども達がいるはずだ。そう考えると、何故か腹の虫がグゥーっと音を立てた。
 
 込み上げる激しい飢えを、必死でこらえながら、俺は寝室へと向かった。

——足が思うように動かない……
 
 幸いにも痛みは無いが、どうにも上手く歩けない。
 
 俺は足を引きずりながら一歩ずつゆっくりと歩いた。そして寝室の扉をゆっくり開けると中に入った。
 
 常夜灯の微かな明かりに照らされて、子ども達がスヤスヤと寝息を立てている。

 ——我が子ながら、まるで天使の寝顔だ……
 
 その柔らかそうな頬も、プルンとした二の腕も、布団からはみ出した足も、その全てが愛おしい。
 
 口の中を急速に唾液が満たしていく。それを、ゴクリと飲み込むと心臓が一際強く脈打った。
 
 その瞬間、頭の中で何かが囁いた気がした。

「——闇ヲ受ケ入レロ……」
 
 暗く陰惨なその声に、俺の中で何かが弾けた。

「アァ…………」
 
 緩んだ口元から、唾液が滴る。

「おい! おまえ、そこでなにしてる!」

——誰かが俺のことを呼んでいる。可愛い我が子との時間を邪魔するのは誰だ?
 
 俺はゆっくり振り返った。すると、そこには……
 
 もう一人の俺が立っていた。


           ◇
 
「乾杯!」

「カンパイ!」
 
 今日は俺達夫婦の結婚記念日だ。
 
 子ども達を寝かしつけた後、二人で晩酌をするのも何度目だろうか。欲を言えば、夫婦水入らずでオシャレなディナーを、と言いたいところだがそうもいかない。
 
 俺達には三人の子どもがいる。
 
 一番上の"ライト"は今年で十才になる。ようやく手が掛からなくなってきて、兄としての自覚が出てきた。
 
 真ん中の"サクヤ"は今年で四歳を迎えた天真爛漫を絵に描いたような女の子だ。この子は、目に入れても痛くないと胸を張っていえる。
 
 そして、末っ子の"オウハ"は一歳に成ったばかりのヤンチャな男の子だ。爆音の夜泣きにさえ、目を瞑れば健康的で愛嬌のある子だ。

「なあ、千鶴……」

「ん? なあに?」

「最近……変な夢見るんだよ」

「どんな?」

「気が付くと、家のバルコニーに怪我をした状態で立ってるんだよ。そして、お腹が空いたからって子ども達を食べようとするんだよ……でも、そんなことしちゃダメだって、必死に我慢するんだよ。んで、後ろから物音がして振り返ると、そこにはもう一人の俺がいるんだ。そこでいつも目が覚めるんだ」

「なにそれ、サクヤが可愛いからって食べようとするのはヤバいよ?」

「だよな……でもさ、不思議なんだよ」

「どういうこと?」

「自分じゃないというか、誰かの目線というか、怪我の痛みとかも、感じるには感じるんだけど、実感がないというか……まあ、夢だからな。痛かったら夢じゃないよな」

 夢は悪いことの前触れ、良いことの予兆、何かの暗示。突拍子もない夢だったり、笑っちゃうような夢を見ることもある。それらは、あくまでも夢であり現実じゃない。

 寝ている間に脳が作り出した、幻覚だ。でも、こんな話しも聞いたことがある。

 それは"予知夢"や"啓示"といった奇跡の類いだ。先祖が夢枕に立つなんて話しも聞いたことがある。

「あはは! ねえ、その夢のこと気にしてんの?」

「そりゃ! 気にするだろ『あの夢』のこともあるしな」
「あの夢と……関係あるってこと?」

 歯車は音もなく回り始めた。この数分後に俺達は、自分達が歯車の一部だと言うことを、思い知らされることになる。きっかけは一つの夢だった。
 
         《1/千鶴》

 あれは、一週間ぐらい前のこと。外食から帰ってきた私達は、仕事の疲れと少しお酒も入っていたこともあり、帰宅して程なく床に着いた。時間は二十一時くらいだったと思う。

 ふと、気が付くと、そこは透き通るような真っ暗な世界で、私は暗闇に身体を預けフワフワと宙に浮いていた。

 すると、暗闇に一つの小さな光が見えた。その光は徐々に私に向かって近づいてくる。いや、大きくなっているのかもしれない。暗闇の中では、距離という概念が正しく理解できない。

 光はあっという間に闇を白く染め、私はその眩さに思わず目を瞑った。

「——ザザッ……クリスタルに導かれし光の戦士よ。世界は闇に覆われようとしています。どうか……ガガッ……あなた達の光の意思で世界を救ってください」

 ノイズ混じりの声が唐突に耳に入ってきた。いや、頭に響いてきたと言った方が正しいのかもしれない。

 瞼を開くと、キラキラと輝くクリスタルの塊がそこにあった。

——これって! 

「え……世界を救う?……」

 夢というのは実に唐突だ。目を開けた瞬間に世界を救えと言われる。私の言葉は真っ白な空間に響きもせず消えていき、クリスタルは淡々と語り始めた。

 その内容はこうだ。世界は『霊災』という未曾有の危機に瀕している。その元凶は二つあって、一つは「ゾディアーク」という超高性能AIなのだそうだ。

 そして、もう一つは。一人の天才科学者が発明した、あるデバイスなのだと言う。この二つを使って、世界を自分達に都合の良い物にしようとする組織がいるらしい。

 クリスタルは重々しい口調で、一人の天才科学者の話しを語り始めた。

「——五年前、一人の天才科学者が、あるデバイスを開発しました」
「デバイス?」
「——それは、魔法のようなデバイスで、操作する事で何も無い空間に風を起こしたり、軽度の傷であれば瞬く間に癒すことも可能な物でした。そして、ありとあらゆる情報端末のアクセスを可能にし、超遠距離通信、さらには記録媒体としても圧倒的な性能を発揮しました」
「……傷を治す? 魔法みたい……」
「——はい。しかし、正確には魔法ではありません。最新鋭の科学技術が生んだ、歴としたデバイスです。MEMSという言葉を耳にしたことがありますか?」
「メントス? なら聞いたことがあるけど……」
「——MEMSとは『Micro electro mechanical systems』の略で、電気回路と微細な機械構造を一つの半導体基板上に集積させた部品のことを指します。そのようなMEMSを用いた技術をナノテクノロジー。そして、それによって作られた微細なマシンをナノマシンと呼びます」
「はぁ、ちんぷんかんぷんだ。でもナノマシンは分かるかもしれない」
「——天才科学者の名を『シド』といいます。シドはナノテクノロジーを応用して、QOL(クオリティオブライフ)の飛躍的向上、つまり、人々の生活をより豊かにできる革新的なデバイスを開発しました。それが『Micro electro mechanical Parasite systems』通称『MP』と呼ばれるナノマシンです」
「ちょっと待って、シドってあのシド?」
「——はい、千鶴さんもご存知のはずです。彼は実在しています」
「え? あぁ……うん?」

——あれ? なんかおかしいな?

「じゃあ、そのナノマシンも現実に存在するってことだろ?」

——あれ? この声は……

「でも、そんなすげえ物が開発されたなら全世界が騒然だろ? 少なくとも、俺は今の今までそんなこと知りもしなかったぜ?」

「——マサルさん、おっしゃる通りです。このMPの存在を知っているのは貴方達を含め、ごく僅かです」

 全く気が付かなかった。あまりにも難しい話に周囲が見えていなかった。

「マサル! いるなら言ってよ!」

「あぁ、どうせ理解できてないんだろうなぁ、と黙って見てた。それなりに楽しかったぞ?」

「もう! ひどい」

「それで? コレが夢かどうかは、ひとまず置いといて話しを続けてくれ」

 マサルは、この信じられない状況をあっさりと受け入れてしまった。我が夫ながら全く奇想天外な人だ。

「——では、続きをお話しします。結果としてMPは実用化されませんでした」

「……と言うと?」

「——理由はエネルギーの供給問題です。いかに優秀なデバイスと言っても、動力源となるエネルギーが必要です。MPは人体の細胞に寄生し、宿主からの生体エネルギーの供給を受けて初めて起動することができるのです」

「生体エネルギー? なんかやばそうだな……」

「——はい、『パラサイトシステム』と言う他に類を見ない性質を危険視する人も多く、実用化は見送られました。ですが……」

「害はないと?」

「——はい。人体への影響は確認されていません。定期メンテナンスや故障といった問題もクリアされており、実質的なデメリットはありません。メリットは先ほども説明させていただいた通り、多数存在します」

「ねえ、生体エネルギーって?」

「——説明いたします。お二人は『エーテル』という言葉をご存知でしょうか? 古代ギリシアの哲学者アリストテレスが提唱した天体を構成する第五の元素「神学/Æther」19世紀以前の光を伝える媒質を表す術語としても用いた「物理学/Ether」さらに- R-O-R'で表される有機化合物とした「化学/Aether」この全てを『エーテル』といいます。これら三つの学術的観点に「人体科学」の観点を加え、シド博士は新たに『エーテル学/Aetherology』を提唱しました。エーテル学におけるエーテルとは『人や獣、樹木、すべての生命の内側にあるエネルギー』のことを指します。言い換えれば、生命の代謝エネルギーであり、生きていると言うこと。つまり『生命』そのものと言えます」

「じゃあ、MPは生命を吸い取るものだと?」

「——いえ、ライフサイエンスの観点から言えば、生命活動を高い水準で維持、改善することができる、大変効率の良い素晴らしい物です。人体細胞は、さまざまな活動に必要なエネルギーのほとんどを、直接、あるいは間接的にミトコンドリア(真核生物の細胞小器官)からATP(アデノシン三リン酸)の形で供給されています。MPはミトコンドリアの活性化、及びエネルギーの管理、調整を行います。そして、自らもミトコンドリアからエネルギーを供給してもらう、と言った相互関係を結ぶことで、人体の脳、筋肉の活性化を促進し、身体能力を飛躍的に向上させるのです」

「なるほど、デメリットは無くメリットしかない。まさに魔法だな。それで?」

「——始まりは五年前のことです。MPは科学、医療、情報の各分野において、大きな期待を寄せられていました。MPの実用化はシド博士の夢であり、病に苦しむ人々にとっては、まさに希望の光とも言える物でした。その存在は科学者の間で瞬く間に広がり、多くの国で治験が行われました。実用化も秒読み状態にまで至った、ある日のことです。それまでは、MPの実用化に意欲的だった、先進国を含む多くの国々が、一斉にMPの実用化に意を唱え始めたのです。そのきっかけとなったのが、ある組織の存在でした。その組織は突然表舞台に現れ、MPの危険性にのみフォーカスを当て「MPは殺人マシンだ」と吹聴してまわったのです」

「その組織ってのは何者なんだ?」

「——「Ascian」(アシエン)。これまで、その活動理念も実態も都市伝説の域を出ない、まさに秘密結社でした。その名前の由来も『実態がない』が見えない。ということから“without shadow(影なし)”を意味するラテン語「Ascius」を語源と言われています」

「アシエンってあの? それで?」

「——MPの性能を検証、調査するという名目で圧力をかけ、シド博士からMPを奪いました。そして、博士はナノマシンを使ってテロを目論む犯罪者として、程なく逮捕されました。アシエンは裏で世界を牛耳っている、とさえ言われる存在です。情報の捏造等はお手の物でしょう。彼らはゾディアークという超高性能AIとMPを使い、世界を自分達に都合の良い形にしようと企んだのです」

「片方は世界の為に……片方は私利私欲のために……か」

「ねえ、MPで、その……例えば、特定の誰かを不健康にするとか……できるの?」

「——はい、理論上は可能です。ですが本来は、そのようにプログラムされていません。ですが、ミトコンドリアからのエネルギー供給を意図的に操作、遮断することで、エーテルの流れを狂わせ、細胞を急速に死滅させることは、可能だと推察されます」

「じゃあ、やっぱり危険な物なんだね……」

「ちづる、それは少し違うと思う。どんな薬も飲みすぎると毒になるだろ? 要するに使う側の問題なんだよ」

「——ご理解感謝します。シド博士の逮捕直後に、アシエンの企みを阻止するため、ある組織が結成されました。その組織の名を『暁の血盟』通称『暁』と言います」

「ええー! 暁ってあの暁?」

「——暁はシド博士がノルウェーのハルデン刑務所に収監されるという情報を傍受し、移送中の身柄を保護、救出することに成功しました。人々に希望をもたらそうとした、天才科学者を冤罪で投獄することなど、決してあっては成りません。シド博士救出から一年後。博士の協力の元『超高性能AIハイデリン』が誕生しました。それが、あなた達の目の前にいる、大きなクリスタルです」

——ん? あれ? じゃあ……今喋ってるのって誰なの?

「——ハイデリン、お二人にご挨拶を」

『——私はハイデリン。世界の調和と希望の守護者です。マサルさん、チヅルさん、初めまして』

 ハイデリンの声は今までの低い男性の声とは違い、とても耳に優しい包容力のある女性の声だった。

「え……どういう事?」
 マサルは目が飛び出るのではないか、と思うほど目を見開いている。どうやら彼も、この展開は予想していなかったようだ。

「——ご紹介が遅れました。私は暁の血盟の吉田と言います。AIハイデリンの機能を使い、貴方達に直接コンタクトを取っています。こんな形でのご挨拶をお詫びします」

「吉田って……あの?」

「はい、普段はゲームのプロデューサーをやってますから、そちらの方がお二人には馴染みがあると思います」

 思わぬ人物の登場に、夢と現実とが入り乱れる。これは果たして夢なのか、それとも脳が見る幻覚なのか、私にはそれを判断することができなかった。

「——ここまでは、事の経緯をお話しさせて頂きました。ここからが重要な部分となります。アシエンはMPの強奪後、まさに五年もの間、長い沈黙を守ってきました。しかし、先日ハイデリンが奴らの怪しい動きを察知しました」

「話しが見えないな。吉田さん結局のところ何が言いたいんだ? さっきから同じ話しをぐるぐると……」

 どうにも要点を得ない吉田さんの話に、マサルはイライラを募らせているようだった。

「——失礼しました。では、はっきり言いましょう。お二人は既に……いえ、これがよくありませんね。言い直します。この世界の人々は既にMPに寄生されています。辛うじて現在はスリープ状態を保っていますが。いつ起動してもおかしくありません。もしそうなってしまえば、どんな未曾有の被害が出るのか予想もできません」

「そんな風になるのが分かってて、暁は黙って見てたのか?」

「——いえ、私達も黙って指を咥えて見ていたわけではありません。MPは元々ゾディアークによって制御、管理される予定でした。言い換えれば、ゾディアークがハードウェアでMPがソフトウェアといえます。しかし、ゾディアークの制御はアシエンに奪われてしまいました。そこで開発されたのが彼女です。ハイデリン、またの名を『対ゾディアーク抑制プログラム HD-xx913』と言います。私達はハイデリンを使いゾディアークに対して『次元圧壊プログラム』という、ウィルス攻撃を仕掛けました。具体的にいえば、ゾディアークのマザープログラムを一三個に分断し、それぞれに強力なセキュリティ防壁を張り巡らせるというものです。この防壁は、たとえゾディアークといえども、容易に破れる物ではありません。そのはずでした……」

「てことは、やぶられたってことか? ダメじゃないか!」

「——ゾディアークの力を完全に見誤りました。私達は考えた末に、あるプロジェクトを始動しました」

「プロジェクト?」

「——はい。それがファイナルファンタジー14というゲームです」

「えっ? なにそれどういう事なの?」

 私は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

「——私達は急速に普及するインターネット環境に、目をつけました。これに関しては、少々難しい話になるので省略させていただきますが、簡単に言えば、FF14のプレイ人口が増えれば増えるほど、防壁のセキュリティが強固になるというものです。私達は既存していたオンラインゲームのサービスを終了させ『新生』という名目で蘇らせました。表向きはオンラインゲーム、ですが本当の姿は「対ゾディアーク防壁システム」なのです。余談ですが、万が一のことも考え、ストーリーも現実に沿った内容の物に仕上げています。失礼しました。話を戻します。私達の目論見は、想像以上の成果を上げました。日々増加し続けるユーザーが防壁をより強固な物にしてくれました。ですが、アシエンも黙って見ているはずもありません。ゲーム内で「業者」と言われる存在や「DOS攻撃」と言った類のものは、アシエンからの攻撃なのです。防壁とはあくまでも防御手段です。抜本的な解決には至りません。時間を掛ければ掛ける程に、私達が劣勢になっていくのは間違いありません」

 吉田さんの話しは急速に現実味を帯びていく。これが夢なのか、現実なのか、もはや私には分からなくなっていた。

 もし現実であるならば、こんな現実離れした話しが、どう転ぶのか想像もつかなかった。

         《God knows》

「吉田さん。俺達は単なるプレイヤーの一人に過ぎないし、プログラムのスキルとかもないし、どうして俺達に、こんな話をするのかが全く分からない。何か理由でもあるのか?」

 俺は、あえて歯に衣着せぬ物言いをした。

「——たしかに、マサルさんの仰ることはごもっともでしょう。実のところを言うと事態は急を要するのです」

「え! うまく言ったって言ってたじゃないか!」

「——私達もそう思っていました。ですが、先日のことです。全ての防壁が突破されてしまったのです。それには前置きがありまして、暁に一つの暗号化されたメッセージが届きました。そこには『ヤミヲウケイレロ』と記されていたのですが、どうやらメッセージの解読が防壁解除のトリガーになっていたようです。敵ながら天晴れとしか言いようがありません。しかし、次元圧壊プログラムの全てが突破されたわけではありません。分断した全てのプログラムを統合するにはゾディアークと言えども絶対的な時間が必要です。結論から言うと私たちに残された時間は、およそ一年と言ったところでしょうか。決して多いとは言えません。私達の功績を並べたところで、どうにもならないことは百も承知です。ですから単刀直入にいいます。貴方達にアシエンの企みを阻止してもらいたいのです。もちろん、その為のサポートは惜しみません」

「はい? だから、俺達には力になれることなんて……」

「——もし、このまま彼らを野放しにすれば、世界は混沌に包まれてしまいます」

「だからって、どうすりゃいいんだ?」

「——最近、ニュースで幼児虐待が多く報じられてると思いませんか?」

「たしかに、でも、それがアシエンと何の関係があるんだ?」

「——私達の独自の調査によると、子供の失踪、虐待児童の保護、そして、誘拐。これら全てに、アシエンが関与してると思われます。お二人にはお子さんが、いらっしゃいましたよね?」

「もしかして、脅してるのか?」

「——いえ、あくまでも可能性の話です。アシエンは、世界中から子供達を集めて、何かを企てているようなのです。それに、貴方達は多くのプレイヤーの中から選ばれたのです」

「選ばれた? そんな勝手な話あるかよ! 冗談じゃない」

「——そうですね、この場で話してもご理解いただけるとは、私たちも思っていません。なので、ある物をご用意させていただきました。それをご覧いただければ、大体の察しはつくと思います。夢から醒めた後、スマホのSCSという『App:Re:cation』を起動してください。では、良いお返事を期待しています。またこちらからご連絡させていただきます。では……」

「おい! ちょっとまて……」

 気がつくと、布団の上だった。隣を見ると千鶴がなんとも言えぬ顔をしてこっちを見ている。おそらくは、俺も同じような顔をしているのだろう。

 吉田氏が夢の中で最後に言い残した言葉。俺は半信半疑で、スマホを手に取った。

 液晶には使い慣れたアプリに混じって、見覚えのないアプリがあった。

「SCS? なんだこれ」

 俺がボソリと言うと、千鶴があからさまに反応を見せた。

「夢じゃなかったんだ……」

「ちづる、まさか……お前もか?」

「うん……やっぱり夢じゃなかったんだ」

 俺達はスヤスヤと寝息を立てる子供達を見て、言い知れぬ不安に襲われた。

「この子達だけは、どんなことしても守らなきゃ!」

「うん……」

            ◇


 俺と千鶴が同じ夢を見てから、今日でちょうど一週間だ。

「そういえば、あれから、吉田さんから連絡は?」

 そう言ってちづるは、ワイングラスのワインをぐいっと飲み干した。

「いや……あの夢で会話したっきり音沙汰なし。近いうちにまた連絡するとは言ってたけど」

「でも、ほんと……びっくりだよね。暁が実在して、シドまで本当にいるなんて」

「でも、もし仮にあの話しが本当だとするなら、俺たちに何ができるって言うんだ?」

 時間が経つにつれ、少しずつ、あれはやっぱり夢だったんじゃないか、と思えてくる。インターネットで暁のことやアシエンのことを調べてみるが、ゲームの攻略記事や考察のことばかりで、要点を得ない。それにMPなんてナノマシンの話も全くと言っていいほど見当たらない。

「ごめんごめん! せっかくの結婚記念日にこんな話しして」

「ううん、私も気になってたし……あの夢を考えると、マサルの見た夢っていうのも少し気になるよね」

「ああ……関係がないといいんだけどな」

「気を取り直して、乾杯しよ! せっかく子ども達も寝てるんだし」

「そうだな。それじゃあ、二人のこれまでと、これからの末長い夫婦生活に向けて、乾杯!」

「乾杯!」

 そうして、夫婦水入らずの時間を楽しんでいるときだった。

 二階からキィーという金属製の甲高い音が聞こえた。

 その音は、疲れ果てた老馬を連想させる。

 しかし、どんな立派な牡馬も、どんな立派な扉も時計の針の前にはなす術もない。時間とは斯も残酷なものなのだ。『生者必衰』いや『経年劣化』が正しい。

 とにもかくにも、古い扉は深夜の夫婦水入らずを邪魔する。

「はぁ、ダメだな……油ささないと……」

「ん? どうしたの?」
「バルコニーの扉のことだよ。開け閉めする度にキイ
キイ、うるさいじゃん」

「てかライト、寝ぼけてんのかな? まさか、バルコニーをトイレだと思ってるのかな?」

「え? まさかだろ、ほっとけほっとけ! どうせ外は寒くて直ぐに目が覚めて、戻ってくるだろ」

 俺達は寝ぼけた息子の行動を、耳をすまして伺うことにした。

 すると、天井から足を引きずるような、ズシン……ズシン……と言う不規則な音がした。

 壁に掛けてある54インチの液晶画面が小さく波打つ。それは、肉食恐竜の接近を予感させる、水たまりのようだった。

「あれ? あいつ、なにしてんだ?」

「わかんない。でも、外行ってなかったんだね」

——この足音……

「たしかに……」

「あの子、何してるんだろ? ドタドタ」

 心臓の鼓動が急激に速くなる。

——そんなわけないよな……

「ちょっと見てくるね! サクヤとオウハを起こされたら、せっかくの結婚記念日が台無しになっちゃう!」

——気のせいだ、でも……

「まて、ちづる……扉は一回しか開いてないよな?」

「う、うん」

「もしかしたら……」

 俺はソファから立ち上がった。その時、ドスンという一際大きい振動が壁を伝ってリビングを揺らして。

「ちづる!」

「え? はい!」

——この振動は子どもの物じゃない。毎日嫌ってほど、子ども達の騒ぐ音を聞いている。間違いなくこの振動と足音は大人のものだった。

 俺は、大急ぎで二階へと向かった。

——よく考えれば、さっきの足音も、バルコニーの扉の音も完全に聞き覚えのあるものだった。この一週間の間、ずっと夢に聞いてきた音じゃないか。なぜもっと早く気がつかなかった。なぜ戸締りをしっかりしておかなかった? 間違いであって欲しい。もし、子ども達に何かあったら自分の責任だ。思い違いだ、思い違いだ。

 そう心に言い聞かせて、寝室の扉に手をかけ、部屋に飛び入った。

「——ッ!! お前、そこで何してる!」

 そこにいたのは、見間違えるはずもない。俺自身だった。

「キャーー」

 遅れてやってきた千鶴が悲鳴をあげると、その声に反応して子供達がビックリして目を覚ました。

「うわーーん!」

 泣き叫ぶ子ども達を前に、もう一人の俺は一瞬たじろいで見せる。

「ヨシヨシ…0サ、サクヤ、ナカナイデ……オトウサンハココニイルヨ」

「とうたん……どうしたの? お顔怪我してるよ?」

「ダ、ダイジョウブダヨ……」

「お前、何を言ってる。子ども達から離れろ! 千鶴警察に電話だ」

「は、はい!」

「サクヤ、オウハ……ナカナイデ……ダイジョウブダヨ」

「その子達はうちの子どもだ! お前の子どもじゃない。直ぐに離れろ!」

「ダマレ!」

 その瞬間、もう一人の俺は光を放ち、俺達の身体は金縛りにかかったように、身動きが取れなくなってしまった。そして、もう一人の俺は徐に立ち上がった。

「コドモガナイテイル……オ、オレノ、カワイイテンシタチ……」

「お父さん……どうしたの?」

 背後からライトの声がした。

——だめだ! 来ちゃだめだ。

「ライト、来るな!」

「ライト来ちゃダメ!」

 身体をなんとか動かそうとするが、まるで言うことを聞かない。あいつが何を考えているのか、分かっている。

「おまえが何をしようとしているのか知ってるぞ! そんなことさせてたまるか!」

「え? お父さんが二人?」

「ライト……ソコニイタノカ……コッチニコイ。オトウサントイコウ」

「やめて!」

 その時だった。窓の外から、室内をスポットライトのような光が照らしつける。同時に一階の玄関口から大きな物音がした。そして、誰かが家の中に入ってくるのが分かった。

「急げ! 目標は二階だ。確保しろ!」

「人名の救助を最優先にしろ!」

 ドタドタと複数の人の気配が階段を駆け上がってくる。

——警察? この訳の分からない状況をなんとかしてくれるなら誰だって構わない。

「誰か! 助けてくれ!」

「ここです! 助けてください!」

 自由の利かない身体に苛立ちながら、精一杯の声で助けを求めた。

「ライト……カナラズムカエニクルカラナ。オトウサンヲシンジロ」

 もう一人の俺は、そう言い残すと窓を突き破り夜の闇へと消えていった。その両手に二人の子どもを抱えて。

「まて! チクショー」

「サクヤ! オウハ!」

「俺達が何をしたって言うんだ! どうしてこんなことに……」

 もし、この世界に神様がいるとしたら、そいつはもの凄く思わせぶりだ。夢のお告げだか、啓示だか知らないが、注意はしてくれても助けてはくれない。

 何度も夢に見た光景にも関わらず、俺は何もできなかった。

 神様になんて頼ってはいられない。

——許さない。絶対に助け出して見せる。

「千鶴……吉田に会いに行こう」

「うん……」

——その為なら、世界だってなんだって相手にしてやる。

 もし、相手が神だとしてもだ。

 俺達はそう心に誓った。

第章三 God knows 完