うっちゃん先生の「背中のネジをフルにまわそう!」

うっちゃん先生の「背中のネジをフルにまわそう!」

こんにちは。うっちゃん先生です。
北海道北見市を中心にLovin' Seminar(ロビンゼミナール)というプロジェクト中。
勉強が大好きすぎる!大好きにさせちゃう!!

人に笑われるくらいのデカい夢、持っていこう!

共通テストまで100日と成りました。


焦らずに出来る所から確認。


出来ない所、分からない所ばかりやって、


気が滅入るくらいなら、出来る所を伸ばしていきましょ。


出来る所ばかりやるな!とよく聞きます。


あらゆる事は有機的に繋がっています。


バラバラに学ぶと単調な知識をただ蓄えることになります。


繋げていくと新しい分野がワクワクします。


「だからこうなるのか!」


理由に基づく結果をつなげると楽しい。




「ここはそのまま出るから覚えろ!」だと、


出た時にも気が付かない。


同じ事を言っても、そういう勉強をしているかどうかで反応が変わります。


「先生の言ってる所が全然出なかった…」と漏らした次の瞬間、


別の子が「先生が言ってること、全部出た!なんなら、先生の言ってることしか出なかった!先生が作ったんじゃないの?」位まで言われる事があった。


僕は正直、特別な事はしていない。


そこで習得すべき事を淡々と確認しただけ。


「と言う事は要はこういうことですよね。」


と中身すっ飛ばして、結論だけ取る人もいる。


効率厨なのかもしれないが、


やはりそれだと限界が来る。




全てを繋げて行く。


国語や英語の要約は読み込まないと強弱を判断するのが難しい。


言葉尻を短くする訓練を要約と思うものや


そんな教材もあったが、そう言う小手先のテクニックに貴重な時間を使うなら、


ゆっくりじっくり活字を味わい、


自分の体の中を通し、


血肉にすると言うシンプルな学びが最高に良き。




今日も一歩一歩!


できる所から始めて繋げていきましょ!


繋げていきましょ!





大人になった今だからこそ、


こういうのやりたい………。

たくさんの総合学習をする場が増えた。


詰め込みが批判され、


次はゆとりが批判され………


最終的にここに落ち着いたのだろうか。



割と趣味が多く、自分も色々チャレンジした。


もちろん独学で、そこには壁があり、


その壁をクリアするのが楽しかった。


ギターにしても、絵にしても………


そう言う意味でそろばんと言う習い事は良かった。


ルールを覚えたら、毎日1時間は集中。


やり方を一個一個習うわけではない。


これがもし手取り足取りとなったら、


本当に嫌いになってただろう。



今、自分で課題を見つけ、それを解決していくタイプの学びが多くなっている。


「自分で課題を見つけ」という部分が用意されている。


このパラドックス。


多分、自分なら色々放棄していたのではないかと考えてしまう。


好きなアーティストがいて、


そのアーティストに関してルーツから何から調べ、


想像を描き巡らす。


そこに結論をつけることなく、日々を過ごす。


ここに干渉が入ったり、


優劣がつけらりたりとかは自分はゴメンとなってしまう。




そして、今までの学習に対する批判は内容によるものだったのだろうかと。


勉強に打ち込みたい人が打ち込める環境がどんどん減らされている気がしてならない。


そんなの自分でやれよ、家でやれよと言われたり、


好きなんだから環境は関係ないだろと言われたらおしまいだし、


クリアしていく人はそこを言い訳にはたしかにしない。


ただ勉強に打ち込みたい人にだけ厳しくないか?


急に「勉強以外の何かも大事」というカードを出してくる。


そんな当たり前の事は誰だって知ってる。


ただなんで勉強だけいつもこうなんだよ!と。



勉強と言う努力すらできない人が


まるで悟ったように言うのは


全然違う。


これは勉強ができるから偉いと言う話ではない。


あまりに賢くなる場、生きる引き出しを作る場が失われてるのに、


その手段ばかり時代を背景に奪っていく事が多すぎるから言ってます。


隣の芝生は青く見えます。


ふわっと抽象度の高い事言って説得される事もあります。


でも、先人の知恵をまずは自分の中に落とし込んでからでも遅くはないはずです。


本当に人に優しくなったり、


社会に貢献したり、 誰かにとって頼られる人になりたければ、


まず思考の道具をたくさん手に入れる事、


つまり勉強する事だと思ってます。


昔からあるものなので、「古いね〜」と言われ続けてきましたが、


今ではそれをやり続けてる人が惨めになるフェーズまで来ています。



そこだけは死守していかなければ………



今日も勉強、がんばりましょ!



北海道の中3生はそろそろ総合B!


慌てずに「できる」を増やしていってね〜!




北見神社にあったスマホおくあれ。


そこから撮ってみた。


影!



いつの時代も「最新の」ガジェットがある。


仕事の効率をあげるために必要なのかもしれないが、


道具はあくまで自分がやりたい事、求められている事をやる道具。



20年前くらい、DSというゲーム機に学習ソフトがたくさん出た。


有名な塾、予備校も。


自分も英語漬けをやった。


それを取り入れる塾もあった。



自分はやらなかった。


もちろん、ご家庭でやる分には構わない。


あの塾でそれをやっているなら、


そちらに行っても構わない………と。


さて、20年後の今、熱中していた子たちは今何をしてますか?


あ、勉強するという名目で買ったゲーム機、


ちょっとの息抜きで買ったゲームにドーパミンを出し、


中高でスマホに移行し、


急にリアルとゲームの境目を見失い、


人と会話できないくらいになったのが


一時期問題でした。


これはゲーム機の問題というよりも、環境の問題。


うまく利用する人はきちんとやってます。




ゲーム機の相談は理由が明確でした。


ただ各家庭の方針もあるので、


本気でこちらも答えるのをやめた時がありました。


うちのこに限って……はいつの時代も。


大学も選ばなければ入れちゃいますからね。




ゲームの次はSNS、オンライン系、


お金も入ってくるコンテンツもあります。


そこにAI。




AIは学習したものを出してくれます。


倫理観は使う人に委ねられています。


お祭りやお店の販促はほとんどそれが使われてます。


これを「自分が作った」面をするんです。


人間の作った偶然、出会いに温もりがあります。


「道具」として「便利な機械」くらいの感覚だと、作り手の存在を全く考えていない。


手間を省いた上にドヤるのはリテラシーの問題。



ドラえもんは便利な道具を持ってくるが、


私欲のために使うと必ず痛い目にあう所が面白い所で、


同時に「これがあるといいな〜」と言うものを想像させてくれるたのしみ、


そして、その方向に導いてくれるモチベーションをわかせてくれる。


ここをすっ飛ばすと、一時期流行ったコラ画像をネットに出し、


叩かれても「ん?何が悪いの?」みたいな感じになり、


その悪さに気が付かなくなる。


きれいに信頼がなくなる。



考え方が多種多様になった今だからこそ、


自分をしっかり見つめていきたい。




アーティストと名乗るのが簡単な時代。


だからこそ一歩一歩、


自分の存在を置いてけぼりにしないでいきたいな。





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