娘達と私







なぜ 24時間一緒なのに
苦痛ではないのか


19娘と考えてみた


まず
家族間であり得ないと思う事
不快だと思う事

それらをお互いに言葉にしていくと

テリトリー という言葉がしっくりきた。



私が結婚していた時
最も嫌だ 不快だ と思った事のひとつとして

同じお布団で寝る 

がある。


これ。。。ねぇ。なんで?

なんで結婚すると同じベッドで寝るの?
なんで同じお布団で寝るの?

不快極まりない……。




ゆっくり休みたいのに
相手の寝返りで起こされ
いびきで起こされ
裏拳で起こされ
トイレ…と起きる度に起こされ
下手すりゃ脚とか踏まれる。


なにこれ。
ストレスの塊じゃん(笑)


で。
お互いにそう思ってたりするんでしょ?
で。
イライラしてって。

それ
一緒に寝なければいいだけじゃん。

夫婦だからといってなぜ同じになろうとするのかしら。

個なのに。


この
夫婦 とか 家族 という言葉がもたらす
どこかで作られた『当たり前』。

それが
どれだけ自分のテリトリーを脅かすワードとなっているか。


で。
話を元に戻すと。

私はテリトリー意識が強い。

いつもご飯を食べる場所に娘が座っているだけで
なんだか変な気分になる。

えー。おっかしいのー。って思った人。

『いつもの場所』というのは
ある意味自分を守る為にも
家に一か所は絶対にあった方がいい。

そこは
絶対的に安心できる場所 であり
自分を構築する上で必要な場所 でもあるから。




……だから。
話を元に戻そう(笑)



このテリトリー。
娘達も強い。

だからこそ
相手のテリトリーを害する事をしない。

不快だと知っているから。



私は娘達としょっちゅうハグするけど
ずっとくっついてなどいられない。
イライラするから(笑)



自分が自分でいられる様に
自分のテリトリーを主張する。
だから
相手のテリトリーも尊重する。



これが3人それぞれに出来るからなんだろう。



そんな話で落ち着いた。



今までは 男女の世界 だったけど
これからは 個の世界 なんだろうな。



そうだ。

娘は
幼稚園の制服がスカートだと知って
号泣して嫌がった。
中学の時も高校の時も。

なぜ『女』というだけでスカートを履かなくちゃいけないんだと
泣いて怒ってた。

私は私でなんとなく
『カミングアウトしてくるんだろうな』って思ってて。


初潮の時。

娘はトイレで号泣して……
それから数日も泣き続けた。

男でも女でもない所に居られたのに
完全に女として生きていかなくちゃいけなくなった。ってわかって号泣したと
後日話してくれた。


でも。
今はそこまで深く考えてないし
女である事に嫌気はさすけど
苦しさは感じない。というので
それはどうして?と聞いてみたら。



『それはおっかさんと姉妹ちゃんが
私を男とか女とかでみているのではなく
【私を私】としてみてくれているから。』

性別にこだわるくらいなら
私に拘っていたい…とも。



性別は付加価値であって
私の価値ではない。



そんな事をあっさりと言ってのける娘。

……大好きであります。






女 夫婦 家族 。


その根源は『私』でしかないんだよね。


当たり前として作られている全てのモノ。
疑ってみるのもありなのかもね。