3月18日は
私の母の誕生日でした
生きていたら
73歳になるハズでした
最後の誕生日は
5年前
68歳でした
母のリクエストで
好きだったお店の
焼き鳥とお寿司とケーキを用意して
姉家族と一緒に
お祝いをしました
それから
約1ヶ月後に
亡くなりました
母は
娘の私が
言うのもなんですが
とても賢く
強い女性でした
勉強がよく出来て
字も綺麗で
美人で品があって
いつでも優しくて
自慢の母でした
私はとにかく
母親っ子でした
母が大好きで
いつも側から離れず
ベッタリ過ごす子供でした
習い事も進路も
母の言うがままに
どうしたら
母が喜んでくれるか
母の喜びが
自分の喜びと
信じて疑いませんでした
もちろん
洗脳はいくらか
あったかもしれませんが
やはり母は
正しい
信じて生きてきて
間違ってなかったと
言い切ります
管理栄養士として
長年病院へ務めた母は
自分が乳癌を患ったと
わかった瞬間から
病気に関して
猛烈に勉強して
治療法を探り
最期まで
母らしく生きました
母は
亡くなる瞬間
自分のタイミングで
逝きました
最後まで
耳は聴こえていると
聞いていたので
耳元で
ずっと
お母さんありがとう
お母さん大好きだよ
と
言い続けました
しつこかったのか
うんうん
うんうん
と
わかった
もうわかったよ
と
涙を流しながら
何度も頷いて
こたえてくれました
そして
だんだん
動きが少なくなり
いよいよ
もはやここまで
と
言わんばかり
目を
ギュッと瞑り
口を
固く結びました
無念の気持ち
諦めの気持ち
入り混じりながら
死への覚悟を
決めた顔でした
その後
少しだけ
微笑んで
亡くなりました
私は
間違いなく
母の魂が
体から離れていく瞬間を
目の当たりにしました
死ぬ瞬間まで
自分を
コントロールできる
そんな死に方が
できるなんて
衝撃でした
とてつもなく
強い心
精神力を
見せつけられました
母は偉大
これ以上ない
生き様を
死に様を
見せてくれた
母を
心から
尊敬します
いつも
見守ってくれて
ありがとう
いつまでも
私は
あなたの娘です
娘は
私の娘であり
あなたの孫です
あなたの遺伝子は
間違いなく
繋がっています
ばぁば
お誕生日
おめでとう