仕事が終わった後、キモチを切り替える時に必ずすることがある。ここ3年くらいのルーティンだ。


湯船に浸かりながら、無心になることができる音楽を聴いている。

湯船でなくても良く、ここで重要視することは音楽の方だ。

私の場合は、チェッカーズ一択だ。

いろいろ試したが、チェッカーズ以外にない。


なぜなら、チェッカーズがデビューして瞬く間に人気が出たのが私が小学3-4生の頃だった。

もちろん、チェッカーズは私が中学にあがってからも人気があったが、注目すべきは小学3-4年の頃の曲目だ。


このくらいの年齢の私は、純粋に全てが楽しく、計算して動くこともなく、苦しくなるほどの悩みもなかった時期だ。

だから、チェッカーズの歌一つ一つに良い意味で思い入れがないのだ。


つまり、多感な年齢に到達してしまったら、聴く曲、聴く曲に想い出が結びついていることが多い。

恋愛していた時、失恋していた時、奮い立たせた時、友だちと喧嘩した時など、なにか感情移入が起こってしまうのだ。

それが、小学3-4年の頃だと何もないのだ。

子どもらしい、小さな悩みはあっただろうが、それは取るに足らないほどのものだ。

だから、曲を聞いてフラッシュバックなどはしない。

それくらいの時期の曲が適しているのだ。


だから、その頃のチェッカーズの歌を聴くと、今でも純粋にリラックスする時間を過ごせるのだ。無心でもあり、そしてなぜか幸せなキモチにもなれるのだ。肩ひじ張ったなにかがないせいだろう。

カッコつけて生きてなかったし、プライドなんていう言葉も無縁だった。


毎日、頭と神経を研ぎ澄ましながら残業をいれると10時間以上は働いている。疲れて当然である。

だから、来る日も来る日もチェッカーズを聴いてしまうのだ。