まずはここに来たかった!

丸一日の船旅を何事もなく終えて

鹿児島に上陸。

 

嫌だった船での時間は

意外に楽しめた

 

コロちゃんの影響で

食堂は、各港について出港してからの30分くらい(だったはず)

しかやってなかったけど

 

自動販売機でビールは買えるし

広大な海原を眺めながら思いにふけれるし

部屋から見える夕焼けも美しかった晴れ

 

 

過去のイメージや先入観だけで決めつけるより

体験してしまった方が

悶々と悩んだり

愚痴をこぼしたりする時間も減るし

 

なんでも

「まずは体験してみよう音譜

っていう感じでいいんでしょうね!

 

かといって、

バンジージャンプとかは嫌ですけどねえー

 

 

 

さて、鹿児島に上陸して

まず向かった先は、、、

 

 

 

この写真で分かりますか?

 

鹿児島に来たら「ここは行く」と

決めていた場所の一つ

知覧武家屋敷庭園

重要伝統的建造物群保存地区

 

鹿児島港から車で約1時間のところにあります

 

知覧武家屋敷庭園とは、

約260年余り前、知覧領主(18代)島津久峰時代の武士小路区割の名残りで、

武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている風致地区。

 

 

夫が行きたい場所だったので

私は特に興味がなかったのですが、、、笑

 

綺麗に保存されたこの町並みは

とても見ごたえがありました!!

庭も家屋も町全体の景色も

目に入る全てが綺麗で、

「あ〜日本って素晴らしいなぁ」

なんて思っちゃうんですよね

 

この感覚、とても大切だと思いますラブラブ

 

 

う〜ん。

この写真だと伝わらないかもですね汗

 

 

ふと、思ったんですが、、、

こういう場所に行くと

浴衣や着物を着たくなるのは

なぜなんだろう?

(知ってたら、教えてください❤️)

 

 

この日私は、

ショッキングピンクのトップスを着ていたから

この町に全く馴染んでいなくて

すごく気持ちが悪い感じがしたのを覚えています

 

ほら、浮いてる。笑

 

 

って、私が感じただけで

誰もそんなこと思っていないだろうけど

自分の感覚はそうなんだ。

そういう風に感じる自分の感覚を

大切にした方が良いのかも、、、

 

目の前に見えることだけを捉えるんじゃなくて

自分を含めた

全体像で捉えて見るからこそ

その中にいる自分への違和感

そこが気になってしまうんだよね。

 

うん、大事なこと。

 

そして、私の場合は

目立つよりも

周囲と馴染んでいたいという気持ちがあることに

こうして書いていて気付かされます。

 

それが良いとか悪いとかそういうのはないのですニコニコ

 

 

 

 

 

絶対に行くと良い!

続いて向かったのは

武家屋敷から少し南下した場所にある

 

こちら、、、

 

 

 

 

写真はこれだけになっちゃうのですが

 

知覧特攻平和会館

 

 

 

ここには、特攻作戦で命を落とされた方々の

遺書や手紙が保存、展示されていて

実際に読むことができます

 

 

昭和20年3月26日特攻作戦が決行され

7月19日までそれは実施されて

この約4か月の間に

17歳〜32歳までの青年1036名が

この特攻によって戦死しています

 

 

母親へ宛てて書かれた手紙、遺書

それがとても多く

もう会えないと知っていても

「会いたいです」と書かれていて

涙なしに見ることはできません。

 

 

簡単な表現になってしまうけど、

自身の命への有り難みを

これほど感じられる場所はないかもしれない

 

 

今の日本には平和な時代を生きる人がほとんどだから

 

戦争の恐ろしさを

本当の意味で知ることは難しいけれど

 

悲しい、苦しい、見たくない

そんな歴史かもしれないけど

 

こうやって残されていて、知ることができる

 

だけど、「本当の意味で知る」ことは訪れて欲しくないから

 

本当に体験した方からの

悲しい贈り物をちゃんと受け取らないと。

 

 

行ったことのない方は、ぜひ足を運んで

受け取りに行って欲しい

 

そんな場所でした。

 

こうして書いていても、

涙が溢れてくるのは

この日に、ここで

たくさんの手紙、遺書からの想いを受け取ったから。

 

 

こうして振り返って

旅で感じたことを思い出すことは

私にとって

すごく大きなものになりそうだと

今、感じます。

 

 

 

 

知覧特攻平和会館と合わせて行っておきたいのが

富屋食堂

 

こちらも行きました

 

ホタル館 富屋食堂とは

 

知覧は、大東亜戦争末期、沖縄に上陸した米軍に対し、

20歳前後の若者達が250kg爆弾を飛行機に積み、

敵艦に体当たりをしていった「神風特攻隊」陸軍最大の特攻基地となっていました。

軍は、特攻隊員の食事などの場として「富屋食堂」を軍の指定食堂としました。

ここでは、食事の他、身の回りのお世話などもされていました。

富屋食堂は現在、検閲を通っていない特攻隊員の遺書や写真を多数展示している

「ホタル館 富屋食堂」という資料館になっています。

資料館では、特攻隊員の遺品や遺書が展示されております。

 

 

こちらより抜粋

 

 

こちらにも貴重な手紙や写真、

当時使っていたものなどが展示されています。

 

 

 

 

関連リンク

 

私の載せた写真よりも断然雰囲気が伝わります

 

 

「オンラインミュージアム」と

「特攻を知る」を観てもらいたい!

 

 

 

富屋食堂の当時の女将鳥濱トメさんのご親族が運営されています

 

 

 

8分程で観ることができるので、こちらも貼っておきます

 

 

 

 

 

 

 

 

なかなかズッシリとくる1日でした。

何か伝わるものがあればいいな。

 

 

 

 

 

 

次回は、旅で初めて訪れた巨木をご紹介しますニコニコ

ぜひ、一緒に車中泊旅を感じてください。