渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい。」は200万部のベストセラーになった本です。
私も昔読んだことがあります。
渡辺さんの生涯もとても感動的ですね。
与えられた場所であきらめずに最善を尽くすというのは、素晴らしいと思います、
でも私はこの言葉を聞くたびに反発を感じるのです。
置かれた場所で咲けない人はどうすればいいんだ?
努力しても努力してもどうにもならなかったらどうすればいいのだ?
ネットで調べてみると、私と同じように感じている人がいっぱいいることが分かりました。
例えばいじめにあっていたとします。
与えられた場所で咲こうにも咲けないそんな状況。
この場合、転校などをして場所を変えるのが一番です。
もしくはブラック企業で働いていて先が見えない。
去るのが一番です。
この場所で頑張らなくてはととどまり、自殺に至ってしまったらどうする?
私の経験から少しシェアします。
ある時、すごくつらいことがあって、どうしたらいいのかわからず母に相談しました。
母は「3年我慢しなさい。」と言いました。
3年我慢しました。最善を尽くしました。
3年後、何が起こったと思います?
何も変わらなかったのです。私が病気になっただけ。
置かれた場所を変えなくてはいけないときがあるのだと思います。
私は置かれた場所から逃げ出しました。
そこでとても不幸だったからです。
違う場所なら咲けるかもしれないのです。
今回これを書くにあたってネットでこの本に関して意見を調べてみました。
私と同じように感じている人がたくさんいることがわかりました。
ある記事に出ていたのが
置かれた場所で咲きなさいというのはとても危険で無責任な言葉だとありました。
便所のネズミについてのお話です。
秦の始皇帝に仕え、その天下統一を補佐した李斯は、もともと田舎の小役人だった。
そして自分はこのままこんなつまらない人生を過ごしてもいいのかと悩んでいたある日、
便所の片隅で人におびえながら汚物を食べる痩せネズミを見かけて嘆息しました。
「俺もこのネズミのような、つまらない存在だ。」と。
ところがある日、穀倉の中でもネズミを見かけるのだが、そのネズミは有り余る穀物を食べて
肥え太り、人間の姿にも全く怯えることがなかったそうだ。
その姿を見たときに彼は悟った。
「人生もネズミの生き方も生きる場所次第ではないか」と。
そして彼は一念発起し勉学に励み、
始皇帝に見出され、歴史に名を遺す大人物になっていくことになる。
もし彼が、生きる場所を変える努力をしなければきっと、田舎の小役人のまま、悲嘆の中で人生を終えていただろう。
場所を変えることは決して悪いことではありません。
もし私が両親や妹の言うことを聞いて、
フィンドホーンに行くこともなく、そのままとどまっていたら
どうなっていたでしょうか?
それを想像するだけでもぞっとします。
つらかったら逃げてもいいのです。
人生は一回きりです。
私は20年も無駄にしましたが、そんなに待つ必要はありません。
最善を尽くしても変わらなければ、そこから去りましょう。