CINE21 2019.11.29 | パク・ヨンウ☆だぁ~い好き(*^^*)  

パク・ヨンウ☆だぁ~い好き(*^^*)  

パク・ヨンウ氏にぞっこんの
ハギのブログです。
出演作品を通して、
彼の魅力を徹底分析しましょ♪       

https://blog.naver.com/cine_play/221722055493

 

現代人の良心と羞恥心を思いながら演じた

 

『カーセンター』は、さびれた国道沿いのカーセンターを経営するジェグとスニョン夫妻が、生活のため犯罪に手を染めていく話だ。道路に、尖った金属片を撒くことから始まった彼らの悪事は、道路に釘を埋め込むという計画的な犯罪へと発展する。埃が積もっていたカーセンターに現金が集まり、夫婦の欲望も膨らんでゆくのだが、映画はまさにそこから、危なっかしい良心の綱渡りをする二人の心理に集中する。ハ・ユンジェ監督は、ジェグ役にパク・ヨンウをイメージした理由として、「眼の輝き」をあげる。「ジェグの置かれた状況をうまく表現できる眼をもった俳優だと思った。彼の眼には複合的な感じが宿っている」監督の期待どおり、『カーセンター』でのパク・ヨンウは、負け犬の眼から欲望や虚勢を張る眼つきまで、幅広いスペクトラムを見せてくれた。久しぶりの映画出演で、これまでの渇望を解消するかのごとく『カーセンター』でのパク・ヨンウは水を得た魚のように飛び跳ねる。「回避欲求より接近欲求が強い性格、言い換えると安全より冒険を好む気質」だと、パク・ヨンウは自分について説明する。『カーセンター』という新たな冒険を、心から楽しんだようだ。

 

 

銀幕でお目にかかるのは久しぶりです

入って来るオファーを自分から断って充電の時間を取っていたわけではなく、自分の意思が半分、周囲の意向が半分、原因だったように思います。仕事でもなんでも、思い通りに生きるのって、簡単じゃないですから。

 

計画的な暮らしをしておられるほうですか

そう言えるときもあったし、言えないときもありましたが、最近は、自分ができる範囲内で計画を立てなければと考えるようになりました。人気があるに越したことはないし、興行成績も良いほどいいに決まってる、脚光を浴びる役もやりたいけれども、そんなの、計画通りにはなりません。自分ができる範囲で計画を立てるというのは、結果に振り回されることなく、楽しめることをやるってことです。ドラムを叩いたり、英語を学んだり、本を読んだり。振り返ってみると、言い訳ばかりしてきたように思います。すぐに撮影が始まるのに本なんか読んでいられるか、撮影が終わったら英語をやらなければ、これが終わったらドラムをやろう、そんなかんじで。後から考えると言い訳でしかないんですよね。最近は、言い訳をする代わりに、楽しめることをやって生きていこうと思っています。

 

完成した『カーセンター』を初めて観たときの感想は

(撮影)期間が短かった割には紆余曲折がたくさんあった作品で、そういうのが走馬灯のように浮かんできました。映画が終了してから、監督に何度も感謝の思いを伝えました。「調和」という言葉が好きです。適度に調和のとれた何かを作り出すことがどれほど難しいか知っているので、自分の色をしっかり持っているハ・ユンジェ監督がどれだけ苦労し努力されたかが見えました。

 

キャスティングのエピソードを聞くと、最初は面と向かって断る意思表示をされたとか

辞退すると100%決めていたわけではありませんでした。作品が気に入ったので、直接会って意見を言わせてもらいたかった。シナリオを読んでも理解できなかった部分について、率直に伝えたところ、監督は耳を貸すどころか席を蹴って行ってしまいました。初対面で、コミュニケーションがうまくいかなかったのだと思います。

 

ハ・ユンジェ監督にお聞きしたところでは、「断るために出てきた割には徹底したキャラクター分析を行っていて、1時間もシナリオについて熱く語られたので、どう受け止めたらよいかわからなかった」と

それも私のスタイルなんでしょうね。ひとつのテーマについて、それも、自分が好きな映画については熱く語り合いたい、という思い。常に渇望している。以前は、コミュニケーションをとるのが苦手でした。表現も堅かっただろうし、融通が利かなくてぎこちなかったと思います。でも変わりました。今はとにかく演じるのが楽しい。数年前からですね。

 

その分岐点はいつ頃?

最近。仕事をしないでいましたから(笑) 自分自身に問いかけるんです。自分が好きなこと、自分がやりたいことを、忍耐強く問い続けることが大切だと思います。これまでは、自分としっかり向き合ってこなかった。

 

監督に向かって、自分の考えを率直に伝えるというのは容易なことではないでしょう

確かにそうですが、できる限り正直に伝えようと努めています。正式契約前には、正直に、自由に作品に対する意見を述べられます。最近は現場でも言えるようになってきましたが、契約前の対話はじつに楽しいものです。

 

コミュニケーションを大切にしておられるようですが、そうすると、相手と合う、合わない、というのが、作品を受ける、受けないの決断に影響を及ぼしますか?

人なんて、わかりませんから。付き合ってみてもなかなかわからない。一緒に数か月仕事をしたって相手の一部がわかるようになるだけで、その人の本性がわかるわけはありません。自分のことだってわからないのに。ただ、何かひとつでも魅力を感じたら、無謀に信じて突っ走るしかない。期待したほどではないかもしれないし、期待以上の人物かもしれない。いちいち疑って問いただしていたら、人生がつまらなくなってしまいます。最近は、シンプルに生きようと思っています。できるだけシンプルに。

 

契約前には率直な意見を述べられるが、撮影が始まると監督を信頼して全面的に従うと聞きました

格好いいでしょ。そういつの、格好いいと思いませんか?(笑) プライベートでも仕事でも格好よくいたいですよ。撮影が始まる前にはあれこれ言ってみます。いろんな状況を仮定して試してみる。準備段階では、責任がありませんから。答えをみつけるために、いろいろやってみるんです。ハードに演じてみたり、ソフトに変えたり。でも撮影が始まると、責任を負わなければなりません。現場で行ったことは、映画の中に結果として残るから。冒険ばかりでもいけません。本番では、いろいろ試したことを整理して、吟味した結果を考えなければ。そこで戦ってはいけないと思うんです。それまでに、いっぱい試しておく。その過程が楽しい。

 

カーセンターの主、ジェグの核心は何だと思って演じましたか?

現代の韓国社会を生きる人々の、標準的な良心、それを思いました。「このぐらいのことだ」「このぐらいならいいだろう」そういう気持ちはよくあると思います。同時に、自己弁護が横行する時代でもあります。「このぐらい」という良心の上限についてもう少し付け加えると、例えばこういうことです。自分がマンションに住んでいるとして、3年前から誰かがマンションのそこここに飲み終えた牛乳パックを捨てている。ガレージとか、エレベーター前の通路とか。いつもひとつの動線の中に捨ててある。おそらく一人の人物の仕業だと思うけれども、無責任に捨てられた牛乳パックを見るたびに、とても気分が悪い。「俺様が飲んだものだから誰か片付けろ」と言いたいのか、それを見た人間が不快に感じるのを面白がっているのか、理由はわからない。とにかく、それを目にし続けた自分はどんどん腹が立って、「絶対いつか捕まえてやる」と思うようになるんです。捨てた人間は、「このぐらい」と軽く考えているかもしれないけれども、それを見た誰かは一日中気分が悪い思いをするんです。純粋な良心というものを誰しもが持っていると思いますが、その上限は人によって違います。『カーセンター』は、「このぐらい」という気持ちから始める生活のための犯罪をブラック・コメディーとして描いています。現代人の良心と羞恥心に関する話ではないかと考えながら演じました。

 

映画の冒頭で、閑古鳥が鳴くカーセンターの表に出した床几の上でジェグが食事をしているシーンから、すでにジェグの性格がよく表現されていると思いました。肉体労働者の粗暴なかんじと、商売がうまくいかなくてイライラしているかんじ

現場で湧き上がってくるというか、完成度が高まるものもたくさんあります。現場の状況に合わせて、その中で自分に何ができるか考えます。あらかじめ準備はしていきますが、現場でそのとおりにはできないとなった場合には代案を考えなければなりません。(このとき、インタビュー会場に館内放送が流れて)こういうのが、まさに現場です(笑) 準備していったものが役に立たない状況になっても、楽しもうと努めています。即興で新しいアイデアが浮かんでくれば、それに従います。ここに床几があって、相手役はこんなふうに演じている、そういうのを受けて、演技を合わせていく楽しみを知りました。現場で自分が「有意義な集中」をしてるな、そう感じる瞬間がとても楽しいです。

 

ブラック・コメディというジャンルの中でジェグが表現できる喜劇的な要素についても悩みましたか

個人的に喜劇と悲劇は紙一重だと思っています。生意気なことを言わせてもらうと、素の自分はどうかわかりませんが、演技では、人を笑わせる自信があります。笑いと悲しみは同類だと思っているし、それをどのように表現するかによって笑いにもなれば涙にもなります。

 

パク・ヨンウという人物は、どんなに生活が苦しくなっても、道路に釘を撒くような、良心に逆らう犯罪を犯すことはなさそうに思えます

ジェグが取った行動は、よくないですよね。ジェグという人間は、自分は何が好きで何をやりたいのかもわからず、なんとなく生きてるんです。そんなふうに、なんとなく生きるのではなく、自分はこれが好きなんだというものをみつけて、実践して生きていく人が増えるといいなと思います。私は「まっとうなキリギリス」になりたいのですが、そうなろうとすれば、自分自身に対して恥ずかしいことはできません。本気で遊ぶためには、人生をしっかりとつかんでいないと。手を離したら、無気力に生きるしかなくなります。真剣に遊ぶ、楽しむためには確実に、しっかりとつかんでいなければなりません。

 

 

後半に、スヨンと取っ組み合いのけんかをするシーンがありますが、どうでしたか? スヨンを実際に殴るわけにはいかない、といった制約の中でのアクションとリアクションが求めれれたと思いますが

本読みの段階からわかっていたことなので、撮影が始まってからストレスに感じたとか演技が制約されたようなことはありませんでした。現場の雰囲気を重要視していたので、あのシーンを撮影した日も現場の状況を確認し、ウンジさんのコンディションも把握して、監督のおおまかな指示まで総合して演じました。それほど、苦労したシーンではなかったです。

 

チョ・ウンジさんという優れた共演者に恵まれて、撮影が一層楽しめたのだろうと思います。所属事務所が同じで、『甘殺』でも共演されましたね

昔から知り合いではありますが、とくに親しくしてきたわけではありません。ですが、ずっと信頼してきました。監督から、相手役にチョ・ウンジさんはどうだろう、と言われた瞬間、本能的に確信がもてました。イメージにもピッタリだったし。結果的にも、一緒に演じられてよかったと思っています。

 

次回作『幽体離脱者』についても教えてください

ユン・ゲサン演じるイアンという人物がいるのですが、イアンの対極に立つキャラクターです。封切は来年の1月か2月ごろになるでしょう。

 

今年もあと1か月です。今年中にやりたいことは?

旅行に出たいですね。人間関係において、良い関係を結べている人たちとはそれを維持していきたいし、最近習ったパラディドルというドラムの技術を今年中に完璧に習得したい。新しいキャロルがいっぱい生まれるといいですね(笑)

 

ドラムはいつから?

8年ほどになります。本当に難しい楽器です。ドラムにはリズム感が重要です。ドラムを習い始めたことで、音楽と演技には通じるものがたくさんあって、互いに補完しあうとかんじるようになりました。映画祭の舞台とかで、役者が集まって演奏を披露できればと思っています。私のロマンのひとつです。

 

 

 

宝石ブルー 素敵ですが、相変わらず禅問答のようなインタビューですあせる

  「まっとうなキリギリス」ってなんだろう??? わかったら、また、ご報告します。

  『カーセンター』は残念ながら韓国まで見に行くことはできませんが、『幽体離脱者』は必ず、韓国でまず、拝見したいと思います!