【イラスト】 イラストレーター イ・ギュヒ
やたらと蒸し暑い夏でしたけれど、
何をしただろうと思い返してみると、去年の夏と大して変わらなかったような気がします。
扇風機を間近に置いてコンピュータの前に座り込み、隙さえあればぼおっとしていたはず。
ですが事実、年が明けて季節が変わる間、当然ながら今年の季節は去年の同じ時期とは違います。
たとえば、去年の夏の蒸し暑さは、今年ほど長くはありませんでした。
なのでたぶん私も、去年とは、去年の同じ季節の頃とは違うのです。なんて当たり前のことでしょう。
そうです。『盗まれた本』 が3年目を迎えました。
一昨年と昨年に続き、今年もソ・ドンユンとチョ・ヨンラクが舞台に上がり、驚くほど長いセリフを一瞬のうちに浴びせかけ、みなさまの心のうちにある欲望の井戸に桶をどぼんと投げ入れるでしょう。
引き上げてみてください。何が入っているか。
私の桶の中には去年とは少し違うものが入っているはずです。
同じ名前の、また違った 『盗まれた本』 に会えるはずだからです。
ユン・ソンドン監督のシナリオ 『盗まれた本』 を初めて読んだとき、チョ・ヨンラクがソ・ドンユンを監禁した後の、ソ・ドンユンの心理的変化が最も印象深く魅力的でした。
漫画 『盗まれた本』 は、キム・イネ(漫画ではキム・ヨンヒとしました)とソ・ドンユン、二人のる場面から始まりますが、演劇 『盗まれた本』 はソ・ドンユンが監禁されている状態からのスタートです。
いやあ、じつに鋭い脚色だ! と感嘆し、
演劇の舞台が持つとてつもないエネルギーとストレートな伝達力は、
すでに(当然ながら)話の結末を知っている私までも緊張しっぱなしで焦燥感にかられながら没頭してしまいました。
2012年に連載が始まった漫画 『盗まれた本』 は今年完結、
演劇 『盗まれた本』 は今年3度目の公演となります。
今回は、ソン・ヨンチャン、パク・ホサン、パク・ヨンウ、チョ・サンウンという俳優さんが演じてくださいます。
うわあ! ばっちり期待できます。特に今回、漫画が動画となり、ソ・ドンユン、チョ・ヨンラクと共に舞台に上がるのです。
栄誉この上なく、おへその辺りがくすぐったい、心地よい緊張感を感じます。
格別に蒸し暑かった夏の間、1リットルほどにもなる汗をしたたらせながら頑張ってくださった俳優さん、演出家、スタッフのみなさまの努力と熱情に感謝申し上げ、
劇場に足を運んでくださった観客のみなさまにも、深く感謝いたします。
【映像デザイン】 映像デザイナー シン・ジョンヨプ
『盗まれた本』 は、ストーリーの映画的ドラマ展開、サスペンスと心理的緊張を備えた登場人物によって公演映像の側面に、劇の進行と展開に多大な効果を期待できる作品である。
このたびの公演では特に、単行本漫画の原画を活用することにより、劇と書籍を結ぶ物理的な役割についても、公演映像を制作する段階で考慮しなければならない事項であるといえる。単行本の方では劇中登場人物の過去をメインに取り扱っているため、映画的なフラッシュバックとして使うことを可能にし、恨みの深さを印象づけるとともに舞台の上に上がった人物の性格や心の動きを一層わかりやすくしてくれるため、緊張感のあるリアルな劇的感情を生み出すことができるだろう。
また、小劇場の舞台に設置される額縁型スクリーンの構造を通して、平面的で単純な映像効果を使用することで、舞台の実際的な極限の感情を邪魔しないよう構成し、観客はまるでテレビのついているリビングにいるように、舞台と映像を無理なく受け入れられるよう配置した。
今回の公演を通して、『盗まれた本』 がコンテンツの面でも幅を広げ、より多くの観客に喜んでいただけることを期待する。
【舞台 / 小道具デザイン】 チョン・スッキャン
ありえないような空間に作られた書斎。
たくさんの本とDVD、雑誌の山で人為的に埋められた空間。違和感を感じる、落ち着けない空間だ。
真実と嘘が絡み合った混沌の中で作家の現実と虚構が出会う空間であるとともに、
ともすれば作家が最も居心地よく感じる場所でありながら、落ち着かなくて抜け出したいと思ってもいる、そんな空間だ。
四方を壁に囲まれていて、どんな音も外には聞こえないと思えるこの空間で、
見えない穴から真実が抜け出していくような感覚、
どこまでが本心でどこまでが嘘なのか判別のつかない作家(ソ・ドンユンとキム・イネ、そしてチョ・ヨンラク)の欲望が生み出す歪曲された物語が、矛盾で満ちたこの書斎という空間を通して、観客のみなさんに興味深く伝わることを願っている。
【作曲 / 音楽監督】 Ombre
今年も 『盗まれた本』 に会えた
「昨日もいらっしゃって今日もいらっしゃったから、明日もまた来てくださればどんなにいいでしょう」
よく流行っている食堂で目にする儀礼的な挨拶文のように、2014年から毎年再演されてきた人気作品に参加していることに自負心が生まれる。
音楽、映画、文学など、大部分の芸術は多様な記録方式によって保存することができ、冷凍庫に入れた食品のように時間の束縛から解放されていつでも観たいときに観ることができる。しかし演劇は、ただ舞台を通してのみ、鑑賞できるものだ。タコの生き造りを冷凍してしまったら、もうタコの生き造りではなくなるように。なんと絶妙な表現。
そして、劇が終わると、共存したすべての付加芸術が劇と共に封印される。
舞台は解体され、小道具は箱の中にしまわれ、照明は目を閉じ、音楽は忘れられる。
アルバムにして出さない限り、消えてなくなり忘れ去られる音楽を毎回作らなければならない心情は、まさにウミガメが砂浜に卵を産むときの気持ちに似ているのではないか。
ともすれば、世界のどこへ行ったとて再生されることのない音楽が、じつに多くの人の夢と汗によって生み出されるのであるから、それを可能にしてくれたすべての企画、スタッフ、演出、俳優、そして観客のみなさんに限りない感謝と愛をささげ、長いといえば長いし、短いといえば短い、音楽監督の挨拶を終わります。
【照明デザイン】 イ・ジュウォン
(経歴のみでコメントはありません)