映画 『純情』 の原作本では、名実ともにヒョンジュンが主役!でした。
最初と最後に現在のスタジオ風景があり、中間は17歳の夏を回想するという構成は映画と同じですが、回想シーンはすべてヒョンジュンの語りで進んでいくので、ヒョンジュンの声が頻繁に登場し、スタジオシーンも中間に2~3度出てきました。
これがそのまま映画になっていたら・・・・・
全編を通じてヨンウニムの美声が聞けたのになぁ。残念です。
それがどんな語りだったか、訳出してみたいと思います。
水仙の花のような少女がいました。真っ赤な夕焼けが処女の髪の間で弾けると、眩しいほど美しかった。その年の春、私と友人たちは港町の高校へ進学しました。しかし彼女は、島に残らなければなりませんでした。子供のころから重い病気で、歩行が困難だったからです。中学を卒業するまでは、私たちが負ぶって通学していましたが、そんなふうに別れ別れになってしまったのでした。港町で私は、故郷に残してきた彼女のことばかり毎日想っていました。
私にとっては彼女のいる場所が世界の中心でした。だからこそ、そこへ行きたいと願いました。ところが彼女は、私たちの島を彼女の世界の果てだと言いました。八方ふさがりの世界の果て。
今になって考えると、実にとんでもないことをしでかしたものです。お供えを盗んだ後悔より、スオクの態度が私を苦しめました。それまで彼女は、いつでも私に負ぶわれていました。小学生のときから中学卒業まで、ずっと。今でも背中に彼女の体温を感じることができます。なのにあれほどまで嫌がるとは。彼女が泣き止むまで、私たちはずいぶん長い間待たなければいけませんでした。そして落ち着くと、空腹を覚えました。
あの日あの場で愛という単語を口にした彼女の視線は、いつにまして震えていて可憐でした。それをみつめる私の心も同じでした。岩に姿を変えられても一緒にいたいと思う心。そのとおりでした。岩だけでしょうか。彼女と一緒にいられるなら、岩でもいいし草になってもいい、風になってもよかったのです。
夜明けの海をご覧になったことがあるでしょう。
暗闇を引き裂き赤く黄色く昇ってくる朝の太陽。それは最初のはじまりに似ています。生まれたばかりの赤ん坊が泣きだすように、地面から新芽が出てくるように、最初の足跡をつけるように、ファーストキスをするように、そんな眩しい時間でした。スオクの顔も赤く照らされ、私の目も赤く染まりました。彼女と私は、とてつもなく長い時間をかけて進む道の出発点に一緒に立っているようでした。
生涯忘れることのできない旅の記憶が、みなさんにもひとつずつはおありでしょう。私がひとつ選ぶなら、あの日です。彼女が一番幸せに見えた日だったから。村からほんの十数キロ離れた程度の場所でしたが、その日ばかりは私たちが海の主となり、人生の主役だったのです。
彼女は本当に音楽が好きでした。不自由な身体。四方を海で塞がれた孤独な島。現在のような医療システムがなかった環境のために音楽を趣味にしたとも考えられますが、今思えば、天性の感覚を持っていたのでしょう。一度聴いた音楽は、一音たりと間違えずに歌うことができましたから。
今から思えばとても無謀な試みでした。どこからそんな勇気が湧いてきたのか。だけど彼女が望むことであれば、どんなことでもやってやろうと思っていました。軍艦であろうと、飛行機であろうと、喜んで盗んできたでしょう。
愛とは細い山道のようだと、その時気づきました。他に進める道はなく、終わりが見えないからです。楢の木の林の奥に彼女が立っていました。私が歩いてゆく道は、そこまで続いていると思っていました。それなのにいくら歩いても、近づくことはできませんでした。私の道は結局、彼女を通り過ぎて崖に出てしまいました。
台風に壊れた船があったとすれば、それは私の心でした。翼を失って墜落する鳥がいれば、それがまさに私でした。その日私は、垣根の下で彼女を呼ぶこともできず、ひたすらそこに立っていました。スオクが愛したのは、私ではありませんでした。彼女の前に私の愛は、とてもみすぼらしいものになってしまいました。真っ赤に熱せられた鉄の棒で皮膚を焼かれる以上に、胸が痛みました。夜通し涙が流れました。
愛に傷ついた私は、同じように愛に傷ついたスオクを負ぶって歩きました。風が帳(とばり)のように私たちを取り囲みました。その風に乗って、どこか遠くへ飛んでいけたらどんなにいいでしょう。ところが彼女は傷ついた小さな鳥のように私の背中でただ泣くばかりでした。涙が私の首筋を通って流れました。
彼女は海の中で朝を迎えたのでした。美しかった瞳はぎゅっと閉じられ、胸からは温もりが消えて冷たくなり、長い髪からは海水がしたたり続けました。まるで髪が泣いているかのようでした。
死が、あまりにも突然にやってきたので信じたくもなく、信じられもしませんでした。すぐにでも起き上がって、あ、ごめん、また私気を失ってしまったのねって、そんな気がしました・・・・・私たちにはスオクの死を受け入れて、送ってやるための時間が必要でした。そうして、私たちだけの葬送が始まりました。
死と呼ばれるモノがあって触ってみることができるのでもなく、目で見られるものでもないのに、はっきりと人の身体を通して自身を証明していました。まるで、流れる雲によって風の存在を知るように。話し、笑って、泣いていたスオクは、最後まで何も答えてくれませんでした。まつ毛の先を震わせることすらありませんでした。それが彼女の死、でした。
17の私の希望とはまったく違く方向に世の中は進んでいきました。悲しむ以外にできることは何ひとつありませんでした。自分の無能さに腹が立ちました。その一方で、スオクはあの不自由な身体を脱ぎ捨て、生まれ変わるために旅立ったのではないだろうかと考えました。そうだとすれが、彼女はどこへ行ったのでしょう。
彼女と過ごす最後の夜でした。みんなで花を作りました。花は、葬儀を何度も行えるほどたくさんできました。私たちにできることは、それくらいしかありませんでした。
そうなんです。自分たちだけで葬儀を執り行いはしたものの棺を担ぐときの霊歌が詠えませんでした。そういうのは大人の仕事でしたから。その時、スオクの声聞こえたのです。「ボムシル、音楽を聴かせて」
本当の歌詞とは違っていましたが、そんなことは関係ありません。あの日、キルジャが訳した歌詞は私たちの気持ちそのものでした。私の背中には幼いころからのスオクの記憶が残っています。それなのにあんなことになって、本当にそんな人が存在したのか、怪しく感じるのです。愛の終わりは「さよなら」ではなく、「あなたは誰」と尋ねるものかもしれません。私は自分の命ほどに彼女を愛したにも関わらず、彼女が誰なのか、本当にわからないのです。
彼女にとって海は足枷のようなものでした。海を抜け出したいと切に願っても島というものは。新しい家を建てたところで結局隣は海なのです。もしかすると海が彼女をつかんで離さなかったのかもしれません。すでに遠くへ飛んで行ってしまったのか、まだどこかでイライラしているのかすら私たちにはわかりませんでした。
みな彼女と別れたくありませんでした。しかしそれ以上、彼女が人間の世界に住み続けることができないように私たちもいつまでも彼女の新しい家(墓)にとどまっていることはできませんでした。
そうしてスオクは海の見える丘の上に横たわり、私は島を離れました。それから20年が過ぎて、今日が彼女の命日です。
愛が完成するには20年はかかるだろうと彼女は言いました。その間に私はラジオのDJになり、彼女はあの場所に眠っています。
ボムシルがスオクを想う<純情>も、スオクが打ちひしがれた<純情>も、原作小説は映画より露骨で、私は映画のほうがずっと好きです。映画のほうがより透明感があって、<17歳>のイメージに近いので、敢えてストーリーの違いをここでお話しようとは思いません。
ですが、ご紹介したようなヒョンジュンのコメントが、ヨンウニムの美声が、映画の途中途中に挟まれていたら、それはもっとよかったのになぁと思わずにはいられなくて、みなさんにも映画以上にヒョンジュンを感じてもらいたくて訳してみました^^