ARENA HOMME + 4月号 インタビュー | パク・ヨンウ☆だぁ~い好き(*^^*)  

パク・ヨンウ☆だぁ~い好き(*^^*)  

パク・ヨンウ氏にぞっこんの
ハギのブログです。
出演作品を通して、
彼の魅力を徹底分析しましょ♪       

雑誌を購入された方から、インタビューページも見せていただきましたので再掲です^^


読めたのは嬉しいけど、ちょっと複雑な心境になるインタビューです。。。




彼が考えるとき

パク・ヨンウは、窓の外を眺めながら長い時間じっとしていた。誰も、何も言わなかった。午後だった。


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パク・ヨンウが所属する事務所の広報担当者からインタビューの話が持ち込まれたとき、2つの考えが浮かんだ。ひとつめは、最近の彼は何をしているんだろう、ということ。もうひとつは、会いたい、ということ。


理屈抜きに、人柄がよさそうで。それがパク・ヨンウのイメージだ。いい人。本当の性格がどうなのかは知らない。だが、俳優にとって重要なのはイメージだ。彼と私が友達になろうというのでなければ。


パク・ヨンウは最近、映画 『純情』 を撮った。映画は公開され、すぐに忘れ去られた。彼はヒョンジュンという役でラジオのDJを演じた。登場シーンは多くなかったが、映画のポスターで見ると、彼はとても素敵に写っている。心からの笑顔だと思える。そして、彼の肩幅は広く、背景に海が見える。



パク・ヨンウに会った。たいして気になることもなかった。20年以上にわたって演技を続けてきたにも関わらず、注目度が低いのはなぜか・・・ そう聞くべきかと思ったが、まさかそんなことを聞くわけにもいかず、二日ほど、彼について思いを巡らせた。


彼を知っている人は多い。ところが、それほど有名だとは思えない。もちろん、映画 『血の涙』 や 『甘く、殺伐とした恋人』 で、彼は、これ以上ないほどに素敵だった。ドラマ 『済衆院』 ではまぶしかった。とすれば、彼に演技ができなかったときなど・・・ あったのだろうか? 彼はいつだってそこにいたし、勤勉に自分自身の演技世界を展開してきた俳優のひとりである。終始一貫という書き方は、彼の好みではないかもしれないが、紛れもなく彼は、そういうふうに過ごしてきた。


私は彼に言った。これからもずっと演技を続けていかれるのでしょうね、と。彼は、自分のことを欲してくれる場が多くないのだと言った。私は、ちょっと笑わせようと思って、そうは言っても、最後の最後にはみんな貴方を求めることになるんですよ、と言った。ただそんな気がする、と言った。もっと詳しく説明したかったが、できなかった。何と言えばいいのかわからなくて。これまで演技を続けてきて、十分に証明できていると言えばよかったのだろうか? それを言ってみたところで、彼は首を横に振っただろう。私は、椅子をひとつ、彼に差し出す気持ちで対話に臨んだ。彼がそれに座って、しばしの休息を取って帰っていってくれたら。いや、その椅子に座る資格が十分にあることを、自ら感じてほしいと望みながら。


インタビューが終わって彼と別れた後、外に出ると身に沁みる花冷えだった。自然と肩がすくんだ。だが、どうしようもないと思った。明らかに、冬の寒さではなかった。



昨日、『純情』 を観ようと映画館へ足を運びましたが、午前11時10分からの1回しか上映がありませんでした。公開して2週間しか経っていないのに。レビューを見ると、俳優たちの演技に対する評価も高いし、内容も一見の価値ありとなっていて期待したのに・・・


評価点はどうなっていましたか? 見てみましょうね。お、8.96点。ほぼ9点ですね。私が出演した作品の中でも最高じゃないかな。なのに興行成績ってやつは、いつも感じることだけど、結果だけ話すのはいともたやすいけど、結果が出るまでの過程は変数も多くて、何とも上手く説明できません。



個人的に 『純情』 はとても良い作品だと思いました。ところが最近は、もっと派手にラッピングしないと関心を惹けないのですよね。残念ですが、こんなことを言いながら、私も派手な作品が好きです。


個人の嗜好は大切ですよ。私は、意味深い作品だからとか作品性が高いからといって、見てくれと強要したくありません。どんな作品でも、観客に興味を持ってもらわなければいけないんです。それを上手くラッピングして見せなきゃいけない。個人的な好みで言えば、『純情』 はそういうふうに出来上がったと思っています。ですがその他の複合的な要因によって、この映画が持つ良い面が観客の興味を引き出すものとはならなかったのでしょう。タイトルが気に入らないとか、ポスターが心に響かないとか、いろいろあると思うんですよ。だけど、それもまた個人差のある話ですから、こうだとはっきり言うことはできません。



私にも俳優の友達がいるのですが、その友達が出演した映画を観ると、映画全体が目に入らなくて、友達が出ているところばかり見てしまいます。ヨンウさんはどうですか? 映画の完成度はさておき、自分の演技を見て満足されますか?


そういう面では、非常に感謝しているほど、満足です。どの作品のことか、お話しするわけにはいきませんが、その作品で多くの称賛をいただきました。演技が非常によかった、と。ですが実はそのとき、私はとても恥ずかしかったんです。どうしてかって、現場では本当に下手くそだったんですよ。理由はいろいろありました。とても緊張していましたし、撮影中のトラブルで集中できなかったり。ところが編集された映像を見ると、とても上手に演じたようになってるんです。他人にはわかりませんが、自分はよくわかってます。自分をごまかすことはできませんから、とても恥ずかしかった。今回の作品は、やってもやらなくても大して変わらないと思いました。この役が、作品全体にどれだけ影響を及ぼすのかと思ったことも事実です。登場シーンの分量もそうだし、意味もそう、特別出演以上でも以下でもないと。紆余曲折の末に出演を決めましたが、演じながら俳優として成長できたと思いました。不安があったのですが、上手く消化できました。自分自身をほめたいです。他人にどれだけ認めてもらえるかはわかりませんが。



ラジオブースの中で演じられましたね? ちょっと考えただけでも、簡単ではなかったと思うのですが。座ったままで、声と表情だけで表現しなければいけないのですから。


悲しみであれ怒りであれ、ほとんど身体を動かさない状態で表現することを要求されたのです。じっとしたままでの演技・・・ 難しいですよ。本当に、とても上手に演じなければ、上手いとわかってもらえない。私はそういう演技を難しいと思うし、不安です。ですが、とても上手くできたと思っています。



フリではないと?


はい。性格的にフリはできないんです。自分自身を甘やかすことができません。幸い、今は自分を信じることができるので、それに満足しています。



デビューして20年ほど経ちましたね? ひとつのことを長く続けていると実力はアップしますよね。演技もそういうものですか?


私の場合はずいぶん上達しました。あまりに情けない状態だったので、デビュー10年ごろまでは見ていられないほどでした。それがまあ、よくわかりませんが、外的な要素はいくらでも? あ、いくらでもってことはないな、それは嘘だ。外的なものはある程度、我慢できる、耐えられるように思うのです。興行成績がよくない、イメージが固まってしまった、最近はおまえのようなスタイルは流行らない。こういう言葉は、辛いけれども耐えられます。ですが、1年、2年と実力が伸びていかないのを自ら感じるとしてら、私は演技をやめると思います。それが私の性格です。ですが幸いにも、ほんの少しずつですが発展しています。だから耐えられるんです。俳優としての人生を。



本当にやめられますか?


はい。気に入らない演技を続ける自分自身を見るよりはいいでしょう。



インタビューのためにこちらへ向かっている途中、道端のえさをついばむハトをみかけました。道にえさなんて、落ちていると思いますか? だけどハトは、そういう人生をじっと耐えて生きている。そのとき、ヨンウさんを思い出しました。派手に目立つことはなくても、あなたはずっと演技を続けていかれると思います。そうでなければいけない俳優さんです。


呼んでもらわなければ、演じたくても演じられません。そして、自分自身が納得できなければ。



私の勝手な思いです。今まで通り、演技を続けていってください。それでいいと思うのですが。


俳優ごとにスタイルは違いますが、私は自分のやりたいようにやっていきます。そんなふうに行動はしますが、周囲の人に害を与えてはいけない。一緒に仕事をする人たちが、幸いにも私によって利益を得ることができれば、何よりですよね。私の心が望むとおり進んでいけば、他人に害を与えるようなことにはならないと信じています。




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責任感が強い?


責任感についてはよく考えます。以前は、俳優として認められて金も稼ぎたいと思っていました。人気があるというのはいいことでしょ。格好もつけようとしました。でも、そういう気持ちでいた頃は、あまり幸せではなかったんです。おおげさな言い方をすると、現場で自分だけが目立って、サイコーの演技をしたと称賛を浴びたかった。それが俳優としての責任感だと考えていました。今は違います。共有したい。目の前に誰かいるじゃないですか。監督はモニターを見ていて、撮影スタッフはカメラを見ています。照明スタッフもいるし、彼らと共有したいんです。同じ目標を持って集まっているのですから、僕はこんな演技を準備しましたよと、彼らと一次的に分かち合いたいんです。それがとても幸せなことに思えるのです。以前は、みんな離れてくれって言ってました。繊細な演技が要求されるときには、みんな出て行ってくれって。荷が重かったのです。みんなに見られていることが。今回、『純情』 の撮影の中で、ひとり長時間にわたって嗚咽するシーンがありましたが、現場にいる一人ひとりの人と目を合わせようと努力しました。とても楽しかった。これが、最近私が考えている俳優としての責任感です。どんな作品においても、そういうふうにやりたいです。

わぁ。人って変わるものですね。

ええ、とても自然なことです。すごく難しいこともあれば、呆れるほど簡単なこともある。私は、自分自身についてよく考えます。よくわかりませんが、昔とはずいぶん違います。今は、人と呼吸を合わせることがとても幸せに感じられます。ぎこちない感じがなくなりました。

昨日、『純情』 を観られなかったので、これではいけないと思って、インターネットテレビで昔の作品をひとつ拝見しました。『血の涙』『甘く、殺伐とした恋人』はもう観たので、何を観ようかと検索していたら、『The Phone』 という作品をみつけました。その作品にも泣き崩れるシーンがあって、とても上手に泣いていらっしゃいました。『血の涙』 でも泣きのシーンが印象的でしたし、泣きの演技が得意な俳優さんなのかなって。

ああ、『The Phone』 のときは・・・ なかなか入り込めなくて、やっとのこと感情がつかめたところを撮ったのでした。ロングテイクで一気に撮影しましたね。ぶちぶち切るより、そのほうが上手くいきます。あのキャラクターにとって泣くことは、完全に否定してしまいたい、崖っぷちに追い詰められてどうすることもできない、あらゆる否定的な感情を表出する絶叫でした。『純情』 は少し違いましたね。ある感情を乗り越えて、スッキリした涙と言うか、思いっきり泣いた後、さっぱりして成熟した気分になることがあるでしょう。そういう涙です。



そういう涙というのは、自分の本質についてさんざん悩んだ人だけが感じることのできる祝福だと思うのですが。


私は、平均的な(?)人よりは神経質なのでしょうね。自分ではただただ平凡だと思っていたのですが、違うみたいです。演技をやってきて、少しずつそういう面が見えてきました。ですから、私はイメージが固まるのをひどく嫌うのですが、2つのうち1つを選ばなければならないとすれば、ドン・ジュアンよりウェルテルスタイルなんです。最近は、ドン・ジュアンスタイルの方が人気でしょ。



ウェルテルスタイルとは、どんなスタイルだと思えばいいですか?


今の時代では、何か調和を整えようとする合理主義者だと思います。そうでありながら、合理的ということばに苛立ちを覚え、田舎臭いものだと感じているような。最近、カラオケに行っても1番すらまともに歌えない。



イメージが固定化するのが嫌だとおっしゃいましたが、イメージがある一方に偏りすぎていると感じられるからですか?


そうです。俳優は、ヒット作によってイメージが固まります。メディアに書かれる記事の方向性によってもイメージが左右されます。そう言えば、私に対してもいくつか思い浮かぶイメージがあるでしょう。澄んだ瞳、善良、笑い方が人の良さを表している、とか。



だから私には、先ほどお話しした 『The Phone』 のキャラクターが興味深かったのです。複合的なんです。善良で純真なのに悪者で、そんな性格になってしまった事情も複雑。


ところがあの作品は、興行成績がさっぱりでした。ヒットしていれば、新しいイメージを作ることもできたのに。



期待せずに観たのですが、とても優れた作品で驚きました。


そういう作品をたくさんやってきました。そのうちヒットもするでしょう。そこから自由になれる俳優なんていません。さっきも言ったように、それでも耐えられる気がします。ヒットしなくても・・・ だけど、自分の演技を信じられなくなったら、やめるしかないでしょう。



悪役が似合いそうですね。私は単純にパク・ヨンウさんが好きです。人が好さそうで。つまり、悪役をやられると、こういう私の感情は裏切られるってことですよね。


ジャンルや素材は問いません。作品のテーマに共感をもてるか、それが何より重要です。そして俳優は・・・ 自分の演じるキャラクターで覚えてもらいたいと願います。善良な役でも悪役でも。そうなろうと思うと、どんな役柄でも自由自在にこなせなければなりません。私だけの考えかもしれませんが。ところが最近は、コンセプトが明確で、特定のイメージが出来上がっている俳優にお呼びがかかる傾向があります。例えば、バラエティー番組に出演してキャラクターを演じれば、それがその俳優のイメージになり、その後は変わっていかない。もどかしいです。それが時代の流れなら・・・ 私も変わるしかありません。価値観を放棄しない程度のところまでは変わらなければ。たった一人で重荷を背負っているような生き方はしたくありませんから。とはいっても、やっぱり私は、自分の演じるキャラクターによって、さまざまなイメージに受け取られたいんです。



ご自分と、今の時代には溝があると?


はい。インターネットもほとんど使いませんし、Facebook や インスタグラムも情報共有のレベルでほんの少しやる程度です。俳優として、無責任とも言えますが・・・



無責任というより・・・ 最近思うことですが、SNSを使わないと聞くと気難しくて真面目な人だという印象を受けます。


そうですか。もちろん私自身は、気難しくみせようとか、真面目だと思ってもらいたくてそうしているわけではありません。それが自分として自然だから。まったく無理がないんです。ただ、私は今、プラインというプロダクションに所属しているので、会社で何かやるから参加せよと言われれば、やりますよ。



最近で一番幸せを感じるときは?


幸せを感じるときですか? さっき、すごく幸せでしたよ。写真撮影のとき。実はここへ来る前に、とっても悔しくて気分の悪いことがあったんです。だけどさっきの撮影は楽しかった。自分が楽しんでるってことも実感できました。最大限、与えられた状況を楽しみたいですね。以前は、将来のことをよく考えたものですが、最近はできるだけ今現在のことを考えるようにしています。



ありきたりの締めになりますが、読者のみなさんは、ヨンウさんがこの先どんな作品を演じられるか気にしていらっしゃると思うのですが。


具体的に決まっていればお話ししたいところですが、残念ながらまだ決まったものがありません。私自身も大きな期待を持っているし、早く次の作品をやりたいです。演技を面白いと感じるようになったのは最近です。3~4年になります。その前は大して面白くなかった。ストレスばかりで。だから、こういうときは、一方で期待しつつ、一方では慎重にならなければと思っています。自分の演技を、自画自賛しているだけではだめでしょう。客観的に見て、上手くないと。冷静にモニタリングしていかないといけないと思っています。



そろそろお帰りになりますか?


ええ、そうですね。