パク・ヨンウ チェ・ガンヒ LOVE を定義づけた
不可能なことはできない。手に入れることのできないものを見つけ出すこともできない。結局のところ、あなたにできることなんて何もないのだけれど、それでも恋愛について学ぶことはできる。今、あなたに必要なのは、Love、Love、Love それだけである。ときには甘く、ときには殺伐とすることもある、この理解しがたい Love というものを、パク・ヨンウとチェ・ガンヒが定義づけた。
行動
ガンヒ: 私は恋愛博士なんかじゃ全くないんです。じたばたもがくタイプ。駆け引きが上手くないといけないって言うけど、本当に相手のことを好きになると上手くいきません。だって気持ちが先走ってしまうもの、頭で考えるより。のめりこんでじたばたするタイプですが、始まるまでのインターバルは長いんです。友達を作るのにも時間がかかる方ですから。だけどいったん好きになって友達になりたいと思ったら、最後には必ず友達になっています。
ヨンウ: 『甘殺』 のデウと、個人的に一番よく似ていると思うのが、恋愛経験が少ないところ。ほとんど経験がないんです。たった一度しか・・・表面上、デウは恋愛を幼稚だと言い放ちますが、本心ではありませんよね。自分に対する言い訳でしかないし、バリヤでしょ、防護幕。30過ぎて恋愛経験のないことを誰かにバカにされたら、あんな幼稚なことやってられるかって言い返す、プライドが傷つかないようにわざとそんな言い方をするんです。本心はまるで正反対。他の誰よりも、恋愛を高貴なものと思っている人物です。
ガンヒ: 私は、つきあうと長く続く方です。2週間で別れてしまうような人もいますけど、私はそうじゃありません。初恋の人とは千日つきあいました。その頃、♪千日間♪という歌があってよく覚えているのですが、すごく不思議なのは、ちょうど千日つきあって別れたんです。わざと合わせたんじゃなく、偶然千日目に別れることになりました。また別の人とは、恋愛感情なのかどうか自分の気持ちははっきりしなかったのですが申し込まれるままにおつきあいしました。3年以上続きましたが、どうも違うと思えて、結局別れてしまいました。私は、私が好きになった人とおつきあいしたい。一般的に女性は、自分を愛してくれる人と一緒になった方が幸せだって言うでしょ。だけど私は違います。恋愛するなら少なくとも自分が相手を好きでないと、時間の無駄だと思っちゃう。たいして好きでもない人と何年もつきあってごらんなさい。あとでどれほど後悔することになるか。
ヨンウ: つきあった経験は一人だけですが、片想いならしてきました。当時、自分なりには頑張ったと思うんですよ。でもまだまだ幼くて経験もなかったから、ずいぶんギクシャクしてたんでしょうね。相手の方が僕に会うのをとても負担がっていましたから。だから結局は上手くいかなかった。ははは。僕は、相手が僕を本当に負担に感じているとわかったら諦めます。どんなに相手のことが好きでも。その点ではデウと違いますね。デウは諦めないでしょう。限りなくミナに与えようとするし、限りなく努力する。かわいいですよね。
ガンヒ: そんなふうに努力したからって愛は実る? 映画の中では、デウが恋愛経験ゼロなので友達にアドバイスをもらいます。でもそれ、全く現実性のないとんでもアドバイスなんですよ。女性と親しくなりたかったら馴れ馴れしい口調で話しかけろ、とか。
ヨンウ: 言われたとおりにするよね。「明日、僕から電話・・・する」「今日は楽しかった・・・ぞ」こんなふうにぎこちなく、丁寧語を使わずに話したら、ミナからはすかさず「タメ口ですか?」って聞き返されてしまう。デウとしては恋愛の公式を教えてもらったつもりでいたのに、正解ではなかったのかと苛立つ。
ガンヒ: 想像してみてください。男の人がありとあらゆる ”個人芸” を総動員して、、、例えて言えば 『ウッチャッサ-笑いを探す人々-』 のサス(お笑いコンビ)が ”パパパパ” (サスのギャグ)を毎日やってくれるんですよ。ちっとも面白くないのに。だけど仕方ないから面白がってるフリをしてあげるの。そういうのってすごくキツイじゃないですか。笑いのツボが違うんですもん。
ヨンウ: じゃあガンヒ、君からすると第一印象が気に入らない男が、執拗に、君のために努力を続けて、何度もつきあってほしいと言われたらどうする?
ガンヒ: つきあってあげることはできるけど、、、好きになることはできないと思う。努力はとても大切だけど、でもその努力がいくら立派だからって愛につながるわけじゃないわ。たんに情がうつるだけでしょう。でもそういうのって、すごくイヤ。ヨンウさんはどう? ヨンウさんとしては特に気にったわけでもないのに女性の方が積極的に近づいてきたら?
ヨンウ: うん、、、はっきりつきあったって経験が1回しかないから、、、あのときはお互いが好きでつきあってたからなぁ。 たぶん、、、それでも何回かは会うんじゃないかな。まったく自分の好みでなかったとしても、何度か会ってチャンスをあげることはできるよね。それがマナーじゃない? でも、そのマナーってやつ自体、僕もうんざりなんだ。はは。相手にとっても気持ちのいいものじゃないだろうしね。相手にももちろん感情がある。努力して会ってあげるなんて、絶対気分悪いよね。自分ごときが。大した人間でもないのにマナーだからってデートするなんて、耐えられないよね。全く心が動かなくて、絶対に違うと思えるなら正直にそう言うしかないでしょ。はは。
寂しさ
ガンヒ: つきあった期間が一番短かった人ほど一番長く忘れられないの。つきあった期間と忘れるまでの期間は比例するものではないのね。別れたばかりの人には聞きたくない話かもしれないけど、「ひと月経てば忘れられるかしら?」って思って待ってみても絶対に忘れられませんから。「つきあっていたのと同じ月日が経てば忘れられるかしら?」と思って3年待っても忘れられない人がいるから。本当にどうしようもないんです、別れって。法頂和尚の本に、ときめきや愛といった感情は寄せては返すもの、寂しさもまた同じって書かれていました。つまり寂しさも寄せては返すものってことでしょう。
ヨンウ: 寂しさは生涯なくなることはないよ。僕は最近仕事で本当に忙しいけど、未だにパク・ヨンハと間違えられるんだ。はは。春史映画祭で受賞したときも、司会者が「パク・ヨンハさん、おめでとうございます」って言ったんだよ。もっと笑えるのは、家に帰って見たら、トロフィーに書かれていたのが "人気賞 チョン・ドヨン" 。まったく、ははは。
ガンヒ: それで、どうしたの?
ヨンウ: 交換したよ。はははは。仕事がたくさんあったからって寂しくなくなるもんじゃないんだよ。忙しいと寂しくない? いや、何をしていても寂しいよ。人はみんなそうだよ。愛する人がいても、やっぱりあの頃も僕は寂しかった。結婚しても同じじゃないのかな。愛する人がいて、一緒に暮らしていても、やっぱり寂しいんだろうな。それを認めてしまえばラクになれるよ。認めて、愛し合って、一緒に暮らせば、お互いへの所有欲がぐんと減らせると思う。
本物の愛
ガンヒ: 『別れに対処する私たちの姿勢』(ガンヒさん主演のテレビドラマ)には、別離契約書を書くシーンがあります。あれ、私もやってみたことあるんです。私が相手を忘れるまでの間、忘れることができるように助けてくれること、私が次の誰かを好きになるまでそばにいてくれること、まぁそんな内容でした。でもそれは守られるはずのない約束でした。愛し合っているときに契約書は書けるけど、別れることが決まっていての契約書なんて守れるわけがない。相手はもう私に会いたくないのに、どうしてそんなお願いができるの。相手を苦しめるだけじゃない。自分がどんどんみじめになるだけ。そんな自分がどんどん嫌いにもなる。相手にも嫌われて、自分にまで嫌われてしまったらダメでしょう。
ヨンウ: 僕が恋愛経験に乏しい理由はデウとよく似ている気がします。勇気がない、理想が高い、そういうデウの現実が全部含まれているのですが、それ以上に、お互いに好き合って始まらなければならないって思ってて、それが実は簡単なことではないような気がします。ロマンス映画のように、一目で恋に落ちてバチバチッと火花が散る、、、そこまではさすがに期待しませんけどね。はは。お互い出会ったときに最低限の好感は感じないとって思いますね。初対面でもお互いに好感を覚えたら、それって自然に伝わるものです。そうすると自然に行動も伴ってくる。
ガンヒ: 私は、愛は信じてるけれども Always 永遠なものなんて信じない。それが愛の定義じゃないかしら。つまり、恋愛においては、その一瞬に最善を尽くしましょうってこと。恋愛って、誰かのせいで傷ついても、その人を避けて逃げたところで新しい道がみつかるようなものではないのよ。また行き止まり。別の道を探したって、やっぱり行き止まり。迷路みたいなものよ。迷路の中で道をみつけようとするより、そのまま迷路の中で迷ってじたばたもがいてみましょうよってこと。それが私の愛し方。
ヨンウ: 恋愛は完成するってことがないので、いつか必ず傷つかずにはいられません。その傷が深くても浅くても、衝撃は必ず受けるし失望する瞬間も来ます。それでも、失望したからといって相手を嫌いになるわけではなく、失望までも相手の一部なんだと受け入れることができる、そんな恋愛がしたいです。最後まで行き着く恋。
ガンヒ: 何気なく過ごしている中で、愛が訪れればついて行き、心が誰かに惹かれれば向かって行く、そんなものよ。いつそんな感情が生まれるかはわからないけど、押し殺そうとは思わない。何度も痛い思いをしてきたけど、もう一回傷ついたからって何も変わらないでしょう。
ヨンウ: それでもはっきりしてるのは、努力しなきゃダメだってことさ。絶えず、絶えず。
(訳文文責:ハギ)
この記事を取り込んでおいた頃は、まさか自分がこんなブログを書くことになるなんて露思わなかったものですから、出所が記録できておりません。。。 雑誌のようなんですけど、情報がなくてごめんなさい。だけど可愛らしい記事でしょ ^^
사랑 (サラン) という単語は「愛」と訳されますが、日本語の「愛」とは違う使われ方もたくさんあって、全部全部「愛」とやってしまうと日本語ではとっても嘘くさくなってしまうので難しいです。『わが愛しの蝶々夫人』も原題は『내 사랑 나비부인』なので、日本語版が出る前のニュース記事なんかでは、『わが愛 蝶々夫人』と書いているものもありましたね。사랑 (サラン) だけで「愛しい人」という意味もあるからです。英語の My LOVE というのと似ていますね♪
タイトルと序文がとっても大げさなので引いてしまいますが・・・ ここまで読んでくださったみなさんは、それを乗り越えて全文お読みになった、ということですね^^;;;
ガンヒさんのお話に出てくる 『ウッチャッサ』 サスのギャグは番組の中でも人気コーナーだったようですが・・・ ガンヒさんの好みではないのでしょうね。「笑いのツボが違う」と訳しましたが、ガンヒさんは「コードが合わない」という表現を使っています。韓国語では一般的な言い回しです。
運命的な出会い、、、今でも待っていらっしゃるのでしょうか。 おっと、『ノッティングヒルの恋人』 がまた観たくなってきました。あの映画で、世界的大スターは女性(ジュリア・ロバーツ)ですが、性別を入れ替えて、大スターのヨンウニムと平凡な一市民の自分、という構図で観るのがハギ式です