やっと少しまともな記事が出てきたのでご紹介します。
昨日は、とにかく昨日のうちにひとつ記事をUPしておかなきゃ!的な、
まったく内容のない記事ばかりでした。
久々にニムのお写真がたくさん拝めたのはよかったですけど・・・( ´艸`)
ひどいものは「30日に試写会開催。監督〇〇、俳優××が出席。11月20日公開」
しか書いてないものもあったし、
ほとんどすべての記事でジュングは<画家>にされちゃってました^^;;;
あっはは~、 せめて映画を1度は観てから書いてほしいですよねぇ。
で、この記事はまともです![]()
映画 『春』は、感覚的な作品だという表現を使わなければならない。
石の皿に盛られた穀物と川、空、そして役者がそこにつながる様子に美しさを感じる。
芸術作品を観ているような錯覚に陥る。
美術監督出身の監督の努力があますことなく注がれている。
役者たちの演技も強烈な印象を一層盛り上げる。
監督の力量によるのだろうが、映像と役者がこれほどに調和することができるものか?
これらの要素は、映画が強調するものであるかのように。
美しさを定義してくれる。
아름다움의 정의를 내려준다.
ベトナム戦争が熾烈に繰り広げられた1960年代末。
最高の彫刻家ジュングは、すでに生きる意味を失ってしまった廃人のようだ。
妻のジョンスクは、最後まで夫に生きる意味を与えようと努力する。
夫の芸術家魂を、もう一度燃え立たせるために。
貧困と暴力のもと、その日その日をやっとの思いで生きているミンギョンに、ヌードモデルの話を持ち込む。純粋な理由であれ、不純な意図であれ、3人はお互いの人生の希望となる。
再び訪れた、もっとも美しい瞬間だ。
映画は終始、粛々と流れ、観客を没頭させる。
痛ましい事情を抱える主人公たちが、それでも何とか生き抜こうともがいているようだが、ちょっと違う。
辛いばかりだった彼らの人生は、いつしか美しく変わってゆく。
その過程が、スクリーンに余すことなく表現される。
ヌードモデルという設定のため、新人女優イ・ユヨンの露出は避けられない。
登場シーンも少なくないが、<いやらしさ>とは程多い。
彫刻家は自分が求め続けてきたモデルと恋に落ちる。
交感の過程が見え隠れし、少しずつ観客の感情を揺さぶる。
彫刻家の妻の愛もやはり、純粋に受け入れられざるを得ない。
さじ加減ひとつで不協和音を響かせそうな映画だが、しっかりと噛み合って正しい方向に進んでゆく。
どんな方向が正しいのかはわからないが、
展開される方法とストーリーは、観客の心を根こそぎ奪ってゆく。
正しい方向にしか進めないかのようだ。
極端な選択にも頷ける理由だ。
既存のイメージを破り、笑い方も行動のひとつひとつまで、今までとは違って見えるパク・ヨンウとキム・ソヒョンのディテールな演技もいいが、新人イ・ユヨンに親指を立ててあげねばならないだろう。
ミンギョンの人生に憑依した彼女は、本編102分の間中、観客に戦慄を覚えさせる。
奥深い魅力は最後まで続く。
糸くずひとつ纏わない身体の魅力ではない、全体的に醸し出される粋なのだ。
イ・ユヨンがぽつりとつぶやく台詞は、苦しい現実に順応して生きていくミンギョン自身のように見えながらも、幻想の中に生きる女人のような感覚を与える。
発音も抑揚も目新しく感じられるが、これが観客をひきつける力でもある。
感情を抑えた演技も卓越している。
イ・ユヨンは、この映画をスタートさせ、そして幕を下ろさせるように仕向ける。
女優の露出と暴力、扇情的ともいえる単語は、映画が見せる画面と役者の演技によって純化され、まったく意識されない特別さを伝える。
イ・ユヨンは、VIP試写会の後に開かれた歓談会の席で
「シナリオにほれ込んでしまったので、露出のことなんて全く気にもしなかった」と語ったが、
それがどういう意味なのか、しっかりと感じることができる。
人間の身体にのみ、美を追求してきたジュングが、
「目と表情を通じてこそ、相手が怒っているのか喜んでいるのかわかる」と言ったミンジョンの純粋さのおかげで気づきを得たのも、特記すべきことだ。
映画は、夏の終わりに春が訪れたと宣伝する。
当然、秋が来なければならないと思われるだろうが、必ずしもそうではないのだ。
春とは、季節だけを意味するのではない。
人生のもっともきらめく季節を、3人の人物を見つめるだけでも驚くべきことだ、という意味にも受け取れる。
<愉快>な要素には欠けるが、美しさに〇。
(訳文文責:ハギ)
