続いてご紹介するのは、この記事
カエル少年失踪事件 犯人はいると信じている
映画を観て自首してくれたらいいのですが
「この映画は、犯人が誰かを暗示しています。私も、犯人は間違いなく生きていると信じています。僕の隣で犯人が映画を観るかもしれないでしょう。彼が映画を観て、自首してくれたらいいのにと思います」
彼は出世、人気、金にだけ血眼になっていたプロデューサーとして登場し、失踪事件の取材を進める過程で、しだいに苦痛、苦しみ、悲しみを実感していく。失踪した子供たちの親の心情と同化しながら憤怒を感じるキャラクターだ。
「映画の主人公は子どもたちと、その親御さんたちです。彼らの痛みと悲しみが、私を通して見えてくるだけです。こういう事件は、自分の身にも起こり得ると何度も思いました」
彼は、『血の涙』以前には、一人勝ちの演技に注力していた。役者は自分に任された演技だけ上手くやり遂げればいいのだと思っていた。そのとき、キム・デスン監督の雷が落ちた。「どうしてそんなに自分勝手なんだ」「森を見ずに木ばかり見ていてどうする」「どうしてびっくりさせようとばかりするんだ」と、パク・ヨンウを追い詰めた。
「すごく反省しました。演技に対する姿勢そのものをすっかり変えました。全体を俯瞰できる役者になろうと決心しました」
『カエル少年』撮影の中で、イ・ギュマン監督に持ちかけ、自分の仮説に基づいて犯人の目星をつけるファン・ウヒョク教授(リュ・スンリョン)の分量を増やした。それが、映画の流れからしてもっと自然だと判断したためだ。監督も快く受け入れた。
「当然、私の出演シーンは減りました。だけどその方がいいと判断したのです。それで映画の出来がもっと良くなったなら、目標達成ですよ」
彼は最近、映画を観ると寂しくなり、虚しさを感じると語った。厭世主義的な世界観も心配だともらした。反面、『カエル少年』は、悲しいけれど健全で温かいメッセージを持っていると説明する。
40代になって演技観も恋愛観も変わろうとしている。
以前は、ロバート・デ・ニーロやショーン・ペンのような個性あふれる俳優の演技が好きだったが、最近ではロビン・ウィリアムズやジム・キャリーの演技も素晴らしいと言う。
30代で恋愛において地団太を踏んだとすれば、今はいくらか心を空にすることができた。
楽しむことは楽しみ、満喫することを覚えた。
「40代になって、ますます旅行が好きになりました。これまでは忙しいのを言い訳に出かけなかったのですが、今は気持ちさえ固まればどこにでも行きます」
ギターの演奏会ができるぐらいの実力になれれば
「最近、ギターの魅力にはまってます」
彼は、少し前にソン・イルゴン監督と共に、ドキュメンタリーを撮るため日本を訪問した。
そこで、自然に順応して音楽と共存する人たちの生き方に魅了された。
音楽がくれる楽しさに気づき、帰国するやギターを購入。
「ギターショップで、ひとかどのギタリストに見えるよう、苦労しましたよ(笑)
実際はコードを押さえるのがやっと。一生懸命練習して、演奏会を開けるぐらいになりたいです」
・・・ そうなんです。『時森』の撮影が終わった直後は本格的にギターに取り組もうとされていたヨンウニム。それがいつのまにドラムに変わったのかしら??? って。
最初 "ドラム" という単語を聞いたファンはみんな、あまりに唐突でオドロイタのよねぇ~
今ではプロ顔負けの腕前で、ヨンウニムといえばドラマーってイメージも、定着しつつあるけれど♪
5:1 パク・ヨンウへの質問
”真摯皇帝””熱情の本座”という別名をつけた、リュ・スンリョン
身体の中で最も自信のない部位は?
こいつ、ホント役に立たね(笑)
期待してる答えはわかってるけど、違うことを答えるよ。
指がコンプレックスです。
スポーツが好きなのでしょっちょう爪が割れるし、小指が先天的に曲ってます。
(指を見下ろして)ああ、格好悪い。不格好だ(笑)
『カエル少年』で共演した、パク・ソヨン
先輩はどんな演技観を持っていますか?
今までにもなかったし、これからも特別な演技観なんて持たないと思う。
ソヨンさんに言いたいのは、演技するときには思いっきり怒りもし、苛立ちもするといいよ。
辛い思いをしてみることだよ。そうすれば自然に自分の中が空っぽになれるよ。
だからって今から空っぽになっちゃだめだよ(笑)
『The Phone』『カエル少年』でも一緒だった、オム・ジュヨンPD
一緒に作ってきた作品がどれも軽くないものでした。次回はソフトなロマンチックコメディーを期待してもいいですか?
オムPD、そんなふうに口先ばかりじゃなくて実際にいい作品を持ってきてくださいよ、ね? あはは。
『カエル少年』制作会社ヌリ・ピクチャーズ、イ・ヨンホ代表
ふだんは控えめな性格のようだが、どんなふうにストレス発散を?
親しい友達と集まって、いつもは言わないようなことを言い合います。ダンスもするし、歌も歌いますよ。
以前はそんなことしませんでしたが、最近は自分自身を開放してやることが多くなったと思います。
『カエル少年』を一緒に作った、イ・ギュマン監督
ヨンウさんはいつからそんなに演技が上手くなったの?
(シークレットガーデンのキム・ジュウォン憑依中)
私もそれがわかりません。あはは。ハッキリと言えるのは、演技がとても好きだということです。
どんな分野でも、そこに没頭して本気で好きになれば、それなりに認められるんですよ。
だからもっと好きになる。それが、上手い演技として現れるといいですね。
カエル少年・・・パク・ヨンウ
パク・ヨンウは真面目だ。それは自らも認めている。
インタビューにおいても、写真撮影をするときも、終始一貫真面目な態度を崩さない。
彼に、逸脱を提案してみた。
スタジオで風を起こし、舞い散る紙の中を好きなように暴れてみろと。
物理的な制約のためだろうか。生まれ持った性格のためか。
彼はやっぱり真面目だった。
だが、じっと見ていると、それがまた、パク・ヨンウだけの魅力なのだ。
リュ・スンリョンとソン・ドンイルがパク・ヨンウのことを "真摯皇帝""パク没入" とはやし立てるのにはわけがある。万事にこれほど真面目一辺倒では、誰が放っておくというのか。
「いじめられたら、よく笑います」と答えてはははと笑う姿は、いっそう確信を植え付ける。
時には怒りをあらわし、強く押す必要もあるだろうに。
パウ・ヨンウは、「僕だって怒ったこともありますよ」と言う。結果はどうだったのか尋ねると、「みんな何が起こったんだ、どうしたんだって驚いたようでした。おまけにぎこちないムードになって、それがいやだったので、あまり怒らなくなりました。あはは」
Equality -同等-
パク・ヨンウが何より大切に感じているのは、ずばり言行の一致。
『カエル少年』のイ・ギュマン監督が送ったラブコールに素直に応じたのもそのためだ。
イ・ギュマン監督との出会いは、事前の打ち合わせ数回のみだったが、信じてついていけると信頼できた。
「この監督なら、作品を作り上げる過程で惜しむことは何もないだろう」と思えたほど。
さらに監督は、つねに自分の意見を披歴しながらも決して相手の考えや意見を黙殺するようなことがない。必ず同等の立場で対話の場を持とうとしてくれるところが、パク・ヨンウには非常にありがたかった。
Responsibility -責任-
「僕はどうして演技をしているのだろう?」
パク・ヨンウは一時、疑問につかまってしまった。
彼が役者になったのは、小心な性格を治したかったからだった。
違った人生を生きて見ることで自然に性格も変わっていくだろうと信じた。
しかし、演技をすればするほど、残るのは虚しさばかりだった。
時間が経つにつれて、しだいに彼は混乱した。
尻尾に尻尾を噛むような疑問の連続だった。
その答えを探していたところ、『カエル少年』と出会った。
「とても単純な論理ですが、役者は演技を通して多くの人々に感動を与えることができ、そのために演じるようです。役者としての社会的責任に目覚めたのですよ」
『カエル少年』は、カエル少年失踪殺人事件を描いた映画だ。
彼の言う、役者としての責任とは、人々の記憶の中で忘れられてゆく事件をもう一度思い返させることであった。
長い間忘れられていた事件を、あえて引っ張り出したのは、5人の子供たちを失った父母の気持ちを代弁するためであった。
かれは、5人の少年たちの親がこの映画の制作を許可した理由を、「子供たちを忘れないでほしいと言いたかった」ためだろうと推測した。「親たちに変わって、僕がそれを言いましょう」
Irony -アイロニー-
『カエル少年』で、パク・ヨンウが演じたカン・ジスンが、生まれたばかりの娘ソヒョンと初めて対面する場面。
最初のテイクは、彼が思うに感情も適切で、画面の映りも良かった。
涙の量も十分で、このぐらいでOKになるだろうと思った。
しかし、イ・ギュマン監督は「上滑りしている感じ」だと言って首を横に振った。
「もう一回やろう」と要求されて、彼は心を空っぽにした。
ただひたすら、「この子が僕の娘だ」ということにだけ集中した。
OK!カット!と言われて彼は却って当惑した。
これまで、撮影に入る前に全ての理性を浴びせるかのように、じっくりと計画してきた演技とは、全く違うものだったためだ。皮肉にも、彼がこれまで必死に守ってきた演技の力を抜いたとたん、本物の感情が流れ出したのだった。
Opportunity -機会-
パク・ヨンウは機会をうかがっている。コメディー映画への回帰。
「年を取るほどに感じるようになったのですが、人生はコメディーだと言えるんじゃないでしょうか」
彼は、コメディーに一番自信があり、最も好むジャンルだと指を折った。
「日本の北野たけしは老将であるにも関わらず依然としてスラップスティックコメディーを演じます。だけどそのコメディーがちっとも幼稚じゃないし、軽く感じないのです」
今年の旧正月に封切られた『平壌城』をじっくりと見た観客であれば、何のセリフもなく画面の片隅に立っているパク・ヨンウを発見するだろう。
わずか数秒に満たない短い瞬間だが、『甘殺』『ワンス』以来、久しぶりに、コメディー映画の中に彼の姿をみつけてとても嬉しく思った。
U-turn -ターニングポイント-
2011年は、パク・ヨンウがこれまで忘れて過ごしてきたことに再挑戦する年だ。
具体的に3つの目標を立てた。
一つ目は、新しい恋愛を始めること。
二つ目は、13年ぶりに買った新車が傷つかないようにすること。1週間は車の前に警棒を持って歩哨に立つ予定だと、詳細な計画まで聞かせてくれた。
三つ目、一人旅に出ること。険しくて情熱的な場所に行くかもしれないし、平和で静かな場所を選ぶかもしれない。
はっきりしているのは、この3つの願いが、彼の人生にとって重要な転換点になるだろうという点だ。
これぞまさに”限りなき挑戦”。
『カエル少年』において90%以上登場する役者はパク・ヨンウただ一人。
他の役者たちは、それぞれ自分の役割を果たせば姿を隠すのに比べ、彼は最初から最後まで、ほとんどすべての場面に出演した。
「MBCの番組『限りなき挑戦』に出演しているユ・ジェソク氏の心情を理解できるような気がしました。パク・ミョンスさんのような俳優、チョン・ジュハさんのような俳優。十人十色の役者たちと呼吸を合わせなければなりませんでした」と回想する。
個性の強い役者たちを、ほとんど1対1で相手にしたのだから、重荷に感じることもあっただろう。しかしパク・ヨンウは、「気持ちの良い経験でした」と笑う。
まるで卓球やテニスでリレーが続くように、パク・ヨンウが1球投げれば相手方の役者からは2倍3倍以上の感情が返ってきた。
イ・ギュマン監督が「鬼才の役者ばかり集めた」と言い切るほど、『カエル少年』に出演した役者たちは、端役に至るまで徹底したオーディションを行った。
パク・ヨンウは彼らの中で "演技のシナジー" を得た。
「何と言うか、一種のカタルシスを感じたと言えばいいでしょうか?」
パク・ヨンウはもともと、藪から棒に押し切ろうとする "分別をわきまえない" サイのような俳優だった。毎回意欲的に飛び回り、自分が主役になることを希望した。しかし、この作品を通して、全体的なバランス感覚を会得した。
彼は繰り返し、相手役のおかげだと言いながら「本物の俳優の演技とはこういうものなんだ」と感嘆した。
役者には2つのタイプがある。相手のエネルギーを吸収して自分のエネルギーを拡張させるタイプと、自分のエネルギーを相手に分け与えるタイプだ。
「『カエル少年』の全俳優が後者に近く、それは気持ちの良い刺戟でした」
ひょっとするとパク・ヨンウは気づいているのだろうか?
彼もまた、今は後者に属す俳優だという事実を。
最近、韓国語学習を手助けするブログを書いていらっしゃる方が、たくさん読者登録してくださいますので、文字ばかりのラスト2ページも、画像UPしてみました。
その割に時間がなくてじっくり推敲できていない訳をお届けするのは気が引けるのですが・・・ 誤訳、飛訳は各自ご判断くださいませ^^;
訳文文責:ハギ でした。