『今愛』のときの夜心萬萬を、まだご紹介できていないので、順番がちょっと変わってしまうのですが
<動画のキャプチャーと音声の聞き取り>をゆっくりと行える時間がしばらく取れそうにないので
先に 『Once upon a time in KOREA』 のインタビュー記事をご紹介しちゃいます^^
他人とのコミュニケーションを、つねに渇望し続けた恥ずかしがり屋の少年。
頭の中でひとり、数十回も、シナリオを書いたり消したりし続けた内向的な少年は、成長して役者になった。
デビューから10年。
映画界でもっとも忙しく活動し、誰より注目される存在となったパク・ヨンウ。
時には静かに、時には激しく、様々なアプローチで観客とのコミュニケーションをはかるパク・ヨンウ。
彼のストーリーが、今、始まる。
どうして演技の道を選んだのかって質問されましたよね。
僕は他人とのコミュニケーションに対する欲が深い人間なのだと思います。
でも、それがうまくできなかった。
幼い頃から他人とのコミュニケーションを熱望しながら、怖かったんです。
ついには取り返しのつかないほどに、ひとり空想にふけり、頭の中でひとり小説を書いて
そうしているうちに、偶然演技する機会を得ました。
演技の中では、悪役であっても法的に罰せられることはありませんから。
以前は、この善良な眼をした男に会うたび、なぜか「鹿」を連想した。
男性に対し、こんな表現は失礼にあたるかもしれないが、若い頃の彼はじつに清純(?)であった。
しかし、軟弱なうえにソフトでキュートな印象の彼は、何かしら見せてくれるようでありながらも頭角を現すことができず、残念にも引っ込んでしまうことの繰り返しであった。
ウケない冗談を飛ばしてコネ入社だとバカにされたり(『シュリ』)、相手チームの投手としてほんの一瞬の出演であったり(『スーパー・スター カム・サヨン』)、主役に抜擢された『スタントマン』は完成に至らなかった。
彼に会うたび、「彼にはきっと口にすることのできないストーリーが秘められていることだろう」と思われた。
人の良さそうな笑みをたたえているが、まなざしには何故か不安が漂い、くだらない冗談を言いながらも、結果として事件の端緒をみつけ出した『シュリ』のオ・ソンシクのように、想像のつかない突飛さ、あるいは偶然発せられるユーモアのセンスを持った人物。
私は、必ずや彼が、故郷を離れた後に人知れず成功し、プレゼントの山を抱えて戻ってきては故郷に錦を飾る幼馴染のお兄ちゃんのように、いつの日か語り尽くせないほどのストーリーを抱いて、映画界に戻ってくるであろうことを確信したのだった。
そうしてついに、来るべきときが来た。
2005年に公開された『血の涙』は、俳優パク・ヨンウの存在をしっかりと見せつけた映画だった。
最初は、『バンジージャンプする』のキム・デスン監督の作品であることと、チャ・スンウォンが主演するというので興味をそそられたが、チャ・スンウォンが「精一杯」期待したとおりの演技を見せてくれたとすれば、謎に包まれた製紙所の実権者 "イングォン" を演じたパク・ヨンウの演技は、パク・ヨンウの再発見と言う評価に誰も意義を唱えることができないほど見事なものだった。
イングォンは卑劣で冷徹な性格の持ち主でありながら、身分の低い女性を愛することによって自らの立場を恥じ、苦悩する複雑なキャラクター。軟弱さの中に卑劣さを隠しもつ、それでいて簡単には解けない複雑に絡み合った何かを内に秘めていると思わせる彼の姿は、エドワード・ノートンを想起させた。
そうだ、今こそ、パク・ヨンウがこれまで語り得なかったストーリーが始まろうとしていると感じる。
『血の涙』の後に撮影された『甘く、殺伐とした恋人』の主人公ファン・デウとパク・ヨンウとの化学反応には驚いた。30を超えるまでまともに恋愛ひとつしたことのない小心百段の男。ストレスがたまると腰が痛くなる男。汗をかいて戻ってきた彼女とキスするとき、「シャワーしなくちゃ」と言われて「僕は低血圧だから大丈夫」だと寒いギャグで返す男。
パク・ヨンウが魅せてくれた人間ファン・デウの、細部に至るまでひとつひとつ生き生きとした演技は、パク・ヨンウとファン・デウが同一人物ではないかという錯覚を覚えるほどに実感がこもっていた。
いつの間にか、鹿のように弱弱しく軟弱で可愛いばかりだった過去の彼の顔は消えた。
2006年からの彼は、忠武路で休みなくコールを受ける最も忙しい役者となった。
『静かな世界』『私の小さなピアニスト』『ビューティフル・サンデー』『今、愛する人と暮らしていますか?』
ミステリー・スリラー、ドラマ、ロマンス等、ジャンルを問わず変幻自在な姿で存在感を示す彼。
彼が2008年、映画『ワンス・アポン・ア・タイム』においては時代を遡り、京城の詐欺師となって現れた。
『ワンス・アポン・ア・タイム』では、日本軍に奪われた伝説の300カラットのダイアモンド<東方の光>を手に入れるため、地上最大の作戦を遂行する詐欺師ポングとして登場しますね。アクション・シーンも多いと聞きましたが。
身体を張ってのアクション・シーンは3回ありますが、真正面から取り組みました。 見かけだけ取り繕ったのではありません。役者がしっかりと演じなければならないシーン。
100%スタントなしで演ったとは言えませんが、本当に無理な難しい部分を除いては自分で演じました。
同時期に、折良くなのか折悪しくなのか、京城という時代背景の映画がいくつか公開されましたが、それらの映画に出演した役者と比べられるプレッシャーはありませんか。この映画を選択された理由があったと聞きましたが。
僕としても、この映画のシナリオを最初に受け取ったとき悩んだのはそこでした。関係者には内緒で、他の映画のシナリオもチェックしたのですが、幸いにもストーリーが全く違うものでした。
この作品を選んだ理由ですか? 一読して気に入ったからです。
僕が作品を選ぶ基準の第一は、シナリオがすっと入ってきて面白く読めることと、役柄に愛情を感じられるかということ。それを僕が演じられるか。プラス監督も重要ですね。
以前、インタビューに答えて役柄に憐憫の情を感じられなければならないとおっしゃっていたと思いますが・・・詐欺師ポングにも憐憫を感じるような部分がありますか?
憐憫にもいろいろあります。その人物が大変苦しんで孤独で、そこに同化して悲しみや切なさを感じる場合もあれば、愛らしいキャラクターであっても憐れみを感じることがあると思います。
その人物がとにかく貧しくて苦労してるから憐憫を感じるというのではなく、人間に対する愛情を指して言っているのです。
ポングも見ようによってはかわいそうな人物です。何といっても自分の正体を隠して生きているわけですから。いわば、007の運命に近い。正体不明のキャラクターは自分を隠して生きることに慣れているでしょうが、それって見方を変えるととてもかわいそうだと思いませんか。それを顔に出さないところもまた悲しい・・・
過去の、コミカルで従順なイメージより、卑劣で強烈な印象のキャラクターを演じながら、役者として磨きがかかったように感じます。役者パク・ヨンウのターニングポイントとなったのは、やはり『血の涙』でしょうか?
これから先も失敗と成功を繰り返していくのでしょうが、どういうものを深くて真摯な演技と言い、どういうものを軽い演技と呼ぶのか知りませんが、僕は軽い演技も真摯な演技もどちらも大好きです。一般的には真摯な役柄で後を引くような強烈なキャラクターを演じ、それが興行的にも成功すると、それがその俳優の代表作だとか、その役者のすべてのように言われます。
そういう意味で、数年間映画の世界から遠のいていて、復帰作として出演したのが『血の涙』ですし、興行成績もまずまずで役もよかったので、僕のターニングポイントとなった作品だというのも否定はできないでしょうね。
1994年にMBCの公採タレントとしてデビューされましたね。売れそうだ、売れそうだと期待を持たされながらもあまり人気が上がらなかったという印象を持っています。スランプに落ち込み、映画『スタントマン』が中断してしまったとき、俳優をやめてフライドチキンの店をやろうか悩んだと聞きましたが本当ですか?
フライドチキン・ショップは冗談ではなく真剣に考えてました。
誰一人僕を訪ねて来てくれないのに、いったい僕に何ができるでしょう?
自分が好きなものは何だろうって考えました。答えはフライドチキン。
だけど僕は、その "売れる" っていうのがよくわかりません。
もちろん、今は主役を演らせてもらえるし、出演料も前よりずいぶん上がりました。
でも、こんな状態がずっと続くとは思っていません。
役者として、一人のキャラクターと作品に対して努力し、エネルギーを発散させることにはとても関心があります。
そのためには現実的にある程度のポジションに身を置かなければならないこともわかりました。
この先も売れればいいなとは思うのです。
でも、人気を得るために作品やキャラクターを選んだのでは何にもなれない。
新人の頃はとにかく一生懸命でした。
それが、少し慣れてくると、これはちょっと難しいとか言うようになって、その後はどんどん言い訳がましくなる。自分は上手く演じたのに作品が良くなかったのだ、とか・・・。
今の僕は、出発点に戻ったような気がします。これから始まりです。
もちろん、新人の頃の一生懸命と、今の一生懸命は次元が異なりますけどね。
本当の新人のときは無条件の一生懸命さ。今の一生懸命は、もう少し客観的に自分をみつめることを意味します。
そんなふうにして役者として成熟し、ひいては自分自身の欲を満たすより客観的に自分をみつめ、そこから与えられる幸福を感じるようになるでしょう。
もうひとつ望みを言えば、僕が本当に心から好きになれる作品、愛せるキャラクターを任せてもらえる程度のポジションにいることができれば、ということです。
仕事には運の良し悪しもあると考えますか?
運がなければ何もできませんよ。努力も重要ですが運も大切です。信仰を持っているからかもしれませんが、努力する者に運が与えられると思います。
運気の訪れが遅すぎたとは感じませんか?
いいえ。訪れていたのに気付かず過ごしてしまったか、つかんだけれど努力が足りなくて逃したか、のどちらかでしょう。誰にでも運というものは公平に与えられるものだと思います。
パク・ヨンウといえば、『甘殺』でのコミカルで柔弱なキャラクターと 『血の涙』での卑劣で強烈なキャラクター、その両方が浮かびます。実際の性格は?
両方混じっていますよ。
誰にだって愛らしくて純粋な一面と正反対の一面があると思います。
状況によって変わり、バランスを取っているだけです。
それをわざとらしくなく自然に演じられるのが上手い役者だと・・・
パク・ヨンウはクールな人ですか、情熱的な人ですか?
僕は調和のとれた人間になりたいと思っています。人間には不可能はない、という言葉にとても共感します。それに加えて「終わりもない」。どんな行動でも言葉でも状況でもお終いではない。
どんな "マスター" でも、最後まで完成はないと言うじゃないですか。
それって、人間に不可能はないというのと、意味が違うと思うんですよ。
僕が望むもの、成し遂げようと思うことを絶えず追い求めて、合わせてみたり分けてみたり引きはがしてみたり。熱くもあり冷たくもあり・・・僕はそんなふうに生きていきたい。
幼い頃はどんな子供でしたか?
極端に無口な子供でした。言いたいことはたくさんあるのに、それが相手を傷つけはしまいか、失礼にならないか、ひどく恐れて。行き過ぎた配慮と妄想がひどかった。
だから友達もいなかったんです。心の中では友達になりたいと願っているのに、いざ声をかけられるとひどく冷たく答えてしまって。僕の方が表現下手で仲良くなれなかったんです。
とても内気な子供だったのですね。そんな子がどうして役者になろうと思ったのですか? 自分は演技するエネルギーを秘めていると気づいた契機があったと思うのですが・・・
子供の頃から、他人に対して自分を表現し僕の考えを知ってもらいたいという欲望は持っていたものの怖くてできなかったので、心の中に溜まっているものはたくさんありました。しまいには取り返しのつかないほど一人空想の世界にひたり、頭の中で小説を書いて。
それが偶然、演技と出会ったのです。演技であれば悪役であっても法的に罰せられることはありません。
そういったことに対する溜まっていたものがあふれ出して、演技することに少しずつ魅力を感じていったように思います。
役者として自分の顔に満足していますか?
以前は嫌いでした。線の太い役者が好きなのに自分は身のこなしも頼りなく顔の印象もソフトな方だから。
たとえば、将軍の息子のパク・サンミンさんは顔のラインが女性のように細いのに正確はタフガイですよね。そうだといいのですが、僕の場合は顔の線に加えて性格も弱くて・・・
だから毎回似たような役、別れを受け入れて見送る役とか片想いして追い回すけれど振られてしまって遠くから指をくわえて見ているだけの役ばかり回ってきました。
早く歳を取りたいと思ったこともありましたね。そうすれば顔も変わるだろうと。
いろいろな経験を重ねて自然と今の顔になり、今は自分の顔がまんざらでもありません。
顔は自分の歩んできた人生を代弁してくれるもので、僕は自分がなかなかいい人生を歩んできたと思っていますから。
運命を信じますか?
愛する人、に限っては信じます。
『今、愛する人と暮らしていますか?』 クロス・ラブスキャンダル。
タイトルだけ見るとありきたりの通俗的な映画かと思いましたが、鑑賞した後には実際に起こり得る話だと感じました。浮気するのは良いことではありませんが、共感できましたよ。
もともとチョン・ミンジェというキャラクターは "一か八か" 式だったのですが、僕ができるだけクールにいこうと提案しました。彼は実際に運命を信じていて、だから本当に心からソヨを愛したのです。自分の結婚は間違っていたと考え、ソヨという女性と恋に落ちた。
ソヨのセリフに「私はミンジェさんとは何の条件もなく出会ったけれど、あなたはそうじゃなかったんだわ」というのがありますが、もともとあのセリフはミンジェのセリフだったんです。
ソヨとヨンジュンの人物設定は、もともともう少し年齢が高かったのですが、年齢を下げて配役したことから台本が変わりました。
ミンジェという人物も、できるだけ現実を直視し、苦悩して愛する人を送り出す、そんな人物に変わったんです。そうであれば、最大限クールに演じなければならないと我を通しました。みすぼらしく感じられたら単なる "夫婦クリニック" に終わってしまいますから。
ソヨには厳しいことを言うようですが、彼女のためには言わねばならない言葉・・・
それをできる限り淡々と告げなければならないと考えました。
実は、一番笑えた場面。二人の女性(妻と恋人)が溺れたときにそれぞれ妻ではなく恋人を助けたという設定はちょっと幼稚でしたね。実際にそんな場面に遭遇したらどうしますか?
正直、僕もあのシーンはシンパだと思います。「溺れている母を助けるか父を助けるか」っていうのと同じじゃないですか。あれは映画的な面白味を加える目的で設けられたシーンです。もし実際にあんな場面に出くわしたら、とても悩むでしょうね。もちろん、僕には決してあんな場面は起こらないと思いますよ。心から愛する人と結婚しますから(笑)。
万が一、あんな場面に遭遇すると仮定するなら、離婚して愛する人とつきあうんじゃないかと。愛情は理性で押さえつけられるものではありませんから。
結婚したいと思うときはありませんか?
周りの人を見て感じたことはありません。この歳ですから、もちろん過去に好きになった人もいます。本当に好きだった人にプロポーズしたこともありますが、断られちゃいました。
僕は、愛する人とさえもコミュニケーションが取れないんだなって、やっぱり僕は孤独に年老いていくしかない運命なのかなって、そんなふうに思えて寂しかった。
僕にはたくさんの人は必要ないんです。たくさんの人と交友できるタイプでもない。ただ愛する人とだけは、どんな小さなことでも通じ合いたいと思うのです。なのに、それが上手くいかないと思ったとき、どうして僕を信じてくれないのかと思いました。相手が悪いのか僕が悪いのか、でも、どんなに弁明してみたところで結局は自分に返ってくるんです・・・
結婚したいというより、そんなときとてつもなく孤独を感じます。誰とも心を通わせることができないという絶望感のせいで。
どうして役者になったのかって質問されましたね。
僕は他人とのコミュニケーションに対する欲が深い人間なのだと思います。
でも、それがうまくできなかった。
幼い頃から他人とのコミュニケーションを熱望しながら、怖かったんです。
ご両親の、息子に対する期待が大きすぎたのでしょうか?
他所とたいして変わらないと思いますよ。当時は科学者や医者が最高だと思われていて、一流の大学を出て成功することを望まれて育ちました。
パク・ヨンウさんが結婚して子供が出来たら、子どもに継承してほしい優性遺伝子は?
”人はみな平等だ” ということを教えてやりたいです。
自分の位置はここで相手の位置はこのぐらいだから冷遇してもいいとか、あの人は位が高いからお上手をしなきゃとか、そんな計算をするようになるとキリがありません。基本的に人はみな同じです。
だけど社会生活をしていれば、どうしようもないジレンマに陥ることがあります。CEOも孤独だって言うじゃないですか。僕は僕の子どもがあまり勉強ができなくても、気にしないような気がします。
では、絶対に受け継いでほしくないところは?
萬性鼻炎。
『ワンス』の撮影現場でも、スタッフはヨンウさんのおかげでよく笑ったと言っていますが、生来のユーモア感覚をお持ちですか?
親しい人たちの間では冗談もよく言います。でもそんな親しい友人は5人くらいしかいないので・・・
他の人が聞いても面白くない、寒いギャグだとよく言われます。
ですが、作品の中でコミカルな演技をするのには自信があります。
面白い状況を作るのはタイミングが勝負です。
その時々のタイミングに合わせて、ああ、こういう状況になったから僕はこの瞬間にこういうふうに受けなきゃって。
映画の中で、ナイトクラブの歌手春子の心を奪おうとポングがマジックをするでしょう。恋愛中に彼女を喜ばせるため特別な演出をしたことがありますか?
基本的に愛嬌はない方ですが、相手に「あなた、このぐらいはできる?」ってけしかけられると、ある程度のことはやってしまいます。
踊ってくれと言われれば?
ぎこちないけど踊りますよ。照れながらも・・・言われたとおりに。
多くの作品で多様なキャラクターを演じてこられましたが、何か特に演じてみたいと思う役は?
ジョニー・デップのような役者になりたい。
僕が好きな役者は、エドワード・ノートンとトニー・レオンですが、ジョニー・デップは僕が役者として進むべき道の模範となってくれる人です。彼はメジャーとマイナーの感性を併せ持っています。作品の選び方を見ていればわかります。
映画の世界では監督でも俳優でも、いろいろと先入観が強いものです。この業界は実に先入観の塊だと思うのですが、ジョニー・デップはそれを克服したように思えるのです。
マイケル・ベイやロバート・ゼメキス監督は大衆を喜ばせることを重視した作品を作る監督だし、ティム・バートンはヒット作も多いけれど作家主義の監督です。ジョニー・デップは両極端な立場の監督たちどちらとも親しいのです。それこそ、彼が作品に対して全く先入観を持っていない証拠です。
彼のように、メジャーとマイナーの感性を共有させ、どんな作品でもこなせる役者になりたいです。
『ワンス』のポングと春子の駆け引きが興味深いです。個人的にはどちらが一枚上手だと思いますか?
登場人物すべてがみなひとかどの人物ですよ。
だけど春子は、女性の一匹狼で一人で何でもやってのけるから・・・あえて二人を比べるなら、やはり女性の春子に軍配が上がるのではないでしょうか。
最後に、神様から与えられた最も大きな才能は何だと思いますか?
人を見る目。可能な限り公正で可能な限り温かい視線。
(訳文文責:ハギ)