【『血の涙』精神分析的解釈】
精神科専門医のハ・ジヒョン先生が、『血の涙』の主演3人を考察されます。
僕がこの映画を観て最初に注目したのは、「母親が存在しない映画だ」ということ。
次に、ウォンギュ、イングォンにとっての父親の存在とは何なのか?
さらに、トゥホにっとって養父ともいえるカン客主の存在。
<オイディプスコンプレックス>
男の子が母親に愛情を感じ、父親に反感を持つ無意識の心理傾向
トゥホがカン客主を告発するに至る過程は、親殺しともいえるものです。
イングォンが船を燃やし、5人の人間を殺すまでになったのは、ソヨンの死が父親以上に大切だったということです。結局その行動は父親を没落させるのですから。
また、ウォンギュにおいてオイディプスコンプレックスは、違った形で現れます。
ウォンギュは、父親の厳格さを忠実に守らなければならないという想い、決して失敗してはいけない、父親と同じであることを望む気持ち。これは、父親と競うことを放棄し、父を超えることに失敗した姿です。
不安というのは正体のわからないものを恐れる気持ち、恐怖は対象がはっきりしています。
舞台恐怖症、高所恐怖症などが有名ですが、イングォンのように「水」が恐怖の対象となるのは非常に珍しいケースです。
集団的 狂気について
孤立した島、東花島という隔離された世界に住む人たちは、みなカン客主の死に加担した人たちなのです。彼らとしては、カン客主が「天主教の信者だった」と思い込むことで自分たちを正当化し、罪悪感を軽くしています。島民全員の公然の秘密です。でもそれは、論理的には解釈できないものです。それが連続殺人事件の発生によって少しずつ明るみに出てくるのです。
人間は理解できないこと、初めて直面することに対し、原因を突き止めようという心理が働きます。そうすることで安心を得られるのです。そういう感情や罪意識は強烈な伝染性、伝播性を持っています。
そういう集団ヒステリー現象は、たとえば、五大洋集団自殺事件(1987年8月29日龍仁市の五大洋(株)構内食堂で32名の死体が発見された事件)やガイアナ人民寺院集団自殺(1978年11月18日 南米ガイアナのジャングルにある宗教集団人民寺院において教主を含む914人が集団自殺した事件)のように、大勢が一緒に自殺するなんてことは、部外者からみれば到底理解できないことですが、その内部にいる人間にとっては、孤立した集団の中で容易に受け入れられるものなんですね。
理解できないものを理解しようとする、そうしなければ不安でいられない人間の本性を、この映画の最後の部分でうまく表現していると思います。