映画『携帯電話』で演じられた チョン・イギュ という人物について
語ってくださったインタビュー映像が見られます。
http://tvpot.daum.net/clip/ClipView.do?clipid=13497178
ハギはこの映像が大好き
ヨンウニムがすごく自然体でいらっしゃって距離感が近い!
三清洞のカフェで向かい合って座っているような
気分を味わえるのが、まずいい^^
そして、ニムの配役に対する熱い思い入れが
しっかり伝わってくるのもステキです^^
日本語訳(訳文文責:ハギ)
チョン・イギュという人物をとてもバカにしていたし
誰かに殴られれば痛快でさえあったのが、
一方で非常に・・・
いつからか自分が実際に殴られているかのように
痛みを感じるようになった。
だんだんと痛ましく、可哀想に思うと同時に、
場合によっては自分が恥ずかしく感じたりもして。
-映像-
大したことではなかったんだと思います。
彼が他人に求めたのは・・・
「僕にもちょっと話しをさせてくれ、
他人の話を聞いてばかりでクタクタなんだ、今度は僕が話すから、僕の話も聞いてくれ」
そんなことだったと思うのです。
それが、もうずいぶん長い間、聞くことばかり上手になって、
聞き役としての人生だけを歩んできたもんだから
自分がどう話せばいいのかもわからず、
コミュニケーションの取り方そのものを忘れてしまった。
そうして自分自身との隙間が広がって
ますます他人とも遠くなって。
だからさらに距離感を感じてしまって
コミュニケーション能力を失った人物。
できるだけ格好悪く演じようとしました。
できるだけまぬけな感じで、弱弱しくて、
傍にいるだけでイラッとくるような奴。
人生ってそんなものですからね、現実は。
格好のいい悪役、型にはまった悪役、
もう少し怖くて残虐な悪役、
そんなふうに演じることもできました。
その方が簡単なんです、表現するのは。
でもそれでは現実的ではない。
共感を得られる人物にならないと思ったし
私たちは、、、
監督と私がチョン・イギュという人物について
語り合い、見い出した共感点は
'可能な限り現代の社会構造の中に実在する犠牲者'
’後天的な感情奇形児’
これを生み出してみようというのが目的だったので
そうしようと思うと観客に共感してもらわなければいけないのに
幻想的な悪人や、いかにも悪人風の悪人にしてしまうと
俳優として個人的に格好をつけることもできますが
共感からは遠のいてしまう。
-映像-
最初は、大したことないと思っていた。
奴が電話口に出るまでは・・・
基本的に情緒がとても乾燥していて、
感情が乾ききってしまっていて、
みな一様ではないのですが、私が今まで感じてきたのは
私よりもはるかに歳の若い人たちと話すと
「どうしろっていうんですか?」なんですよね、対話の仕方が。
「そうとも言えますね」ではなく
「だからどうしろっていうんですか?」
「僕には理解できないのに、どうしろっていうんですか?」。
自分には理解できなくても、
他の人は違った考えをもつことだってありえるじゃないですか。
自分とは異なる意見を聞いて、
「それもそうだけど、僕はこう思うねって・・・」
-映像-
「クビにされたの、お小遣いちょうだい、
母さんがまた入院したわ、どうすればいい? お兄ちゃん。
家が競売にかけられちゃったの、
彼氏と別れちゃった、どうすればいい?
ねぇ、どうすればいい? お兄ちゃん」
妹がとにかくそんな性格なんですよね。
母親は言うまでもなく、ほとんど人生を投げ出してるし
それなのに生きながらえていて、その責任がすべて・・・
-映像-
チョン・イギュという人物は
家の中でさえも自分の意志を一度も表現したことがないんですよ。
職場ではいうまでもなく。
人は誰でも脱出口をひとつずつ持ってなきゃならないものでしょう。
職場でひどい心理的ストレスを受ければ
家に帰ったときぐらい、
母さん今日はこんなことがあったんだ、とか
妹に向かって今日はこうこうでとてもしんどかった、とか。
家に帰ってからもずっと聞き役なんですよ。ずっと。
眠って起きて、仕事に行けばまた聞き続ける。
家に戻っても聞き続ける。
そんなふうに過ごしてきた人物が、
匿名性を保証されたもの、
携帯電話という媒介を手に入れて少しずつ
自分の中に隠し持ってきた怒りだとか暴力性だとかが
外に出てくる、
そこから押さえつけてきた汚い部分が
少しずつ少しずつ噴出してくる・・・
原文(聞き取り:ハギ)
정이규란 사람을 굉장히 욕하고 어떤 인물한테 맞았을 때 통쾌해 하고 그리고 후련해 하고 그랬지만 한편으로는 굉장히 어느 순간부터 대개 제가 진짜 제가 맞은 것처럼 아프고 심지어는 나중에는 안쓰럽고 불상하면서 어쩜 제가 부끄럽더라구요.
별 거 없었다고 생각해요. 어떤 타인들한테 원했던 거는
나도 좀 얘기 좀 하자. 나 다른 사람들 얘기 듣기 진짜 지쳤으니까 나도 얘기 좀 하자, 얘기 좀. 그거였던 것같거든요.
그게 인제 오랜 세월 동안 듣는 방법만 알게 되고 듣는 삶을 살다 보니까 자기가 아떻게 얘가해야 하는지도 잘 모르고, 그리고 어떤 방법으로 소통을 해야 되는지조차 일어버렸기 때문에 거기서 느껴지는 자기자신에 격이 더 생겨서 더 타인하고는 멀어지고. 그래서 좀좀더 괴리감을 느끼면서 소통하는 방법을 잊어버린 사람.
최대한 찌질하고 싶었어요. 최대한 멍청하고 최대한 유약하고, 찌질하고 싶었어요. 삶이 그렇거든요, 현실이.
멋있는 악단, 족하는 악단, 조금더 무섭고 잔학한 악단, 그럴 수 있었어요. 그게 오희려 쉽고 표현이.
그거는 현실에는 많이 접해보지 못한 인물이거든요.
공감대를 이끄러낼 수 있는 인물은 아니라고 생각을 했고, 저희들이 감독님이나 제가 정이규라는 인물을 만나고 대화를 나눠서 공통점을 찾아낸 건 최대한 현대적인 사회 구조안에서 느껴지는 희생양, 후천적인 감정 기형아를 만들어 보자 하는 것이 목적이었는데, 그럴려면 공감대를 이끌어내야 되는데 판타지적인 악단을 만들면 장르적인 악단을 만들면, 배우 개인적으로서는 폼나고 멋이 있을 수는 있지만 공감대하고는 멀어지는…
기본적으로 정서가 너무 건조해져가지구, 메말라가지구, 뭐 다는 아니겠지만 제가 공통적으로 느껴졌을 때 저보다 헐씬 더 나이 어린 친구들한테 얘기를 해보면.
「그래서 어쩌라구요?」 대화의 방식이, 「그럴 수도 있다」가 아니라, 「그래서 어쩌라구요?」
「나는 이해하지 못하는데 그래서 어쩌라구요?」
내가 이해하지 못해더라고 남은 어떤 다른 방식으로 얘기를 할 수도 있는 거잖아요. 그 얘길 듣고 아, 그런데 나는 이렇게 생각해.....
「직장 잘렸어, 오빠. 용돈 좀 줘. 엄마 또 입원했어. 오빠, 엄마 입원했는데 어떠카면 좋아? 오빠, 집이 지금 경매에 넘어가게 생겼어 어떠카면 좋아? 오빠, 나 남자친구랑 해어졌어, 어떠카면 좋아?」
여동생의 캐릭터가 그런 캐릭터거든. 어머니는 더 말할 것도 없고, 거의 인생을 포기한 사람. 그렇지만 생명을 연명하고 있고 그 책임감은 모두…
정이규란 사람은,
가정에서조차 자기 의사를 한번도 표현한 사람이 아니예요. 직장에선 말할 것도 없고. 사람이 탈출구가 하나하나 있어야 되잖아요.
직장에서 그렇게 감정적인 스트레스를 받았으면 집에서라도 「나 엄마 나 이런 일이 있구, 이런 일이 있었는데 나 이랬어」 라든지. 여동생한테도 「나 이런 일이 있어서 참 힘들었어」 라든지.
집에 와서도 계속 듣는 거예요, 계속. 잠 자고 일어나서도 직장 가면 또 계속 얘기 듣고 또 집에 와서도 계속 얘길 듣고.
그러다가 익명성이 보장된 어떤 핸드폰이라는 매개체를 가지고 좀좀더 자기의 숨겨져 있던 분노라든지 폭력성이라든지 발연이되고 거기 대해서 억눌렸던 더러운 찌꺼기들이 조금씨 조금씩 분출되고…