最近熱心にジム通いされてるそうですが、もともとお好きですか
義務感から始めたのですが、 最近面白くなってきました。 筋トレをします。たいがいは孤独な運動ですが、性に合ってます。自分が自分に打ち勝つひとつの方法だと思うからです。単純にひとつの動作を粘り強く続けるのはつらいですが、その瞬間を越えるときの快感があります。トレーニングを終えてシャワーするとき。そうすればお酒もたくさん飲めますからね (笑)
『静かな世界』はシナリオのどこが気に入りましたか
多様性に飢えていた時期でした。『ホロビッツ』と同時期に決定したのですが、幅を広げたいと思っていました。青春物をやりたいが不可能な年齢になってしまった、そんな残念な思いも溜まっていたのだと思います。
どんな青春物をやりたかったのですか
ダンス映画をやりたかったです。肌が触れ合うと人は快感を感じるようにできていますが、ダンスは映画の中でそんな役割を担うもののようです。
もともとダンスがお好きですか
毎日ディスコに通った時期がありました。(笑) 大学1年か2年のとき、友達と午後6時に待ち合わせして食事を済ませ、 コンセプトを組んで<?>8時ごろ明洞のディスコへ入り、ビール1杯で終電まで踊ってました。ハッスルと馬ダンスが流行していた頃でした。
<*ハッスル: 「片足はかかとをつけて爪先をあげる。片手は親指と中指を折って高くかかげる動作」を繰り返すディスコ・ダンスを一定の間隔に並んでラインダンスのように大勢で踊る>
<*馬ダンス: 兎ダンスとも。ブレイクダンスのことと思われる>
映画にそれほど多く出演されてなかった頃、韓国映画を観ながら演じてみたい役がありましたか
昔はたくさんありました。 経験を積んで、自分の立ち位置が固まってきてからはあまり考えませんが、自分自身が定まらず未熟だった頃はそうでした。あんな役をやりたい。自分ならきっと上手く演じられるのにって。今考えるとキャスティングされなくてよかったです。まだまだ道のりは遠い、心からそう思います。
自分に対して厳しすぎるのでは
いくつもない僕の長所のひとつが自分を客観視できることです。状況が良くてもブレることはありませんでした。逆に状況が悪くても。ああ、悪いことの方が多かったですね。周囲の人は否定的だと言いますが自分は常に客観的であろうとしてきただけです。一番の願いは息の長い俳優ですが、そうすることで息の長い俳優になれると考えています。知人の中でも狙撃手<自分の欠点を指摘してくれる人、という意味か?>が好きです。ひたすら「よくやった」ばかり連発してくれる人より。
長期間、どのように活動したいという志向はありますか
現実的にはアン・ソンギ先輩の名前が挙がりますが、彼だけの話ではありません。 卑屈にならず、末永く活動したい。実年齢とは関係なく。
第3者の立場から見ると俳優というのは「うぬぼれが強いという一面がある。自分自身に満足しなければ振り回されるから、自分には甘くなければいけない」と考えますが
だからとてもしんどい時期がありました。自分に惚れこんで自画自賛しなければならないときがあるのに上手くいかないから。まだまだ足りない部分が多い上にいろいろ考え込んでしまいますから発展がありません。おまけに内向的だし。
内向的な性格なのに演技者になろうと思ったきっかけは
大学で映画演出を専攻しましたが、偶然アルバイトで『オ博士家の人々』に出演したんです。それが面白くて、少しずつ演技のとりこになったというわけです。
『血の涙』では「パク・ヨンウの発見」という言葉がよく使われました。演技を続けてこられましたが、外からみる基準としては観客の目に留まってこそだと思います。ご自分では、人間パク・ヨンウの転換点はいつだったと考えられますか
『スタントマン』という映画が撮影中止になったとき、ドラマ『武人時代』を撮ったとき。『血の涙』は実際に転換点でもありましたが、その後の演技活動における現実的な対処方法を教えてくれた作品でもあります。
処世問題も含んでのことですか
まったくないと言えば嘘になりますが、正確に言うとこうです。以前は「自分の中のものを上手く表現できれば監督がそれなりに理解してくれるだろう」と考えていたとすれば『血の涙』以後にはその考えが間違っていたことに気づきました。誰かを説得しようとか理解させようとするときは、もっといい方法があるなら取り入れなければなりません。真実にも方法があると。
今年撮影されたり封切りされた映画は『甘く、殺伐とした恋人』より前に出演が決定していたものですね。だから今後選択される作品をみれば、俳優パク・ヨンウのカラーというものをもう少しはっきりと確認することができるように思います。選択の幅も広がってきていますし。
実際にそのとおりです。ようやく。
映画撮影からしばらく遠ざかっていた時期には何をしましたか
大いなる挫折の瞬間でした(笑) 反動で最近は焦りすぎているのではないかという声も聞こえてきますが、ある意味では刃を研いでいた時期でもあり、だからこそ今は多様性に対する欲求が強いのかもしれません。
にもかかわらず演技を続けたいと思った原動力は何でしたか
マインドコントロールをしました。自分にはこれしかない、と。いつからか、そればっかり考えるようになりました。これしかない、と。心から願えば叶うと思います。(笑)幸い。
発見だどうだと騒がれると何をいまさらって思われることもあったのでは
興行成績が良くてこそ覚えてもらい、役のインパクトが強くてこそ記憶される、アクションが過激で人気が上がる。でも僕はそんな条件だけで作品を選びません。現実的な問題もあるでしょうが、どうして毎回強烈な役ばかりできますか、またどうして毎回アクションばかりしていられますか。ときには水が流れるように身を任せなければならないときもあります。それでこそ強烈な役柄が回ってきたときにインパクトを与えることができます。毎回目立たない役どころというのも良くありませんが、毎回強烈過ぎるのもよくないと思います。『ホロビッツ』も僕には大切な映画のひとつなのに『甘く、殺伐とした恋人』ほど、みなさんの記憶には残っていないようです。
息の長い俳優となるために必要だと思う自己管理は
息が長いというのは言葉でいえば簡単ですが、じつはとてつもなく難しいことだと思っています。人間関係も良くなければならないし、運も必要です。演技力も大切ですし、焦ってもいけません。以前は慎重で深刻になりやすい性格は短所だと考えていましたが、今思えばむしろ自分自身に感謝する思いです。その原則を守れば演技だけをひたすら長く続けられるのではないかと思うからです。
文中の( )は原文のまま。 < >は訳者注。
訳文文責:ハギ