ああ...ホントに
久しぶり でぇ納(のう)寿(こと)
De-neさん-niさん(姉さんー兄さん)
愛へへ(えへへ)
本来の しらす
で
かまぼこ
で
ワイルドでお茶目
な
わたし に戻って...
※しらす→全身白身の小魚
→尾も白い→面白い
かまぼこ→ギャグが→板に付いている※
※わたしからのギャグと教育の兼ね合い※
でもね 今回の本題の その前にね
※本来 言葉なり わ
誰でもが 皆して 楽しく 創ってゆくモノ
そう 何事に於いても
先生などと云う 立場の者など 居ず
みんながみんな 全てが未完成な立場
としてでの みんながみんな
自分自身が 先生と生徒 の
ふたつの立場役割 での事だと想うからね※
確かに 昔から在る 言葉なりにわ
素敵な言葉 が 幾つも在り
逆に 本当の意味 からの
無意味な言葉
なりも 沢山 在るのも事実
例えば (反面教師)も その ひとつ
注意してな わたしは中国も中国人も
友好的に想い また 好感も在る
でもな その言葉 は 中国政治家なりが
作った言葉なりとして 広まった様で
(政治は血を流さない戦争で在り
戦争は血を流す政治で在る)
とか無いとか 本当の処 など 知らないが
バカタレ
寝言な言葉 でしか無い
本来に於いて な 世界中には
政治家なんか全く要らないし
トップなりも 全く要らない事 だ
言葉に限らず何事も みんながみんなで
楽しく愉快に創ってゆく事が必要なこの世界
因みに その 反面教師の意味わ
悪い見本ででの 人なり事からの
悪害的な仕打ち などとしての
悪くも良くも用い方として ソレラのコトなりから
反省的な気づき としてともされてもいる
けれどもな
わたしとしては コレラ言葉 わ
こんな時に 使う言葉や意味 などでは
全く無く てね 本当は(良い言葉)
で 反面教師での その 反面の本意
は 単に 反面での反対的な側面での面
としての (教師モドキ) と 捉えず
(反面)→反面を(内なる面)→(内側)と捉え
そう 本来の立場的な位置が (外側)なら
その(外側)からでは無くてでの
(一人と一人) としての (温かい内面の内側)
からの (相手と自分 での 双方での接し方)
が (本質)で在り (表裏での良い悪い)じやない
(御互いからの内なる温かい接し方での意味)
で 捉えたなら ば
(血の通った内面の内側からの双方の接し方)
初めて この 言葉としての
(反面教師 が 本意で活きてくる)からね
本当は (素敵な 言葉 )だからね
※天は人の上に人は創らず
天は人の下に人は創らず※
そう わたしの好きな言葉のひとつ
だけれどもね
わたしから その(本質と本意)を云うならば
ひとつは マトモナ両親ならば 其の両親が
何事に於いても 其のこども にしてみれば
(超えられない 一番上の存在)
もう ひとつ として わ
必ず 自分自身の何事に於いても 上には上が居てくれて また その上にも 上が居て
と 成り得て また 自分へ戻ってきて
の 繰り返し での 競争では無い
みんながみんな での (成長)が
初めて 可能な事 とも 想っていて
コレラ の ふたつ の 事を捉えて含めて
で 初めて 活きてくる と想うからね※
※↑の 上での 言葉のふたつ わ
反面教師 も 含めて
(素敵な 言葉) とも 想っているからね※
本当に 世界中の言葉が世界中で
持ち得て どんどん世界中に広まって欲しい
ものね 勿論 全ての事や人なり としてもね※
いわゆる 悪党なりへのブラックユーモア
も そいつらも同罪でしか無く 人以外の生き物を持ち得て
での 間違った悪い引用の仕方からの
愚かなる言葉モドキからの如何にも
正当的?錯覚でしかない言葉など要らぬからな
さて 本題での わたしからの 新しい言葉
正確には 新しく全く無い
既成での言葉でも無い
人なりが
笑う時 での 擬音 としての
笑い音ならぬ 笑い言葉 としてね
※あ派端果栄歯恥(あはははははは)
う婦夫夫婦歩触(うふふふふふふ)※
あ(派端)(果栄)(歯恥)→(あはははははは)
(派端)は
流派でも派閥でもなく 派は自分らしさと捉え
端(はしからはし)として 全ての他者と自身
として捉え (果栄)(果てしない栄(さかえ))
(歯恥)は(歯の色なり歯の有無など一切関係
無い事でのソレラを勘違いしたら恥る事)
人本来の歯の色は真っ白なんかじゃ無くて
薄っすらとからでの程度こそ在れ黄ばんで
いるのが 本来の健康的な歯の色だからね
全体を通しての意味は
道での御互いの出逢いに於いては
御互いの立場生業(なりわいとしての職業)
名前なり を 何も 示し要らず で
出逢い 御互いが その場限りでも
また 御互いに 次の出逢いの機会
が在って親しく成っても ソレラが
例え 笑顔での挨拶や少ない短い会話だけでも
御互いに 此れからも意識し合えて
終わる事無く生き続けてゆき
御互いに スガタ形などじゃ無い部分での
御互いの違う 持ち得て無い 大切な部分
で 此れからも よろしくね も 可能に想う
事 での意味)
う(婦夫)(夫婦)(歩触)→(うふふふふふふ)
(婦夫)と(夫婦)は
(この場合 夫婦(ふうふ)に限らず
未婚での関係でも
どちらの場合でも 女性本意でも
男性本意でも どちらが優先なんかじゃなく
御互いの その ふたり が
一緒の立場役割 が必要
(歩触)として この場合にては
御互いの ふたりとしての ふたりなり
片方の 歩(あゆみとしての今迄の歴史)
なんかじゃ全く無くてでの
御互いの 歩く早さ
ふたりで一緒の 早さ からの
ふたりとしてのみの 前に進んでゆく事
への ふたりでひとり ふたつでひとつ
ででの 歩く早さ が 同じ早さ で
無いと バランスが取れない から
ソレに 触れて 触れる 事 からの
御互い ふたり同時に 確認して
もしも 御互いにアンバランスなら
御互いに ふたりの早さ への
調節と調整 が 必ず必要な事
全体を通しての意味 では
異性同性関わらずに ふたりとして
恋愛に夫婦に限らず またオトナとコドモでも
成り得たのならば 御互いを尊重しての
同じ位置関係を築けた築いたのならば
こその 同じ早さでこその御互いでの成長
が 可能 と想う 事の意味)
なんだか ね
言葉 って 本当に 楽しいね
みんなもね どんどん 楽しく
言葉を新しく創ってぇ(クレ)ヨン~✨
なんか わくわく~してきた(象)さん~✨
※単なる 意味ない当て字に成らず
にね 楽しく パズルの様に
言葉の意味なり 密かに意図して
創ると 簡単だからね※
でもね 手話は別として
確かに言葉は必要だけれども 余りにも 言葉を意識し過ぎても
時に ソレラの言葉に 振り回される場合
も 十分に在り得る 起こり得る 事
なども 在るとも想えるからね
ではでわ~媒杯(by-bye)~✨
M.a.F.o..で..まほ..より★☆★
2019.2.25★~2019.2.28★