卒業と自由な自分を生きる/ ログ❷ | E N J O Y +

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純粋な気づきとともに

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宇宙のタイムカプセル

魂のタイミングが来ている存在への置き手紙

 
 タイムカプセル記事。
※昔の文体が出てきます。一部修正。



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“なにかを補ったり、何かをするから価値があると思っていたり
成長してこそだったり、綺麗なところだけ見せたり
笑いに変えてみたり、偏りなく満遍なくバランスよく在ろうとしたり
 
正しく、がんばって、良い子で、優等生でしっかりして
肩書きや地位や年齢や老若や経験や職種や優劣の有無や
媚び売ったり、立場を守ったり
嫌な気持ちは存在しないことにしたり
謙遜してるつもりだったり
底上げしているつもりだったり
できない部分を補ったり
醜い部分はうまく隠したり
誤魔化したり
 
素晴らしい部分の自分しか見せずに
汚い自分は見せずに見ないふりしたり
世間や他人からどう思われるかを気にしたり
 
自信がつくためにやったり
実力をつけるため、未熟じゃダメだから
保険に入ってるから、認められたいから始める
みんなに認められようとしてがんばる
嫌われないようにする
好かれるための努力をする
あえて嫌われてさらに好かれようとする裏の心
やりたくないことも足りないところも
一つの修行の石積みと思ってやる‥”
 

そんなことが当たり前だと思わされ、まかり通ってしまう
前後上下左右、天秤のある将棋ゲーム、人間界社会。

  
  
色々ね、あるだろうけど書きながら懐かしくて。
  
これがいいか悪いかは私は知らない。
世界が違う感覚。
そのフィルターが自分の中には自然と存在していなくて寧ろ丁度よかったこと。
 
手を出しそうで出さないでいた。
自分に嘘をついているのを自覚できる者は少ない。
見抜かれていても。
それが当たり前だった者の背景はそれは大変苦しいものだったでしょう。
個々の体験に優劣は無いとはいえ。

 
自らの嘘に気付ける者は、社会では愚者でも、自然宇宙には潔い正直者であること。
 
無意識には境界が存在しない。
自分(真なる宇宙)は一番深くから知っているからだ。外も内をも見通す。

いくら顕在意識が仮面を被って平気なふりをしても無意識の自分は全てを洗いざらい把握している。
太陽ではなく、自らがそばで。

自身に誠実で在れ。ただそれだけ。
心のままにとはそういうこと。
 
違和感を見ないふりしていたらそうなる、という話でもある。
不安や怖さがあっても、感じないようにしていたなら。

2011年前後の2年くらいの間の意識や気づきの研究結果。
 

ハートを開く、グラウディングする、みたいなこともやったなあ。

人間社会がやりがちな、ダメなところだと見なされがちなものの見方
『何かをダメと思い込み、そう見なしている』そのこと自体が教え込みの価値観。
 
 
 
しかし実際には開こうと無理やり開かなくても【常に呼吸のように出入りし開閉しているもの】

地に足はついてないことはあり得ず、いつでもついている。
【地球は宇宙の中にあること】を忘れずにいれば。

むしろ銀河は暗黒は地球を包んでいる。(闇ではなく光でもない)
地球は宇宙に抱っこされている。

わたしたちの無意識に気づきの全宇宙があり、それが心。それが意識の集まり。
 
どんな人もどんな状態も今、最も必要な点が来る。
 
 
今のその感覚を見て感じてあげる。
その感じさせてくれた先や後ろ側へ
それは一体いつからあったのか?を振り返れたら
体験するより先に来ていたシグナルの【おみやげ】を発見し、持ち帰れれば【夢】と答え合わせができる。



そんな今は選ばないことの一例
私にはむずがゆいような感覚
誰かの価値観、教え込み、教育、信じ込み。
 
その罠に気づく。
 
それはもう嫌いなのに
まだ癖でちょっと残っていたこと
でもとっくに必要ないこと
もうやっていないことばっかり
要らないもの

それはオンパレードみたいなものが
目の前にわっと通り過ぎた
 

 
まるで全体は呼びかける
「おーい。これまだ要るか?
  今これやってる人、目の前にわざわざ出してあげたけど
  あなたもまだこの在り方、やり方を続けたい?やりますか?どうしますか」

毎瞬間。自由。
どちらかだけに偏る天秤構造自体がそもそも幻想だから。中庸もない。満ちている。
 
 

これまでの仕上げやまとめのように自分の選択や
在り方の感覚を再確認するような出来事の機会があり

昔ならとても揺れていたかもしれない。
 
なんとか思おうとしていたであろう
真面目な、綺麗な、型のある、生き方のようなもの。

それがもう今の私にはすっかり抜けてて
すっごく違和感たまんなくて
 
それは私の記憶には無い味覚。感覚。
もう口にも魂にも合わないのかも。
 
ってか最初から自分じゃなかったのにがんばってやっていた名残の残滓をはっと手放した。
 

そのことに気づき始めると、じわじわと見えてくる。
 
規格の中には居ない
突き抜けている
ブループリントの橋のみを進んでいる
 
ああ、こんなにも自分であった。
大きなおかえりをした。帰還。
もう十分だった。痛感している。
 
 
 
 

 

見たらわかる
 
うまいことシミや影を隠したつもりでも

その黒さはある
その純白さはある
どちらもある
誰しもにある

ないものにしない!

いらないと追いやるのは簡単
そこに存在していていいもの
あっていいもの!

素のままの全自分を開いてゆけ!!


原初の銀河宇宙は目に見えない暗黒物質が95%以上を占めている
輝きにしか見えなくなったときには思い出して

決して見えていなくても、必要ないものなど存在していないように
見えているものだけに惑わされず、よく感じること
超えるのではなく、ただそれが居る と気配に気づく。
居ないが居る、居るが居る。



 

自分に付属させていた、どんな正誤優劣のジャッジも人間社会ゲーム。
ゴミと見做しただけで、ゴミなんてないこと。
 
捨ててきたどんな自分にもどんな感情、思いもあっていいから。切り捨てないこと。
 
捨ててきたものに「おかえり」と言ってあげて
包んで抱くのは、誰かや、何かや、いつかじゃない。
誰かや何かが それを代わりにしてくれるんじゃない。
 
 
いつだってここにいる 大いなる私が
許可許容受容するから癒しが起こる。
許し合い癒し合う必要があるから出会う。

消すのではなく、旅立ってゆくのだ。
 
  
終わりと始まりは自分で作っている。
始めた者の謎解きだから。
広大な『私』が そこでは待ってるから。 

消えてゆくものがあるのではなく、
吸い込まれ次の場所へ旅立って。
 
 
ミクロの私も、マクロの私も。全統合した“それ”も。
ヤワじゃない。とてつもなく自由自在。
 
 
強弱、大小、美醜、好悪、善悪、正誤、
どんな極も、どんな意識も、吹っ飛ぶ。
すべてのエネルギーの質量は、幻想であり
同時に充満している。
変わらない。
 

 
ああーっ!!もう!卒業なのだなあーこのゲーム。
無意識的に巧妙に仕掛ける人はまだ居たとしても、私は乗らない。
すさまじく痛感したことだったから。
 
 
ちょうど、昨日、今までどんな信念(創造)があるのか棚卸しをしていた。
 
 
私のしたいことやればいい
私の在り方でいい。
どこまでもトータルセルフが見守り包んでいる。
顕現し始めた。
 
ばーんと肚が決まった感覚。覚悟、ともまた違う。
すっきり気持ちがいい。
  
 
 
綺麗に生きなくても、なんでも既にどんなでも美しいのは決まりきっている。
 
 
面白かった。この創造も。あの創造も。
新たにいいスタートなんではないでしょうか
そう感じました。



2015年〜2016年のログまとめ。
 
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