今日の午後は、近藤プロデューサーとミーティング。

お互い、「今年はやるよ!!」「やりましょ~~う!!」と、気合ばっちりv(^-^)v


そうは言っても、相手もあることなので、自分だけが張り切っていてもしょうがない。しかし、待つだけでは事は何も起こらないから、やはり動くしかない。だが、動くには、お金がかかる。そう考えると、働いた対価って、どういうふうに解釈すればいいんでしょうかねぇ~~(*゚.゚)ゞ


最近読んでいる「坂の上の雲」の中で、正岡子規が退学をした後、叔父の知人である陸羯南の計らいで新聞「日本」の編集主任として働いていた頃、後輩の寒川鼠骨が子規を訪ね、新聞社に勤めることが希望であり、たまたま「朝日新聞」につてがあり、「日本」新聞には子規のつてがあるので、どちらにしようかと子規に相談をもちかけた。「朝日」は月給が高く、「日本」は新聞界でもっとも低い。


子規「考えるまでもないがの。日本(新聞)におし」と、言った。

その理由として、「人間のえらさに尺度がいくつもあるが、最小の報酬でもっとも多くはたらく人ほどえらいひとぞな。一の報酬で十の働きをするひとは、百の報酬で百の働きをする人よりえらいのぞな」


これを読むと、対価というのは、人に決められた給金(報酬)で仕事をするのかもしれないけど、実際は、自分で決めるんだと思った。つまり、働いた分、自分に返ってくるってこと。というのも、働くというのは家族を養うためという理由もあるけど、第一が自分の為に働くわけでしょ。皆、会社の為、上司の為と思っているけど、実際は、それがまわり廻って自分に戻ってくるわけです。


さらに子規はいう「人間は友をえらばんといけんぞな。日本(新聞)には、羯南翁(陸羯南のこと)がいて、その下には羯南翁に似たひとがたくさんいる。正しくして学問のできた人が多いのじゃが、こういうひとびとをまわりに持つのと、持たんとでは、一生がちごうてくるぞな。(続く・・・)」<「坂の上の雲」著者:司馬遼太郎/文藝春秋)


これって、とっても大事だと思うのです。だって選び方によっては、自分の一生が違ってくるんですよ!

それと、類は友を呼ぶ・・というように、自分の周りには自分に似た人達が集まるということです。自分の周りに、嫌な奴とか、仕事が出来ない奴とかマイナスな者がいれば、我が身を振り返ってみるとその理由が分かるというものだ。


基本的には、いろんな尺度があるけど、結局その軸になるのは、「自分」っていうことですね。


それにしても、幕末~明治からの人物、秋元好古・真之、正岡子規、小村寿太郎、坂本龍馬等などの逸話を聞くと、とっても豪快でうらやましいくらい。今の世の中で、彼らくらい豪快な人物に会ってみたいものだ・・・情報が発達してグローバルな現在は、その当時に比べると逆にどんどん狭い世界になっているような気がする。当時の方が、もっと、大志を抱いていたと思う。

当時の尺度と現在の尺度は違うんですね。もちろん、寸からセンチ(メートル)になったことは確かだけど、気持ちの尺度は昔の方が大きかった。

今日もたまたまNHKの番組で、ソロアルピニストの栗城さんの「7サミット極限への挑戦」を放映していたのでまた見入ってしまった。

栗城さんとは、去年TSUTAYAビジネスカレッジフェスティバルの講師として講演をされた際に、お会いした。その話は去年もブログで書いたのですが・・・こうして、また、彼のドキュメントを見てしまうと、ついつい書きたくなてしまうのですよね~~。


そんなに大きくしかもがっしりした体型ではないのに、しかも無酸素登頂にもかかわらず、すでに6サミットを制覇。去年、9月に7番目としてのエベレストを目指すも、天候不良と体調不良で断念。その悔しさ・虚しさは、彼の大声で泣く状況から感じ取れる。


登山暦何十年という大ベテランではない栗城さんは、フリーターから一転して、ソロアルピニストになって、たった5年で6サミットを制覇するという大胆不敵さ。今まで、彼の努力と運と天候に恵まれて制覇してきたけど、さすがに、エベレストはそう簡単には彼を受け入れなかった。


でも、果敢に挑戦し、そして、決してあきらめない彼の精神・根性はたいしたもんだ。

彼がどんな逆境でも、生きて帰還するのは、その精神と根性があるからだと思う・・・。だから、あきらめた時が、山での“死”を意味するのではないかと思った。


なんで、そこまでするのか?

彼は、山を登る前のフリーターで引きこもりだった時から5年の間に、人との関わりを通して成長したと言っていた。

普通は、山に登った事で、成長したって言うと思うじゃない?

でも、彼は、一人で山に登っているわけではない、そこには、さまざまな人の支えで登っていることを学んだのだ。


たとえ一人の登頂であっても、そのバックには必ず人々がいる。

映画も、映画作品としては一つのものだが、そのバックには沢山の人々が作っているのだ。

ビジネスもそうだ。

私もそうだ。沢山の人達に支えられて、今日までくることが出来た。


そして、栗城さんのように沢山の挫折があった。だから、栗城さんのように、私も絶対、あきらめない!だって、今まで支えてきてくれた人達が、私のバックに沢山いるんだから・・・。


My Summit=私の山頂(映画完成)は、まだまだだけど、一歩一歩踏みしめて行けば、必ず登頂出来ると信じている。


よく登山家に「何で山に登るのか?」と問うと、「そこに、山があるから・・」と返ってくると言うが、人生もそうなのかもしれない。


「何で生きるのか?」・・・「そこに、人生があるから」


一歩、一歩、そして、決してあきらめない=これが、全てだと思う。



幕末~明治ブームなのか?・・・・・・特に、NHKでは、「龍馬伝」「坂の上の雲」とその時代のドラマに勢いがある。

私自身、幕末~明治時代に生まれたかった者としては、多いに楽しい。

しかし、何故今、この時代なのか・・・?!現代を幕末~明治の動乱の日本に当て嵌めているのか?多分、日本が岐路に立たされている現代に、その時代のヒントが隠されているからではないでしょうか?


でも、そのような時代に思いがあるのは、私達、昭和時代生まれまでの人々ではないでしょうか?平成の情報化時代になった日本に、命をかけてでも世の中を変えるというような野望や立身出世的な発想は消滅状態では?(命をかける必要も無くなったが・・)

民主党になったからといって、幕末から明治に変わった時のような時代が訪れるわけではない・・・第一、今の政治家からして、大志を抱いていないし・・・。


その時代(1800年代)の四国や九州のような地域で、これだけの人達が勉学に励み、志を持つ・・それは、現代のように情報がなかったからかもしれない。

また、身分の差があったから、自由や平等を求めて立ち上がったのかもしれない。


現代のように、情報は豊富で、身分の差がなく、自由な時代では、志を描くのは難しい時代なのかもしれない。


それにしても不思議なのは、今回NHKの「龍馬伝」の演出家(大友啓史氏)、脚本家(福田靖)、俳優(福山雅治氏)も1960年代生まれ・・・私も60年代生まれでしゅ。勝手な解釈ですが、この時代に生まれた人達は、結構、何かをしたいって思っているような気がするのです。

特に、今の日本・・・ダメじゃん(。>0<。)・・って思うところがあるのです。何かを・・変えたいと思うのです。

その思いが、ドラマに生かされているのではないかと、見ていて思いました。つまり、今の我々は幕末~明治に生きているわけではないので、2010年からの未来をどう生きるかを見出そうとしているのだと思うのです。

幕末~明治時代の人達が駆け抜けた理由は、未来の日本を見据えての行動だったのです。2010年の今から日本の未来を考えて行動しないと、私達が過ごしたような素晴らしい日本がこないかも・・?!我々の祖先が私達に託してくれたように、未来の人達へ今現在の私達が託さないでどうするの?!そんな気持ちです。


でも残念ながら、私の場合は、何かを変えるまでの身分としてはまだまだです。


「一身独立して、一国独立す」(福澤諭吉)


一身独立をする。まずは、自分自身独立することですね。つまり、「今自分がしなければならないこと」=「映画を作ること」を履行することです。

今年は、大いにこの言葉をモットーに幕末~明治に駆け抜けた人達を見習い、まずは「行動」することです。それが、その時代に生きた人達から、私に送られたメッセージだと思って今年1年を生きていこうと思います(o^-')v

それにしても、福山雅治さんの龍馬は、カッコエェ~~どすなぁ(^ε^)♪・・こんな人が今年現れることも、心から願っていま~~す♪♪