35さい。


長いあいだまわりに

小綺麗なじぶんだけを振りまいて

生きてきた。


これがわたしをうつ状態に

向かわせたいちばんの原因だ🤦🏽‍♀️


この社会のリズムに合わせて

決められた枠のなかで


あの手この手でじぶんを

すこしでもよく見せようと

なんとかここまでやってきた。



けどもう、ムリだった。

試合終了。


ようやく、あきらめた。



そもそも 35才ですでになんの

キャリアも持ち合わせてないのだし


同年代のみんなみたいに

子どもがいるわけでもないし


というかほぼニートだったし!


すでにどう足掻いても社会の

レールから外れている

マイノリティにんげんなのだ。


いつもじぶんに「恥」を感じてきた。


だからこんなポンコツ人間の自分を

肯定してくれる声を外側にいつも

探しつづけてよりどころにしては


いつかは理想のわたしになるんだ!って


ノートにはモチベのあがる

ことばを永遠と書き連ねてきたし


いろんな講座を受けてみたり

鼻息荒くがんばってはみたものの


行き着いたところは 結局うつ状態🫶🏽



そのあいだに友だちも失ったし


こんなじぶんがますますキライになって

生きてる意味がわからなかった。



体調はさいあく。


自律神経失調症になって

白髪がちょー増えて


毎日かわるがわるいろんな部位に

症状があらわれた。



どうしようもない自分

だれにもバレたくない。


とにかくなにかお仕事始めなきゃって

思いながらも社会にたいする強烈な

不安感と抵抗感があって


なにも現実を前にすすめられない。



なにかがんばりたくても

もうなにもがんばれない。


動けない。


あーもうなんでもいい。


消えたい。



わたし、なんでみんなみたいに

「ふつう」に生きられないんだろ。


もうぜんぶおわりにしたい

って、本気で思った。



そして  あるときの

この「絶望」が決め手になった。



まじでなんでもよくなったのだ🐛



いままで必死になんとかこの世界で

サバイブするんだ!とりきんで


このどうしようもなくダメ人間なじぶんを

すこしでも価値証明しなきゃと走ってたわたしは


結局、何年も動けなくなってみて


ようやく


ああ もうなんでもいいや って


根っこから力が抜けた瞬間がきた。



そしたらとっても自由になって


社会の「ふつう」と自分を比較して

焦ることもバカバカしいからやめて


「きらきらステキに生きるわたし」っていう

理想像に妄想トリップするのもやめたら、


ここにいる


お風呂に入る気力もなくて

毎日ネトフリ三昧で逃避して

お菓子たべまくって

彼に寄りかかって生きている

35さいYEAH!な


いま現在のリアルな

「ほんとうのわたし」と


ようやく つながることができた。


(わたしはかれこれずーっと

このわたしから逃避してきた)





そしてもう なにもかも

隠すのやめようって決めた🫦



どうしようもないこのわたし。

このわたしがここにいる。

ずっとここにいた。


これでいいじゃないか。


ていうか、このわたしを差し置いて

いったいどこに行くつもりだったんだ。



現実を直視せずにいつまでも

ふわふわイマジネーションの中で

生きてるほうが痛みはないし


ラクちんだったけど


毎回未来のじぶんに人生託して
いまここの自分がいっくらラクしても

いのち生きてる感は
いっこうに生まれなかったし

「いつか」は一生こなかったし

それどころかどんどん月日は
過ぎ去っていって歳を重ねて

わたしのハートは
殻に閉じこもるばかりで
この世界がますます脅威に感じて

あらゆる逃避やら瞬間的な快楽に
走るようになった。

そもそも


十代の頃からすでに

「ありのままのじぶん」が

本気でわからなくて


アイデンティティをいつも

外にふわふわ探し求めて

生きてきた人生だったわたしは


カウンセリングをうけたり

セミナージプシーにもなって

悩みまくってたけど


ともだちにはその事実を

ずっとシェアできなかった。



この、「根幹にある痛みをだれにも

シェアできないこと」こそが

わたしの苦しみの原因だった。



「弱さ」をむき出しにすることが

震えるほどこわくてたまらなかったんだ。



おうちで動けずゴロゴロしてる


だらしなくて臆病で

情けないこのリアルなわたしを


これまで繊細に感じてきた

たくさんの痛みを


"隠さなきゃいけない"って

思い続けてきた。



だから「いま」を否定して

「未来はこうなるんだ!」って

アファメーションしてみたり


将来のさも「ステキなわたし」を

思い描いては毎度きもちよくなって

リアルな痛みから逃げまくってたし


いまここに動けずにいる苦しいわたしを

一切見てあげようとしなかったから


どんどん外に見せるわたしと

内にいる真実のわたしの乖離が

大きくなっていって


ついにカラダに限界サインが

あらわれまくって 終了🏥



目の前の世界にたいして


「隠さなきゃいけないこと」

「バレちゃいけないこと」


だらけだなんて そりゃあ

生きづらいに決まってる。


そもそも誰にも言えなかったけど

人間が ずっとこわかった。



この世界観でかれこれもう

何十年ってやってきたわけです。


今さらどうしていいかわからなかった。



正直 34才の誕生日を迎えたとき思ったの。


あー もう人生詰んだかもって。


この年齢でなんにも

積み重ねてきたものが

ないなんて、、、


てかこの先どうする??


わたしはあいもかわらず

なにやってもうまくやれなくて

逃げてばっかりですべてが怖くて


一体なにしてんだろって


かなしかったし 恥ずかしくて

たまらなくなったから


また、逃げたくなった。



いやいや まだまだここからだ!

だいじょうぶ!って


じぶんをふたたび鼓舞する声と


いまさらなにか夢を描いたって

もうムリかもしれない、、、


ってどうしようもなく落胆する声が


何度も行き来した。



だけど


この両極の声を行き来してるときにはまだ

「じぶんを世界になんとか証明すること」から


わたしは完全に抜けることはできなかった。



外の世界にキレイなところだけを

うまくいってるじぶんだけを

まだまだ見せたくなってたし

(見せられる余力、体力があったし)


ここからきっとわたしはすごくなれる!

なにかで一発逆転したい!みたいな


フンガフンガとりきみがすごかった。



このメラメラした承認欲のエネルギーが

燃え尽きたときにようやくズドンと

降参することになり果てて🥀


底に堕ちたとき


ああ ようやくわたしは

敵がいなくなったなぁ と思った。


ていうか


はじめから敵なんて

どこにもいなかったんだから


まじでひとり相撲してた人生だったと

気づくことができた👧🏾


そして


30年以上、これまでわたしなりに一生懸命

生きてきた結果がコレだったんだから


もうなんでもいいやーーーー!


って心底おもったら


むくむくと いままでとは質のちがう

エネルギーが湧きはじめたんだ。



コレでいいんだ


っていうこの安心感と

「リアルなわたしを生きてる」実感。



ああ これが ずーーーーっとわたしが

追い求めてきた感覚だったんだ


ことばにすると変だけど


じぶんのカラダを生きてる


たしかな感覚。


いつも、だれを生きてるのか

わからなかったから。


うれしくて、その夜は目が

腫れるほどたくさん泣いた。



このカラダの位置、感覚から

もう一度 人とつながり合おうって

こころから思ったし


この、なんとも情けない人間的な

生々しさこそが生きてる実感なんだな


って


ようやくカラダでわかった瞬間だった。


お布団のなかで嗚咽しながら

わんわん泣いたんだよね。


あー わたしってみっともないけど

最高だなって。



もう一度このわたしで生きようって

覚悟がきまった夜。



そう。そんな流れで

このブログをつくりました。


このバイブスのまま文章にしたかった💌



これもサポートしてくださった

サチさんのおかげだし

(すばらしい女神メンターと出逢った)


毎度セッションのたびにじぶんを

見るのが痛すぎて大号泣だったんだけど


ほんとーーーうにお願いしてよかったです。



わたしがハートをひらいて

このじぶんに降伏できた理由は


じぶんを偽らずに

世界にめちゃくちゃ

開いてるひと🌏 


エネルギーに触れ続けたことだった。



そんな人のエネルギーに触れるたび

ちからが抜けて、いまここの空間に

深く安全を感じて


わたしもハートを

開かずにはいられない


って思うし


ここまで出していいんだ!

ここまでじぶんを愛していいんだ!

ここまで制限なくていいんだ!


って 強烈な許可をもらえるんだよね😭😭



だからわたしも、

そんな許可証みたいな存在になりたい🪽



不完全で未熟で矛盾だらけな

このわたしを出し惜しみせずに

目の前に差し出して


もう一度、この人生を生き直す🥀



人間臭くて生々しい血の通った言葉を

なによりも大切して


本物のじぶんで生きていく。