一度目の死産から産休を経て職場復帰し、体調がイマイチでも何とか家事と仕事と育児をこなす日々が続きました。


そんな中にもふと

桃ちゃんがきっと戻って来てくれるはずにっこりスター


という何とも不思議な感覚がありました。



ある夜、息子を寝かしつける時に

ふと息子へ色々と質問してみました。


『赤ちゃん欲しい?』

→うん!欲しい!


『今度赤ちゃんがきたら名前は何にしよっか?』

→うーん…ゆうちゃんは?


『じゃあ、ゆうちゃんにしようか!』

→うん!ゆうちゃん、いつ来るかなぁ〜。


こんな話をして、まだ見ぬ我が子は『ゆうちゃん』に決まりました。

(※この名前はこのブログでの仮の名前です。)


息子は当時5歳でしたので、漢字は全く分かりません。

ですので、ゆうちゃんの漢字をどうするかを考えた時、私には一つの選択がありました。



私の母は、私が結婚する前に病気で他界しました。私は母が大好きでした。


生前、私は母へ、将来の私の子どもへ名前を残して欲しいとお願いをしました。

そして母は女の子なら『結子』(*ブログでの仮名です。)と残してくれました。


私は息子の『ゆうちゃん』の『ゆ』を、

母が残してくれた『結』の字を使おうと決めました。


結宇ちゃん、結羽ちゃん、結海ちゃん…


まだ妊娠すらしていないのに、まだ見ぬ我が子の名前を考えていました。


ゆうちゃん、いつ来ても良いからね〜

ママもお兄ちゃんも楽しみに待ってるよ〜


お空を見上げながら呟いたり

ゆうちゃんがお腹にくる日を楽しみに待つ日々が始まりました。


こうして新しい年が明け、春が来ました。


ゆうちゃんはまだお空で待機しているようでした。


そんな中、妊娠していた義理姉が女の子を産みました。その産まれた子の名前は『ゆう』でした。


私の地獄が始まりました。



久しぶりの投稿になってしまいました。

さて、ブログの続きです…。


私は一度目の死産から産休を経て、正社員として復職しました。夏の暑さがまだまだ続く、残暑厳しい季節でした。


私は医療関係の仕事をしていました。

久しぶりに顔馴染みの患者さんに会ったり、同僚と話したり、業務を遂行することで、

余計なことを考えることから距離を置けて、ほっとした部分がありました。


復職後も仕事と家事に追われて、自分を省みる時間は皆無でした。


そんな中、復職して半年ほどは、1〜2ヶ月に一度程度の間隔で、原因不明の発熱に襲われ、数日間休まなくてはならない日々がありました。


今振り返ると、

死産の悲しみから逃げ、

死産後自分の身体を労わることを無視していた私自身へ向けて、身体と心から休んで!というSOSだったのではないかと思います。


しかし、当時の私は、そんなことは考えもせず、何故こんな頻繁に熱が出るのだろう…復帰したばかりなのに…職場へまた迷惑かけてしまう…とそんなことばかり考えていました。


また、復職後に、同僚の妊娠/出産報告や、初節句の報告など赤ちゃんに関する情報を沢山耳にする機会がありました。

その度に顔は取り繕いの笑顔を見せていたつもりですが…心はぐちゃぐちゃに掻き乱させていました。

どうしてそんな笑顔で私に話せるの?

私が死産したの知ってるのにわざわざ言ってくる?

嫌がらせのつもり?

妊娠して幸せそうに笑ってるけど、そのうちお腹で死ぬかもよ?


そんな醜いことを思っていました。

相当性格悪いですよね…でも自分でもその出てくる醜い感情を止めることができなかったんです。


そしてそんなことを思ってしまう自分が嫌いで、どうして喜べないのと苦しくて、悲しくて…

誰にも言えないぐちゃぐちゃな心の内と対峙する時、声を殺して一人で泣きました。


泣いてもその醜い感情を止めることはできませんでした。

赤ちゃんに関することを耳にする度に、醜い自分が出てきました。

その度にその醜い自分が嫌いで、許せなくて、悲しくて…泣きました。


私は泣けたことが救いでした。

きっと世の中には泣けない方も沢山いらっしゃると思うのです。

だから泣けただけで、泣けるんだ!泣けてるじゃん!それで良いんだよ!仕方ないんだよ!

そう自分で自分を慰めていました。


誰にも言えない醜い自分を、自分が受け止めないと、誰かを傷つけてしまうと思いました。


赤ちゃんに関することに神経が尖っていて、心が無意識に反応して、傷ついて、泣いて…孤独でした。

誰にも言えないこの痛みは自分で癒すしかない、きっと時間も味方してくれるはず。

そう思いながら過ごしていました。


そんな日々を過ごしながら季節が変わっていきました。




1度目の死産は夏でした。


死産後、8週間の産後休暇が取れました。

赤ちゃんはいないのに、こんなに休んで良いのかなと戸惑いつつ、

長男の夏休みを一緒に過ごせることのありがたさに感謝しました。


長男を0歳から保育園に預けて働いていたので、長男とずっと一緒に過ごせるのは育児休暇以来でした。


長男の『ママと一緒に過ごせる!』という笑顔に救われた夏でした。


たとえ14週の妊娠期間でしたが、子宮収縮もあり、身体は思うように動いてくれませんでした。

10日ほどは買い物以外ほぼ家の中で過ごしました。


妊娠していたことは、義理の両親、実父(実母は他界しています。)、そして姉に伝えていました。


私の身体のことを一番気遣ってくれていた父に伝えるのが、とても辛かったです。

直接口で伝えるのはまだ勇気がなかったので、携帯のメッセージにて赤ちゃんがお空に帰ったことを伝えました。すると、


よくがんばったね。

身体の回復が一番大切だからね。

何かあればいつでも連絡しておいで。


そんなメッセージを返事してくれました。


私は幼少期から躾のためと、かなりスパルタで育てられました。その影響からか、私は父の愛情を感じられずに育ちました。


そんな私でしたが、このメッセージに父からの愛情を感じ、改めて赤ちゃんを抱かせられなくてごめんなさいと一人で大泣きしました。

(そして今でも、もう一度赤ちゃんを抱っこさせられたら良かったな…と思います。)


夏の夕暮れに長男と遊んでいる時、

綺麗な夕焼けを見て桃ちゃんにも見せてやりたかったなと思いました。


美味しい桃を食べては、

桃ちゃんがいたらもっと美味しいはずなのにと思いました。


何をしても桃ちゃんがいたら…とふと思う私がいました。


そんな自分の思いに蓋をするかの如く、体調が回復してからは毎日長男と海やプールに出かけました。


桃ちゃんがお腹にまだいたら、この長男の笑顔を見れる長い夏休みはなかったのだと自分に言い聞かせながらすごしました。


長男との夏休みを過ごさせるために、桃ちゃんは一旦お空に戻って行ったんだ!優しいお兄ちゃん想いの子なんだ!そう自分に言い聞かせてあえて元気に笑顔にして過ごしていました。


それが桃ちゃんを失った悲しみと自己嫌悪から逃れられる唯一の手段だったのです。


長男のためにと毎日せっせと身体を動かして、夜は疲れて寝て…余計な感情を出さないようにしました。


そんな風に過ごして、あっという間に夏は過ぎていきました。