1世紀も経ってない。

灰となったhiroshimaが

たった60年で

あれだけの都市になった。

人のちからはすごい


所用で3度目の広島へ

もう地図がなくても

市内は歩けます。


一日歩き回って

しんどかったから

原爆ドームへ行くかどうか

迷いました。

でも、やはり

なにか

日本の(又自分の)原点があるようで

その

何かを確かめたくて

行きました。

夕方というのに

人は結構いました。

電停側の植木の端に座り

一時

考えをめぐらせて

あの日どんな風景だっただろうか

ここに人はいたのだろうか

なぜ

原爆で人を殺さなければならなかったのか

思いを62年前に

ぼーとしていると

後ろの球場から

歓声が

広島カープの試合をしていたようで。

後ろの歓声と目の前の原爆ドーム

そのミスマッチさが

不思議な空間をつくる。

60年という月日は

もうそんなに昔なのか?

ここに来るまでにすれ違った人

あの甲高い歓声の人々

に60年前を知る人は

そんなに多くない。

原爆ドームの前で

ピースで

記念撮影をする人

何を考えてるのか?

(たしかに怖い顔で写真に写る必要はないのだが…)

その行動に違和感を覚えた。

次々に

写真を撮っては何事もなく人が去り、

その繰り返しを見ていると

ただの観光地であるかのようで…

風化した時の流れを感じた。

62年という月日のなかで

人々が

作り上げ、守り続けている平和ないま

私たちは

その

日本の精神を

ちゃんと

受け継いでいるのだろうか

気がつかないうちに

方向転換してたり

事実がすりかえられたり

惑わされやすい

情報化の現代で

きちんと知る必要と

伝える必要を

改めて感じた。