昨日
小さい頃一緒によく遊んだ兄弟のような友人が
非常に苦難の中にあることを
知りました。
そのご両親もショックのあまり病気になったとの
ことでした。
人間としてギリギリの生活を送っていること
そこまで自分を落とした相手と
戦う気力も残ってないことも
ろくに食事も取れてなくて痩せ細っていることも
今本当に苦難の中にいると知り
勿論切なくはなったけど
ここで私は
「そんな状況下で生きててくれてありがとう」
と真っ先に思いました。
もし私なら…と思うと同じように
出来ないかもしれないと想うからです。
しかしながら、そんな私も若かりし頃
ちょっとした事件に巻き込まれて
家が突然なくなったり
お金も洋服の一枚も、何もかも残ってなく
心も深く傷ついている中で途方に暮れながらも
とにかく必死で生きてきたことを思い出して
あの頃生きるための信念とか
そんなの必死すぎて考えた事もなかったなって。
そこで思った。
私たちは言葉でどんどん不幸になっていることを。
あの時代にSNSがあったら
言葉に踊らされ
周りと比べまくり
生き続けられなかったかもしれない。
私のその友人もSNSをやるタイプではないので
それが変なことを考えずに済むのかも知れない。
SNSは良い面もありますが
物事は必ず表裏一体である事を
忘れてはいけない。
月と太陽、夜と昼、夏と冬、男と女、善と悪
これからの時代は〜とか
そんな言葉に踊らされてはいけない。
これからも、今までも
ずっと今の連続で
知識を入れるのではなくて
人として沢山の経験をして
感じて生きていく中で自分だけの答えと教科書が
出来上がる。
何かトラブルが起きると
人は視野が狭くなりがちだから、目を開き
感じれば
その友人も今すぐにでも幸せになれることを
私は知っています。
本当は今すぐにでも会いに行きたいけど
おそらく、そんな状態で会いたいわけないのも
知ってるので
そんな状況下で、生きているだけで凄い事だって
あなたが生きてる事が嬉しいんだって
みんな思ってること
気がついてくれたら奇跡は滝のように起きるって
私は信じていますし
祈って願っています。