36.
沙織のラスト・ライヴから3ヶ月ほどがたち、年も変わった。僕は仕事を淡々とこなす日々が続いている。身体や精神的に厳しい日もあるが概ね僕に取っての日常は平穏だ。何も考えないでいればそれは今までと同じように、この先少なくとも10年や20年はこの暮らしが続いていくのだろうか。
マミヤとは正月の挨拶を電話でしただけで会ってはいない。彼の父親が年末に腰の手術をしたそうで、それのリハビリやらでマミヤ本人も毎日のように実家に帰っているようだ。病院の送り迎えや毎日の世話があるのだろう。マミヤの母親は元気でまだパートで働いているそうだけれど、家のことと仕事とリハビリの世話の毎日では体力が続くほど若くはない。自分の母親も元気ではあるけれど、もし病気で寝込むようになってしまったら僕はマミヤと同じようにできるだろうか。そう遠い未来の話ではない。そんなことがあれば10年20年同じ毎日がつづくなどと呑気な想像はできない。
仕事帰りの地下鉄の駅で橿原脩作が書いた脚本による舞台のポスターを偶然に見かけた。芝居のことを知らない僕も知っている俳優が出ていて、大阪でも公演があるようだ。もしやと思い由野沙織の名前を探したが当然になかった。彼女から連絡はなく、僕から連絡もしていない。本当に音楽をやめてしまったのかもわからない。確かめることはできるのだろうが僕はしなかった。それは僕の問題ではないし口出しできることでもない。ただ、もう一度彼女の歌が聴けるのであれば、それは僕にとって随分と特別な出来事になるのだろう。僕はそれを目立たぬように願っていた。
駅の階段を昇る。それほど重くもないリズムで靴音が響く。隣を若い女性が軽やかに僕を抜いて上がっていく。恋人がその先に待っているのか、表情がわからずともその足取りは楽しそうだ。出口に近づくと表通りを走る車の音がして、さっき見かけたポスターから僕の思考を引き剥がす。すれ違う人はいるのだけれど誰ひとりとして記憶に残らない。車窓からぼんやりと眺める風景のように僕の歩く速さと相手の歩く速さとで瞬時に消えていく。街の音は現実に僕が生きていることを証明してくれる。僕はそれに感謝も安堵もなくインナーフォンを耳に押し込んで沙織の曲のなかに自分を閉じ込めようとする。すれ違う人達に音楽は流れているのだろうか。どんな歌が好きなんだろうか。それを考える時間、沙織の歌すら僕の中ではBGMになりさがっていた。
僕は思わすうずくまってしまった。僕の中で大事だったことは何なのだろうか。すべてが軽い薄い記憶にかわっていく。ショウコのことさえ、沙織の歌さえ。自分が今、何も無いことに突然に気づいた。あれから僕はどうやって生きてきたのか思い出せない。
どうかしたのか?と親切なひとが数人集まってきて、体調が悪いのか?救急車を呼ぼうかと心配して声をかけてくれた。いや、大丈夫です。ありがとうと言って僕は立ち上がった。気をつけてねとその人達は立ち去っていった。また先程までの時間が戻る。まるで知らない人たちはその瞬間僕に関わってくれた。他人の人生が一瞬交錯するとき、僕はその人に感謝の意を伝えることはあってもそのことを大切にしようとしていなかった。
沙織の歌はまだ流れている。
僕は沙織にメールを送信した。
会いたいことを伝えるために。
僕は自分から手を差し出そうとしている。それは届く距離ではないのかもしれないけれど。