37.
TVでは例年と違い今年の最高気温を更新という気象予報士が最も夏に使えるフレーズは8月の初めにはすでに聞かなくなり、冷夏の過ごしやすさと裏腹に海の家の売り上げ減やビール会社の広報の渋い顔を、仕方がないさと電車の中で語るサラリーマンたちを横目に、僕はそれでもまぶしい日差しを手で遮りながら窓の外に流れる街の様子を眺めていた。見慣れた風景ではあるけれどそれを眺めることにある種の安心があった。あれから長い時間がたち、街はその痕跡をほとんど見せない。少なくとも通勤列車が走る沿線にそれは感じない。僕はすべてを知っているわけではないけれど、この街は元気になっていた。そこに住む人たちも日常を平穏に過ごす日が多くなったのだろう。僕もそのなかの一人であるし、隣で絶対に行くことのない海の家の売り上げを話題にしているサラリーマンとて同じだ。僕らの日常は人それぞれ違うけれど少なくともこの瞬間は平穏だ。
沙織からの返事は来なかった。もう日本にはいないのだろうけれど、その活動や情報発信の類は一切なく、由野沙織の名前も歌も何も聞こえてこなくなった。
彼女は本当に歌をやめてしまったのか?今、どこにいて何を考えているのだろう?
僕の考えることに誰も答えはしない。
僕は今でも彼女の歌を聴く。インナーフォンから流れる声はいつ聴いても変わることはなかった。細かなブレスの場所まで覚えているほど聴いても彼女はいつも正確に歌う。何も間違えすに僕の耳に歌を残す。いつも僕が思い出すのは愛くるしく笑う大きな瞳と僕の眼の前に差し出した小さな手だった。
そしてその手を放したあと、どれくらいの距離に彼女が遠ざかったのかも分からず。
得意先に寄った後、会社にはそのまま帰ると報告をして久しぶりに海を見に行くことにした。沙織と偶然に出会ったあの場所はしばらく行っていなかった。ちょうど大きな外国客船が入港しているらしく、船には乗ったことがないけれど、間近で見るのは気分を味わうのにちょうどいいかもしれないと思った。
冷夏とはいえ夏の日差しは厳しい。これから夕方に近づく時刻ではあったけれど少しの距離を歩くだけで汗は気分を害すようにまとわりつく。心地よい汗などというのを僕は何年もかいた記憶がない。それはきっと自分のせいで、夏のせいではないのだろうとも思う。
ちょうど売店が出ていて冷たい飲み物を売っていた。海を挟んでその背景に見えるターミナルには噂の大きな外国船が停泊していた。そのまた後ろに例のホテルが見える。その大きさから比較して自分が想像していたものよりはるかに大きいことに少し感動した。僕の務める会社のオフィスが入るビルが横倒しになったとしてもまだ全長は何倍か大きかったし、たぶん船を直近で見上げれば高さも高いだろう。あんなに大きなものが海に浮かんでいることすら奇跡に思える。ましてや大海原に進んでいくのだ。常識的な知識のなかで理解をしているようでも、実際には何も知らないことをわからしめるように堂々と寄港しているこの船に乗ってみたいと僕は思った。
沙織と再会したベンチに座りさっき売店で買ったビールを飲む。あの時とは違い、周りにはカップルや家族連れやらが皆、あの船を眺め携帯やカメラで写真をとっていた。船をバックに写真を撮りたがる家族連れや旅行客に見える人たちもいる。外国人も少なからずいた。あの人たちは船で旅行をしているのだろうか。僕の仕事帰りのわずかな自由の時間と彼らの自由な時間は今、ここで共有されている。なんとも不思議な偶然だ。その質は違うのかもしれないが妬みは感じなかった。僕もその気になればあの船に乗れるのかもしれないしあの船に僕は拒まれているわけではない。そう思えるだけ今日ここへ来たことには意味がある。
そのベンチで缶ビールを飲みほした後、ターミナルまで歩いてみた。船旅はしたことがないけれど、空港でもデッキで飛んでいく飛行機は自由に見れる。きっとターミナルからもその船を見ることは乗客でなくてもできるだろう。見送りの客だっているのだろうし。僕は案内板を見ながらその船が見送れるところまでターミナルに入っていくことにした。船が着岸しているところまでは遊歩道が続いていて、ちょうど乗船客らしき人たちが大きなキャリーバックを転がしながら何組も歩いている。僕はその場に合わない仕事帰りの格好ではあったけれど、その人たちの後についてターミナルまでの遊歩道を歩いた。ちょうど湾になっている反対側に回ってくると、さっきまで座っていたベンチが見え、先ほどと同じように何組ものカップルがあの船を見ていた。10分も歩いていないのにその位置関係は完全に反対になり、長く神戸に住んでいて、何度もあのベンチから海や風景を見ていたけれど、こんな感じでその場所を見るのは初めてだった。きっと他にも見えていないことや場所はたくさんあるのだろうと思えた。たとえ船に乗らなくても。
乗船客の後についてターミナルの入り口に来ると、たぶん旅行会社なのだろう、たくさんのスタッフが客たちを案内していた。一様に笑顔の集団が広いフロアをスタッフたちに導かれ整然と列を作り乗船の手続きらしき順番を待っている。僕はスタッフの一人に声をかけ、見送りができる場所に行けるのかを聞いた。やはりスタッフの女性は笑顔で「こちらにどうぞ」と案内をしてくれた。乗船の手続きをしているフロアから階段を上がると見送りの人たちが自由に船を眺められるデッキがあった。すぐそばに海越しに見ていたあの船が、今度は街中のビルのように眼の前に現れた。間近のその船はさっきまでの想像をもう一度覆してくれ、圧倒的に僕を見下ろしていた。このデッキの高さも通常のビルの3~4階の高さはあるはずだが、ちょうどその船の客室のバルコニーから景色を眺めている先客は僕の視線のまだはるか上でくつろいでいる。さっきこの船に乗れるかもしれないと思ったのは、少々、不相応だったのかなと思わず苦笑いをしてしまう。全長が100メートルはあるのではと思うこのデッキスペースを端から端まで歩いてみたけれど、この船の先から後ろまでは到達できない。僕の会社で扱っているオフィス机は必要ないはずの船内だろうけれど、もしこの船のすべてに什器を納品できたら、僕は間違いなく今年度のトップセールスの座は確定だろうなと意味のない想像をする。
この船は僕の小さな癒しのためにその大きな図体をうかべてくれている。なんともおかしな話だとまた少し笑えた。
それから僕は飽きもせずその船を眺めていた。下の階から乗船用の渡り廊下のようなところを通って客たちが乗り込んでいき、船側のデッキも乗船客であふれていた。気が付くと僕のいる見送りデッキも見送りの人たちでいっぱいになっていた。たぶん両親に旅行をプレゼントしたのだろう、親孝行そうな若い夫婦が子供をつれ、「おばーちゃんいってらっしゃい!」と大きな声で声をかける。その向かい側でいかにも品のよさそうな初老の夫婦が同じように笑顔で手を振っている。船まではたぶん14~15メートルくらいだろうから、お互いに充分にわかりあえる距離だ。船が岸壁をはなれていけばこの距離はどんどんと大きくなる。それでも幸せな思いはつたわるのだろうか。僕にその経験はない。けれどこの二組の親子らしき人たちの間では確実にその幸せな思いは伝わっている。
僕は手をのばしてみた。 大きく深呼吸をしながら。
この船に沙織が乗っているわけではない。ショウコが乗っているわけでもない。
けれど僕は、手を伸ばしていた。届くはずのないその船へ。