アンディ・マレー ドキュメンタリー『The Man Behind the Racket』② | マレー・ファン@ラブテニスワールド

マレー・ファン@ラブテニスワールド

英国テニス・ナンバーワン選手のアンディ・マレーを応援しながら、
ロンドンでの暮らしを綴るブログです♪
マレーがついに2012年ロンドン五輪で金&銀メダリストとなりました。
一緒に応援してくださった皆様、本当にありがとうございました!


さて、いよいよマレーのドキュメンタリー、PART2に入ります。

前回はマレーの故郷への帰還、生い立ち、ダンブレーン事件を
追って行きました。

今回はマレーとマスコミ、そしてマレーと国民の関係について。

振り返れば振り返るほど辛い内容でもあります。

このことに関しては、ブログを初めて以来、書きたくても
『時事ネタ』に追われてなかなか詳しく書くスペースがなく、
いつもいつか機会があったら…と思っていました。

なので、今回やっとじっくりと語ることができます。
心の整理をするつもりで書いていくつもりです。

ということでドキュメンタリーに話を戻しますね。


【アンディ・マレーとマスコミとの関係】

前回のダンブレーン事件のくだりから、話はいよいよ
マレーの去年の無念のウィンブルドン決勝へと移ります。

時は2012年夏。ウィンブルドン男子決勝の日。

マレー・ファン@ラブテニスワールド-フェデラーとマレー

マレーの先頭を切って、貴公子のような出で立ちで
華麗に登場するロジャー・フェデラー

フェデラーはウィンブルドンでは大の人気者であり、
彼にとってセンターコートは第二の故郷。
マスコミにとっても、大衆にとっても、まさに彼は
スイスが生み出した偉大なる伝説の選手です。

でも一体マレーのアイデンティティとは…?

このとき、ウィンブルドンで英国人が決勝進出をするのは
なんと74年ぶり。最後に優勝したのは76年前。

このためマレーに英国中の期待がどどっと集まりました。

でもマレーの決勝進出に興奮する英国民を除いては、
おそらく世界中の多くの人々は、マレーの優勝の可能性に
半信半疑だったはずです。

当時、マレーはトップ4の中で唯一グランドスラム優勝を
果たしたことのない、いわゆる『二番手選手』という
イメージを持たれていました。

果たしてこれまでグランドスラムを一度も制覇したことのない
マレーが、この多大なるプレッシャーの中で、
初のグランドスラム優勝を果たすことができるのか…?

このように世界が息を詰めて見守る中、またしても
マレーはフェデラーの前に屈してしまいました。

ところが決勝後…

負けたにも関わらず、

マレーを取り巻く全てが変わりました

マレーの中で何かが大きく変わり、さらに国民の
マレーに対する感情も大きく変わりました。

では一体それまで『国民のマレーに対する感情』とは
どんなものだったのでしょうか…?

この背景を理解するには、マレーがプロ転向以来抱えてきた
あるひとつの事件」について知っておく必要があります。

全米オープン・ジュニア優勝したマレーは、2005年にプロに転向。
スコットランド出身の新星、アンディ・マレーという少年に、
マスコミからの注目がどっと集まります。

この頃は、マレーはマスコミとも気さくに話し、
冗談を飛ばす余裕までありました。

2005年ウィンブルドンでの初めての記者会見でも、
マレーの打ち解けた様子が伺われます。

(無邪気な笑顔のマレーの記者会見)
マレー・ファン@ラブテニスワールド-記者会見のマレー

米記者
「…イングランドやスコットランド出身の選手が
 テニスができるなんて、誰もがびっくりしてるよ」


マレー
「(にやっとして)そうかな。ティム・ヘンマンは
 悪い方じゃないと思うよ」


(会場が爆笑)

米記者
「失礼、ティム・ヘンマンは別のレベルだけど、君の場合、
 我々アメリカ人からしたらこう言いたいところだ。

 『ジュニアの選手で、しかもイングランド人の少年が
 全米で優勝? 冗談だろう? 』って…」


マレー
「(記者をさえぎって)スコットランド人だよ」

(再び大爆笑)

と笑いに包まれた記者会見。

というか、笑われたのはあまりにも無知な米記者だったと
思いますが、それにしてもこの失礼さ!!!

バグパイプを指さして『メイド・イン・イングランド』と
言ったようなものですからね(汗

しかもイングランドとスコットランドを思いっきり
過小評価してます (@ ̄Д ̄@;)

今世紀のアメリカの人口の割合を見ると、
いまだにイングランド系アメリカ人は8.7%、
スコットランド系アメリカ人ですら1.7%もいます。

移民にとって、祖先のルーツは非常に大切なので、
もし同じ発言をスコットランド系アメリカ人にしたら、
きっと侮辱ととられてしまうでしょうね。

とはいっても、4つの国家(イングランド、スコットランド、
ウェールズ、北アイルランド)からなる
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国』という
長ったらしい正式名称を持つ英国の構成は、
他の大陸から見たら複雑怪奇なのかもしれませんが…

(英国の構成については、こちらの記事にてどうぞ)

でもイングランドとスコットランドをごっちゃにするくらいなら、
まだ可愛い(?)方です。

のちに英国内でのマレーのアイデンティティは、以前からこのブログでも
話している通り、『勝つと英国人、負けるとスコットランド人』という
不条理なものへと変わっていきます。

これはある些細なことがきっかけでした。

英国人なら誰でも承知のことなので、ドキュメンタリーでは
このマレーの人生を変えたとも言える出来事について
軽くしか触れていません。

ということで、今回はじっくりこの背景を説明したいと思います。

ウィンブルドンとワールドカップの開催時期が6月下旬から
7月なので、4年おきのワールドカップの年が来ると、
ウィンブルドンでも必ずサッカーが話題に登ります。

欧州の選手やサッカー大国出身のテニス選手たちにとっては、
大事なウィンブルドンが進行中だろうと、ワールドカップは
無視することのできない世界大行事。

例えばスペインが勝ち進んだり負けたりすれば、ラファの記者会見で
必ずそのことが話題になりますし、ティム・ヘンマンが活躍していた
時代には「今日は試合が早く終わってよかった。これで今夜の
ワールドカップが見れる
」などとヘンマンが記者会見でジョークを
飛ばしたこともあるくらいです。

さらにまたまた英国の歴史を振り返ってしまいますが、
イングランドがワールドカップ優勝したのは1966年が最後。
なのでこの悲願のイングランド優勝は、マレーの77年ぶり
ウィンブルドン優勝と同じくらい、国民からの莫大な期待が
かかっているのです。

しかもこのチャンスが巡ってくるのは4年に一度。

毎回、イングランドが勝ち進むたびに国中はハッピーモード一色。
ところが負け際は本当に最悪です(汗

1998年にベッカムがレッドカードを受けて退場したあと、
ベッカムが国中からバッシングを受け、これを振り切るまでに
何年も要しましたが、それくらい国民の血が熱く煮えたぎる
大イベントなのです。

(ベッカム事件に関しては『ウィンブルドン:マレー対
 フェデラー決勝を振り返って
』の中で触れています)

さて、このベッカム事件でも分かるように、イギリスの
熱狂的スポーツファンだけは絶対に敵に回したくありません。

ということで時は2006年7月に遡ります。

マレーの運命を変える事件が起こったのは、奇しくもウィンブルドンにて。
マレーがプロ転向後、一年目のことです。

この年はワールドカップがドイツで開催され、世界中が大フィーバー。
キャプテンのデビッド・ベッカム率いるイングランド・チームが
準々決勝進出を決め、イギリスも興奮の嵐に包まれていました。

そんなワールドカップ・フィーバーの中、ティム・ヘンマン
アンディ・マレーが、英国の新旧テニス選手として
デイリーメール紙のインタビューに応じることになります。

マレー・ファン@ラブテニスワールド-マレーとヘンマン

カメラマンの待つテントへ向かう道中、話題はワールドカップ談義に。

一時はサッカー選手にスカウトされたこともあるくらいの
サッカーの腕ならぬ足を持つマレー。
当然のことながら、一緒に盛り上がるわけですが…

ここでティム・ヘンマンが、スコットランドがワールドカップに
進出できなかったことを出しにして、アンディをからかいます。

「スコットランドはワールドカップにもヨーロピアン・
 チャンピオンシップにも進出できないし、
 ラグビーもそこそこだし、クリケットはやらないし、
 オリンピックはグレートブリテンとして出場だから、
 いつまでたっても勝つチャンスがないね。

 (スコットランドのいない)ワールドカップでは
 どのチームを応援するんだい?」


マレーもそれに反応して、ジョークで応戦。

「どのチームが勝っても同じだけど、とりあえず
 イングランドの対戦相手でも応援するよ」


これを受けて、3人は大爆笑。

この会話の内容は、そっくりデイリーメール紙に掲載されました。

と・こ・ろ・が…

数日後、デイリースター紙の一面にこんな見出しが…

マレー・ファン@ラブテニスワールド-デイリースター紙

『WE HATE MURRAY』(マレーは我々の敵)

 ーWorld Cup Volley of abuse for ace Scot
 (スコットランドのエースがワールドカップ暴言を吐く)


そうです。マレーがティム・ヘンマンと新聞記者相手に
交わしたジョークのことです。

これをデイリースター紙は、センセーショナルな報道をするために、
マレーのあの一言だけを抜き取って記事にし、

マレーはイングランド以外のチームならどこでも応援する
という暴言を吐いた


と伝えたのです。

この見出しがイングランド・ファンのプライドと愛国心を
見事に逆なでし、国民中の怒りを買いました。

マスコミ、特に大衆紙にとって、『誰かを叩くこと』が
一番の売上につながります。

しかも材料となったのは、旬まっさかりのワールドカップと
ウィンブルドンで注目を浴びるスコットランド出身のマレー。

イングランド・ファンとマレーを対決させることほど
貪欲な大衆紙にとって美味しいものはありません。

そのあとは伝言ゲームのように、見出しから想像する見出し…と続き、
ティム・ヘンマンが最初にスコットランドをからかったことは
すっかり無視され、マスコミがこぞってマレー叩きに走り、
イングランド嫌いのマレー』という内容で各紙の一面が
埋め尽くされました。

この『マレー叩き』がいかにエスカレートしたかというと…

見出しを真に受けた国民から次々に悪意のこもった
マレー宛の脅迫状や中傷メールが山のように寄せられました。

またBBCのラジオ番組『トゥデイ』でマレーの発言について
喧嘩腰の大議論が交わされるほどの大問題に発展。

各紙のコラムニストたちも一斉にマレー叩きに便乗し、
ついには「マレーのロボットのような性格」までが
批判の対象となりました。

元議員のデビッド・メラーは、なんとマレーのために
ユニオンジャックの旗の振り方を講義。

(↑これを真剣にやっているのですから、もう恐怖です)

また、このマレー叩きのあまりのひどさに、
スコットランド首相がマレーの身の危険を心配し、
声明を発表するという国家的問題にまで発展しました。

このときマレーはまだ19歳

プロ入りしたばかりで、マスコミ慣れしていないテニス選手が
リラックスした雰囲気の中で無邪気に言った冗談。

それを悪意を持って曲解し、その少年を国民の敵に仕立てあげる…

このように、マスコミはこれからテニス界で
羽ばたこうという新人テニス選手を、羽ばたく前から

見事に叩き潰すことに成功

したわけです。

これがまさにマレーが19歳にして体験した、マスコミの恐怖でした。

このことがきっかけで、マスコミに対し不信感を抱くようになり、
以前のようにオープンに冗談をかわすこともなくなりました。

これがさらに「マレーは無愛想だ」などという偏見を生むようになり、
ますますマスコミとの関係がこじれるようになっていきます。

マスコミだけでなく、マレーの見えない敵は、マスコミに翻弄された
英国民でした。

真相を知らない人々がほとんどですから、マレーを見ただけで
「この反イングランドのスコットランドのXXXXめ!」などと
罵る人々も多くいました。

コメディアンでマブダチのマイケル・マッキンタイアは、
真剣に語ります。

「ジャーナリストに心を開いて打ち解けた話をしたあと、
 たった一言だけが抜粋されて全国に報道され、
 そのせいで自分が人々の敵に回されてしまったら、
 誰だって心を閉ざしてしまうよ」


間接的に『マレー叩き』を引き起こすきっかけともなった
張本人のティム・ヘンマンとデズ・ケリー記者は、
その後何度も機会があるごとに誤解を解こうとしてきました。

でも一度定着したマレーの『反イングランド』というイメージは、

すでに修復不可能 となっていました。

また敵に回ったのはイングランドだけではありません。

「自分のガールフレンドも、チームも、親友もイングランド人で、
 住んでいるのもイングランドだ」


という発言をマレーがしたところ、今度はスコットランドのメディアが反撃。

『マレーの新しい大親友?それはイングランドだそうだ』

と、今度はマレーがスコットランドを見捨てたかのような報道。

このように、マレーが何を言っても揚げ足を取られ、マレーが堂々と
自分はスコットランド人だと言えば『反イングランド』、
イングランドとの関わりを強調すれば『スコットランドの裏切り者』と
されてしまうため、マレーのアイデンティティは行き場のない状態と
なってしまいます。

さらに2007年にティム・ヘンマンが引退し、いよいよマレーが
英国テニスの次の担い手として活躍し始めたあと、
『勝つと英国人、負けるとスコットランド人』という
もっと不条理なレッテルが貼られるようになりました。

(それに伴い『マレー指数』なるものまで生まれました。
 詳しくはこちらの記事で)

このように、アンディ・マレーという有望な英国テニス選手は、
一夜にして国民の敵とされてしまい、しかも国籍という
アイデンティティすら奪われてしまったのです。

しかもマレーが何かしたなら、少しは納得がいきます。

例えば1998年のベッカムは、確かに国民から酷い扱いを受けて
私も心が痛みましたが、あの時ベッカムは相手選手の足を
蹴ったのですから、レッドカード自体は当然の報いでした。

国民としても、ベッカムが退場していなかったら
イングランドは勝っていたかもしれないという怒りを
ベッカムに向けることによって、イングランド敗退の
悔しさを紛らわしたと言えます。

でも、マレーの場合はどうでしょうか?

イングランドがマレーのせいで負けたわけでもなく、
マレーはスコットランド出身ですから、イングランドを
応援する義務は全くありません。

それなのに『死の脅迫状』を送られるほど、
マレーが憎まれる理由があるのでしょうか?

それで思い出すのが、元イングランドのラグビー選手である
ブライアン・ムーアがテレグラフ紙に載せた

『なぜ自分はアンディ・マレーを応援しないのか』

という見出しの記事です。

マレーと同じスポーツマンである彼がマスコミの報道を鵜呑みにし、

「マレーがイングランドを嫌うのはいいが、
 それを理由に我々も彼を嫌う権利がある」


と、いう一方的な結論の内容。

・・・っていうか、

「我々も彼を嫌う権利がある」

って、一体どういうことですかっ!!!!???

ちなみに私はプレミアリーグのトテナムのファンですが、
宿敵アーセナルのファン(マレーも含めて)は周りに沢山います。

だからってアーセナル・ファンに向かって

「私はあなたを嫌う権利がある」

って誰が言いますか~っ!!!!

しかも、マレーは「イングランドを嫌い」とは一度も
言ってないわけで、この伝言ゲームにすっかり踊らされた
ブライアン・ムーアには、もう口がふさがりません。

まだジャーナリストが『購読数を伸ばす』というマスコミなりの
信条(?)があって悪意を持った記事を書くなら分かります。
そのために事実をわざと曲解するのも、もちろんマスコミの意図です。

でも一番恐ろしいのは、マスコミ以外の人々が見事に
その罠に引っかかり、思い込みだけでマレーをここまで
嫌うようになってしまったたこと。

しかも、それが同朋スポーツマンだったということが
なおさらのショックでした。

ブライアン・ムーア自身、スポーツ選手として一度ならずとも
マスコミの牙にかかったことはあるはず。
その彼が、事実を調べることもなくこんな記事を
堂々と載せるとは…

ということで、2006年のあの無邪気なジョークが、
マレーをその先何年も苦しめることになったわけです。

特に無邪気な頃のマレーの記者会見なんか見ちゃったら、

あのマレーからいたずらっこな笑顔を奪った君たち、
一体どうやって責任取ってくれるんだ~っ!!


と叫びたくもなります。

スコットランド人として堂々と胸を張ることは許されず、
かと言って英国人としても完全に認められることなく、
これまでマレーは孤独な戦いを続けて来ました。

これをどうマレーが乗り越えていくのか・・・

この辺のマレーと国民との関係については、このブログが
始まった時からずっと追って来ていますが、
ドキュメンタリーでものちほど触れることになります。

***

ということで、このあといよいよ、ガールフレンド、キムとの恋愛に
移るのですが、今回の記事には収まりきりそうもないので、
申し訳ありませんが今日はここまでにします!

もうキムちゃんに関しては、それこそ書きためていたことがたっぷり、
マレーの恋愛に関する貴重なインタビューもありますよ~。

これまで謎のベールに包まれていたマレーとキムの恋愛…
その全容が明らかに!


…なんて期待がどどっと高まったところで…
(↑勝手に高めてますが・笑)

最後にボーナス!

マレーはウィンブルドン優勝後、最愛のキムと一緒に
念願のビーチ休暇を取りました!

バハマの青い海にラブラブカップル、まぶしすぎる~っ!!!

マレー・ファン@ラブテニスワールド-マレーとキム

っていうか、アンディのたくましい筋肉・・・

まぶしすぎて目が開けられないっ(笑

でもこのラブラブカップルの下に、なぜジョコちゃんとの
抱擁を入れるのか・・・

もちろんこんなことするのは、ザ・サン紙です(笑



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