人間五十年。下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり
位階 は従五位下 。官職 にはついておらず、無官大夫と称された。
笛の名手であり、祖父平忠盛 が鳥羽院 より賜った『小枝』(または『青葉 』)[1] という笛を譲り受ける。
源氏 側の奇襲を受け、平氏 側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷直実 が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。
敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子直家 と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。
直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った[3] 。
この事から、直実の出家の志が一段と強くなったという発心譚が語られる。
「延慶本」や「鎌倉本」では、直実が敦盛の笛(または篳篥 )を屋島 にいる敦盛の父経盛 の元に送り、直実の書状と経盛の返状が交わされる場面が描かれている。
淡路島 煙島に敦盛の史跡がある。
この『平家物語』の名場面は、のちに能 『敦盛 』、幸若舞 『敦盛 』、文楽 /歌舞伎 『一谷嫩軍記 』などの題材となった。
織田信長 の好んだ歌『人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか』は幸若舞の『敦盛 』の一節である。
(たいら の あつもり)は、平安時代 末期の武将 。
