この世はただの映像です。

例えばゲームの世界のようなものです。

 

ということを聞きますけど

 

いまひとつピンとこなかったんです。

 

 

でも、このことかな?って思うことがありました。

 

 

信号待ちをしていたら

朝の太陽の光が私の頭に入って来たいとサインを送ってきました。

 

許可すると、

 

しばらくすると

 

運転中の私の見る景色がセピア色になったのです。

 

なにこれーーー?

映像みたい。びっくり

 

映像?

 

セピア色の風景の中で

私だけが生きている気がしたんです。

 

あ~スピリチュアルな人達が言っているのは、このことかも・・・。

 

 

で、映像だとして

それがどういう意味があるかが

わかったのです。

 

映像だから

人はゲームの中の世界のように、ただ私に反応しているだけ。

ぴっと押したから、ピッと押されるみたいな。

 

すべては自分の思考が作っている。

 

 

物事にはマイナスな要素・ゼロ地点・プラスな要素

というのがあって、

 

 

そのマイナスな部分からプラスな部分まで全部味わわなければいけないのです。

 

 

でもマイナスな感情を味わっているときは

それを人のせいにしてしまう。

 

本当はただ自分の経験のために味わわされているだけ。

その人が苛めたわけでもないのに

勝手に苛められた妄想をしてそのマイナスな思考がどんどん

マイナスな出来事を引き寄せてしまう。

 

マイナスな部分からプラスな部分まで全部味わわないといけないのに

マイナスな部分をぐるぐる回ってなかなかプラスを味わえない。

 

 

映像だから

本当はその人は関係ない。

 

あの人はこんなこと思っているに違いない

とか

妄想に妄想を重ねて、結局自分を苦しめて。

そのループから抜けれない。

 

 

 

そして話は少し変わるけど

高次の自分。

 

高次の自分って何考えてるのだろ~ってよく思うけど

返ってくる返事は

高次の自分は=やっぱり私自身。

 

う~ん。よくわからないな~

 

と思っていたのに

 

わかったのです。

 

低次の自分=日常的な私だとして

それは感情の中を、上がったり↗ 下がったり↘ ・・激しく うごいている私。ゲロー

 

高次の自分はハートドキドキの中にいて

そこは感情がなくて

とても穏やかな世界。歓喜の世界。いつもぴーひゃら飲めや歌えやの世界。

 

低次の私がどんだけ悲しんでいても

 

そんな私を

指さしてけらけら笑っている。ゲラゲラケラケラ。

 

 

高次のハートの中の存在達は

 

私を苦しませている相手が

映像だと知っているから

 

けらけら

私を指さして笑う、

 

 

で、

高次の自分とつながる方法です。

 

ハートの中にいる高次の自分を意識的に頭に移動させて

質問するのです。

 

今、こんな悔しいんだけど

どういうこと?

 

って。

 

 

そしたらね

答えてくれるの。

 

「経験。経験。すべては経験だよ。どういう感情を

味わったのか宇宙はデーターが欲しいんだよ。

その感情を宇宙にさしだしてね」

って。

 

そしてね宇宙に

「はい。悔しい感情です。どうぞ。」

ってポイ。するのです。

頭からダイレクトに上方にじゅわっと放つのです。

 

その感情はに変わって宇宙に放たれていきます。

 

 

そしてまた、昔味わった悲しい思いが沸き上がってきます。

 

また高次の自分に頭に上がって来てもらって

「なんでこんな悲しいの?」

って聞くと

「データーだよ。データー。宇宙に差し出して。」

 

って言うから

 

また宇宙にポイするのです。

 

「悲しいのデーターです。どうぞっ。」

って。

 

高次の自分は感情の領域にいないので、とてもクールに

指導してくれます。

 

おわり。

 

ちゅー