ツインレイには必ず
分離期間というのがあるらしいのです。突然相手が消える。その試練から立ち上がる。霊的成長が成されると再会するみたいです。

私が
それなのか
わからないし

ツインレイって思い込みなら
再会はないし。

何が何だかわからなくて

倦怠期とかじゃなくて

やっとこれから
始まる

って思ったときに

消えたというか逃げたというか

ひとこともなく

そんな状態になってしまいました。




凄い
こんな試練があるんか?

この経験をどう
飲みこんだらいいの?


けっこうかなりのどん底に
います。

私の人生で
こんなどん底は2度目だということを
思い出しました。


その1度目のときは

「これからは自分に正直に生きよう」

って思って立ち上がりました。


今はね
「私は私の愛に夢中になろう。」

って思うことを重石にして
立ち上がろうかな
って思っています。

どういうことかというと

その愛は
恋愛だけではなくて

目の前の人すべてを対象にしたものです。


「私は愛されたかったんだ。」

って気付いたのです。

すべてのものに。


愛されたい?

それって自分軸?

他人目線が基準?


なにそれー

愛されたいのに
愛されていないと思い込んで

不満の思考で頭を満杯にしてた


そんなの
いつまで待っても愛されないし

愛されていても
そのことに気付けない


もうそんな思考取っ払って


自分軸で生きたい


人からの愛を
チェックする人生じゃなくて

自分がちゃんと
愛をささげているか

それだけに集中した生き方を

したい


今ね
このつらい出来事を

もう少し元気になって振り返るときに

「私は私自身の愛をささげることに
夢中になれている?
愛されることに気をとられていない?」

って確認しながら

歩いて行きたい

とね

思うようになりました。


突然消えた
彼の非常としか思えない
行動が与えた
私の学びはどこにあるのか
って

考えたときに

どん底の今

そんなことを考えたら

自分目線の愛
というところに
たどり着きました。

なんの学びもないじゃん
こんな最低な出来事になんの価値も見いだせない!
って思ってたけど・・



自分目線で愛を考えたら

何をされても
あんまり気にならないのです

好きなようにどうぞ

みたいな。

「される」ことに感心がいかないので。


仕事でもね
「自分はこんなに頑張っているのに
愛されるのはそっちの方なのね」

みたいなひがみがあって

でも
これも他人目線だからね。


自分が愛を捧げることに
夢中になっていたら

れる
られる

の他人目線まで考える


なくなるんでない?

だからね

自分軸
自分目線
自分自芯

そんな気持ちで歩くことを
頑張ってみます

ニコニコ

どん底からの声
ゲロー