私はこれまで子どもの学費のために
仕事をして来ました。

その役割が終わり

これからは
自身が心豊かに生きるために
働きたいと思うようになっています。


でも「心豊か」って
どうしたら出来るのかわからなくて



「心豊か」の意味をネット検索してみました。

でもピンとこない。


そうして今日の出来事を
なんとなく考えていたら
そこに答えがあることに
気付きました。



94歳の女性の話です。

「私ね3月で94歳になったのよ。
誰も祝ってくれた人いないの。
(あとどのくらい生きるかわからないけど)この人生、楽しかったぁ! 」

って言ってくれました。

私も「楽しかった!」って言って死んでいきたいと思っているので

この94歳の女性の言葉がとても嬉しかったのです。


「私なんて生きていても迷惑かけるだけだから、早くお迎えが来るようにいつもお祈りしてるの。」

って話すかたは数え切れないほどいるけれど


「楽しかった。」


って言ってくれたかたは初めて。



彼女は独身でひとりです。


他県に妹さんがひとりいるだけ。


ひとりぼっちの彼女は
楽しかった!って思っているのに

家族のいる人たちは
まわりに迷惑をかけることが
気になって気になって

 「早く死にたい」って思ってるんです。


なんだか
変な話ですね。


人は自分の意思で
自分の思いの通りに生きたとき
楽しさを感じるのかもしれない。

家族に守られて
転ばないように見張られて

愛されてはいるけれど

どこか窮屈で・・


ようは
自分の思いのまま生きているか




っことなんだと
思います。


この94歳の女性は去年入所しました。ひとり暮らしの頃は、キッとした厳しさを感じていたけど、現在は入所して食事の心配もなくなってとても柔和な顔になっています。


ひとり暮らしのころは、転んで入院を何度となく繰り返していました。
会うたびに、痛々しい顔をしていました。
高齢でひとり生きるということは、緊張が伴うのです。

でもひとりだから、誰かに入所を決められることもなく、心ゆくまで自宅で生活しました。

そして

楽しかった!って。
言えてる。


彼女はきっと「心豊か」に生きたんだと思うのです。


「心豊か」とは
心に思うままに満ち足りて生きる
ことなのでは
ないかなと思います。

心に思うことを行動する
ということを
たくさん(満ち足りて)して
生きたとき
それは「心豊か」に生きていることであり

きっと

最期のときに

「楽しかった。」

って言えるのです。


(*^▽^*)